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伊万里・有田・波佐見
日本の磁器発祥の地でもある佐賀県。豊臣秀吉の時代、朝鮮出兵の際連れ帰られた朝鮮李朝の陶工・李参平によって磁器の生産が始められたのです。
そして今日まで、日本のみならず、遠くヨーロッパの文化に多大な影響を及ぼしているのです。
伊万里・有田・波佐見と言っても、あまりにたくさんの窒元さんがあり、小さな商社に入ってもらっています。
ちょっとお手頃な、そして使いやすい器を探し、提案し、私共へ納めて下さるのです。
人気の作品を花染の開店以来、長い年月、時代の変化に即応させながら選ばせて頂いています。
美しい有田・伊万里の生地に染付や、色を差した作品など、それはそれは変化にとんだ多様な美しさなのです。
波佐見の白い器は、とでも人気です。少し青味を帯びた青白磁は、品格をも備え、料理をより高めてくれていると自負しています。お値段もお手頃なのが、尚嬉しいです。
透明感のある器の中で、野菜が、スイーツが生き生きとしているのを楽しむのは、嬉しい暮らしです。際立って爽やかです!
商品一覧
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伊万里・有田・波佐見 1
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伊万里・有田・波佐見 2
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伊万里・有田・波佐見 3
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伊万里・有田・波佐見 4
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伊万里・有田・波佐見 5
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伊万里・有田・波佐見 6
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伊万里・有田・波佐見 7
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伊万里・有田・波佐見 8
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伊万里・有田・波佐見 9
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伊万里・有田・波佐見 10
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伊万里・有田・波佐見 11
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伊万里・有田・波佐見 12
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伊万里・有田・波佐見 13
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伊万里・有田・波佐見 14
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伊万里・有田・波佐見 15
1983年、花梁を開店した当時、若い頃のお話しです。古い話ですが、ひた向きに前進しようとしていました。磁器を扱うなら…伊万里、有田は欠かせないと考え、いきなり飛び込んだのです。
ある程度は、紹介された窒元さんも予定に入れていたのですか訪れてみると、全く私の好みではなく、右も左も分からない土地で立ち往生してしまったのです。あまりの窒元の多さに、途方に暮れてしまったのです。日帰りのつもりでしたが、泊まる事を覚悟したその日の事をありありと憶えています。私共の定休日に出立した仕入れの旅でした。
ぼう然としつつも、心を丈夫にして廻るしかありません。10数軒は見たでしょうか。ところが神業です。廻り始めてまもなく直感でした。ある工場の敷地に入り、展示場のような建物があったので、そっとのぞいてみました。中は暗く、この窯元もお休みでした。
しかし偶然にも、私の五感に触れる作品が、その暗い中で私に向かっていました。臆せずぐんぐん仕事場らしき工場の中へ進み、仕事をしている人を見付け声をかけたのです。
出合いとは深いものです。あまたある数え切れない窒元・商社がある中で、不思議にも導びかれてゆくのです。後に知った事ですが、それは出会うべくして出会った奇跡のような出来事だったのです。喜々としたのは言うまでもありません。仕事のお約束も順調にまとまり、有田駅から特急で博多まで…博多駅で「辛子明太子」のお土産を5~6箱とお弁当を買い最終新幹線に飛び乗ったのです。その日、初めて口にするお弁当でした。
大きな仕事を成し遂げた幸せで満ちていました。こうして、滞りなく日帰りの旅は終ったのです。この良き1日は、遠い遥か彼方の出来事ですか、今も鮮烈に一枚の絵のように脳裏に貼り付いています。
九州でのお取引きのすべてがこの時の出会いからです。私に運を引き寄せてくれた、この折の出会いは、私を大きく形成してくれたし、同時に、不思議な「えにし」を思わずにはいられません。そして現在に至るまで、紆余曲折、多少の変せんはありましたが、今も尚、強い絆で結ばれた関係だと思っています。