日常つれづれ(2025年)

2025年2024年2023年2022年2021年2020年2019年2018年2017年2016年2015年2014年2013年2012年2011年2010年

2025年

2025年(令和7年)2月6日
こんなに 2月は寒かったんだナァと〜 と今さながら思っているのです。道行く人も背をかがめ、心なしか早走で歩いています。
我が家には節分にお面を付けて鬼を演じてくれる人がいるのです。でも寒いので鬼もお家に入れてやります。そして「豆は幾つ食べるの…?」と言いながら、今年も過ごしました。

花染の裏庭のメダカは時々、冬眠から目覚めたように、日によって水面に浮かんでいます。近場に群生している水仙も、チラホラ咲き始めました。紅梅も輝く朝日の中でふっくらして来ました。

 

冷たい空気の中でも、春は確実にやって来ています。「春が来る!!」何と良い響きなのでしょう。お部屋に花を生け、お気に入りのポットでお茶を入れ、ホッコリとするのも…それも良し!! 何か良い事があるかも知れないと待っている…そんな気持ちも愛しいですね。

2月13日(木)からの展示会が、もう目の前です。

河井 久・河井一喜2人展
2025.2.13(木)~2.22(土)
10:30~17:00
16日(日)・17日(月) 休み

長年、私共を支えて下さいました久先生が、かの国へ逝っておしまいになられて8年余り…春の様に暖かく、この大空の様に大きなお人柄でした。ご長男の一喜さんの作品にお力を添えて頂き素敵な展示会にしたいと思っています。
河井家に脈々と流れる寛次郎の教え…久先生は何時も「仕事を…そして人としての姿を学んだ。」とおっしゃっていました。大切な時間を河井家の方々と共に歩める幸せを大切にしたいと思っています。

久先生の作品を手に取ると、その力強さと先生の笑顔がよみがえります。一喜さんも、先生の志しをしっかり受け継ぎ、ひたむきに作陶に励まれています。ご縁とは有難いものですね。私も一生懸命に仕事に向かいたいと思わせてくれるのです。
是非、作品と共に、お2人の心の軌跡をご覧頂ければ嬉しいです。

 

私と花染は長い長い歴史を刻んで来ました。多くの学びも後悔も喜びもありました。
30年がひと世代と言いますので、世代交替は必至です。

しかし、今に伝えてゆきたい事柄もたくさんあります。
その中のーツに「古布・古裂」と言われるものがあります。
日本に古来より伝わって来た「布の文化」。明治に入り明治時代が終る頃までは、職人さん達の手によって、染・織の仕事が普通に行われて来ました。特に木綿の染織は庶民の暮らしには、あたり前だったのです。
綿を手で紡ぎ、染められ、手機で織られ…脈々と続いて来たのです。

時を経ると共に、その特徴的な仕事は機械生産に、とって変わられるようになりました。全く無くなった訳ではありませんが、この間に失われてしまった仕事は、はかり知れません。

ずっと以前、30数年前、その藍の染物・織物を訪ねて島根県や栃木県・益子などへお伺いした事があります。すでに稀有な存在になっていました。

そうして失われて行くと同時に…職人さんから作家さんへと移って行ったのだと思います。絹織物・麻の上布・芭蕉布などの中には、今も尚、職人さんに引き継がれ染められ、手織りされている⋯すっかり高価になってしまったものもあります。

私は布の研究をしたのではありませんが「古布・古裂」と言うものを、花染で扱い販売する事によって多少は学んだのです。

薩摩のからむし染に始まり…久留米絹・島根の筒書き・弓浜絣・伊予絣・丹波布・有松絞り・河内木綿など…これらは全て木綿です。それぞれの地方に…お国に手仕事があったのです。

越後上布・近江麻…そして堺更紗…とても美しい布です。
下の写真は上布と言われる麻の着物と芭蕉布の着物です。古い物です。

 

ここに書き切れるものではありませんが、無くなってゆく事が残念でなりません。

幸せな事に、私の身近に、目効きの古布の蒐集家がいました。この世界に精通している素晴しい女性でした。木綿・麻・筒書・更紗…あらゆる古布…品質の良さと量は特別に秀でていました。
私を信じてお分け下さったのです。それらの古い物が、美しく整理整頓されたお宅へお伺いするのが楽しみでした。

それゆえ、花染で販売する古布はとても上質でした。綺麗に洗い、アイロンがけられた品物にして店へ出しました。
布のままお客様に求められてもいきましたし、上布と言われる麻の着物などは、仕立て直しをして、お客様ご自身で着られた方もありました。

その古右の一部は日常使いが出来る…敷物や手さげ・種々の小物…タペストリー・ベストなどにも仕立ててもらいました。

 

そんなこまめな手仕事をして下さる方の手によって 見事な品によみがえったのです。でも時代ですネェ〜「古布・古裂」と言う言葉を知らない世代が大半になってしまっています。そんなこんなで…作品に仕上げて下さる作り手も年を重ね、もう止めようと思っていた矢先、お作り下さる若い方が申し出て下さって、少しずつでも続けてゆこう…と思えて来たのです。

まして、その作り手は 「こぎん刺し」までやってくれると言う…何と嬉しいのでしょう。日本の古い布を⋯花染に残っている古布を生き返らせてやりたいと思っているのです。

 

話は突然変わります。
この所、再放送のNHK「坂の上の雲」司馬遼太郎原作…をしっかり目を見開いて見ています。明治になって30数年で大国ロシアとの戦い…それは日本国が滅ぶかも知れない戦いであり、無謀とも思える戦いでした。

小学生か中学生の歴史の時間だったか…東郷平八郎が、ロシア・バルチック艦隊を破った日本海戦を学びましたヨネェ〜。その戦は、いかにして成しとげられたのか…。

歩みを早めてゆく日本国…西欧諸国に追いつけ、追い越せ…と歩んだ日本国。まだまだ残り数回続く…このドラマをしっかり見据えてみたいと思うのです。中国大陸アジア諸国への侵略⋯そして太平洋戦争への悲劇へと続くプロローグであると⋯。

若い頃、司馬遼太郎記念館へも行った事があります。天を突くばかりの蔵書でした。あの凄〜い内在するものがあっての作家なのだと…。
赤いペンで幾度も推こうを重ねたであろう原稿用紙にも感動しました。

父が好きな作家の1人でした。父のたくさんの蔵書の中に「龍馬がゆく」「街道をゆく」などの長編がつまっていました。父の本棚は私の読書の原点なのです。あれから父の本はどうなったのでしょう。懐かしい父の姿が見えます。

何かしら世界は不穏です。底しれない悪で満されている様な気がしてならないのです。気候変動、地球温暖化を検証すべく研究者は懸命に訴えかけるも、知らぬ存ぜぬ…と勝手放題に見えてしまいます。

ア~アァァ~何とかなかならないのでしようか…。私のつぶやきは何の役にも立たないですね。でも「日常つれづれ」は私の弱さも含めて「ぶつぶつ」何時までもつぶやきそうです。私は一生懸命、静かに仕事をし、花染らしくありたいと思っているのですが…。

春はもうすぐ…何かしら、何でも良い⋯心健やかに暮らしたいものですね。お花屋さんは、春の花で溢れています。いつもおつき合い下さいまして本当にありがとうございます。

河井久 作

2025年(令和7年)1月13日

新年のご挨拶が遅くなりました。今年もどうぞようしくお願い申し上げます。

新たな年、元旦からお天気に恵まれ穏やかな三が日でした。毎朝、東の空から昇るお日様に思わず手を合わせます。東の空が美しく茜色に染まり、またたく間に頭を出すと、一気に私達の生活を照らし始めます。神々しいまでの朝日…健康への感謝を込めて、自然に手を合せたくなるのです。

年令を重ねる程に、その思いは深くなります。今年2025年は昭和100年と言う事です。

お正月三が日は、祖母から母へそして私へ受け継いだ、漆のお椀を使います。お雑煮も、父が母が家族が慈しんだお正月を、小さな我家の小さな世界に再現致します。ここから1年が巡り始め…ふる里の記憶と共に感謝で一年を祝いたいと思います。

初詣は、例年のごとく京都へ…北野天満宮・六波羅密寺へ、一年の思いを込めてお参りをさせて頂きました。

 

お正目三が日を過ぎた頃…ニュースで報じられる日本列島に降り積もる雪…その甚大な災害に絶句してしまうのです。
関西は大雪に苦しむ事はあまりありませんが、仕事上、地方へ出かけます。その地方で思いもよらぬ大雪に見舞われた事もあります。
雪の山陰・雪の小鹿田、小石原・冬の益子・そして雪の金沢…。
そしてお正月休みの旅…大雪の白川郷・郡上八幡・一夜にして1mを越える雪に降り込められた高山・風の冷たい鳥羽…。数限りなく冬の旅をしましたが…それのーコマ、ーコマが絵画のようにくっきりと思い出されます。
懐かしいような、痛いような複雑な心模様です。

そうこうしている内に新しい年は…七草がゆも過ぎ、鏡開きも終わり…すでに世の中は始動しています。

2月…河井久・河井一喜2人展 2月13日(木)~2月22日(土)
今年の展示会の始まりです。

河井久先生が亡くなられて8年余りになります。大空のように澄み渡った大きなお人柄でした。河井寛次郎・河井武一先生を師とし「2人から仕事を…そして人としての姿を学んだ。」とお聞きしました。寛次郎、次いで武一氏に20年にわたり師事なさったのち、昭和59年に滋賀の地に窯を築いたのです。

いつも花染を包み込んで下さる優しさを…先生との時間を、私の大切な時間を共に歩ませて頂いたのです。突然の先生とのお別れでした。深い喪失感でした。

先生は、良き時代を生き、作陶に励まれ、日本各地の百貨店の美術画廊などで個展をなさっていました。花染のような個人の小さな店では珍らしい事だったのではないでしょうか。

先生の花染での展示会は、ご遠方からも、たくさんのお客様が来て下さって笑顔溢れる、賑やかな時間を過ごしたのです。先生のお話も楽しく、寛次郎との思い出話を、お客様も私も心が躍るようにお聞きしました。

「すご~い!!」と思いながら私も作品から力を頂いたものです。

先生がお亡くなりになった翌年、たくさんの作品をお預かりさせて頂き、回顧展をさせて頂きました。2017年5月のことです。

亡くなられてからも、一年に一度くらは、先生の作品を頂きに通いました。やはり私の心を打つのです。花梁のお客様も、その思いの中に居たと思います。
ひたすら作陶に励まれた、先生の愛する作品の数々…人生の大切な時間を共に歩ませて頂いた幸せを心より感謝しております。

享年74歳「健康の美」「用の美」に捧げた美しい人生でした。

先生のご葬儀に参列させて頂きました。民藝協会の方々、そして先生のふる里・安来からの方々…ご立派なご葬儀でした。最後に先生をお見送りする皆様に、一喜さんがご挨拶をなさったのですが…そのご挨拶に私は感動したのです。涙が一気にせきを切って溢れました。

お父様の久先生にむける…ご長男としての言葉は美しく哀しく…皆のを捉えたのです。その時の光景は、くっきりと目に心に焼き付いているのです。

子供は親の背を見て育つ…と先人達は言いますが、その折の一喜さんの姿は忘れない…。そんな気持ちで、これからも、彼とお仕事が出来ればこんな嬉しい事はありません。

以前…チョット昔。本格的な「花染通信」を発行していた時期があります。「2003年11号」「河井寛次郎と仕事」「河井久作陶展」「作家への旅」を書かせて頂きました。

一生懸命、私なりにまとめて文章に致しました。もし、よろしければコピーをして店に置いておきますので、お読み頂けると幸いです。

★ 久先生の作品は、すでにたくさん頂いて来ています。一喜さんの作品は、一月下旬に焚く予定なのだそうです。合わせて素敵な良き展示会になりますよう…花染も頑張ります…ね。

河井家のお話しで、この度の「日常つれづれ」は終始致しましたが、展示会に是非お出かけ下さいませ。

スポーツニュースも大好きで…今年も大谷翔平選手の話題で始まり…日本での開幕戦…楽しみですね。テレビで…ですけどね。
私は相変わらず、「映像の世紀」「NHKスペシャル」にのめり込んでいます。

雲霧仁左衛門に、むちゃ惹かれる自分も居ます。時代劇の中に日本の美しい姿をみるのです。岡田准一さんの…待…も大好きなのです。
NHK BSも最近、心に焼きつくような番組を放映する事が少なくなった様な気がします。ドラマにして欲しい原作の本は、いっぱいありますのに…ね。そんなミーハーの自分も…良いかなァ~と思っています。

超アナログの私ではありますが、アナログ人間にしか出来ない事もある。と信じてしっかり前をむいて歩きたいと思います。人との別れも、喜びも哀しみも…なによりも自分の弱さも…いっぱい身にまとい年を重ねてゆくのですね。
その…いっぱい…を生身の私の中に包み込み「日常つれづれ」を書いてゆきたいと思います。
私の大好きな椿の花の季節です。仕事に育ててもらえる様に何時も謙虚でありたいと思う…昨今です。

インフルエンザがすごい勢いで流行しているとの事です。皆様が今年一年、お健やかであります事を心より願っています。冷たい日々ではありますが、お時間がございましたら…どうぞお出かけ下さいませ。

初詣の道の途中で見つけた
つわぶきの花です。

ページ上部へ戻る