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日常つれづれ(2013年)
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2013年
2013(平成25年)12月25日
紅葉も終わり、すっかり冬景色になりました。山茶花が家々の垣根を彩っています。何だか暖かい空気を頂くような気がします。
街のイルミネーションを冬の風物詩にしようと、頑張っている姿が各地で見られますが、ここ島本でも阪急水無瀬駅からJR島本駅まで楠の木にイルミネーションが輝いています。
大きな街や表参道とは比較になりませんが、始めた折のキャッチフレーズは「楠公道路を表参道の様に……。」でした。 どうにか無事、年末を迎えられそうです。昨年10月~今年4月まで事情で店を閉め、皆様にご心配を頂きましたが、やっと元気になったような気が致します。 この秋は、和食が「無形文化遺産」になるなど、とても嬉しい事もありました。和食と言っても、巾が広く受け止められていて、非常に難しいと思うのですが、美しい事が、そして又、日本人の心のこもった食文化でなくてはいけないと思うのです。これに乗じて、何でも和食と言ってしまおうという考え方には従えません。 食材を選び、美しく盛り付けをし、器もとても大切な要素になります。土物、磁器、ガラス、うるし等の器など、生活空間も関係してきてほしいのです。 食生活1ツとっても、日本の美しい心は生きているのです。 12月14日だったと思うのですが、BSプレミアムで「京都迎賓館・極める京の技とおもてなし」をしていました。 京都33の花の家元が持ち回りで花を生け、料理も料亭が持ち回りで出張するのだそうですが、この心も筆舌に尽くしがたい「もてなし」で、一流の人々が持っている、一流の緊張感に、思わずのめり込んでしまいました。 「迎賓館を見守る会」というのがあって、年1回その匠たち(総勢130人程)が集合して、各自の仕事を見廻る姿に感動しました。 その感動が醒めやらぬ、12月15日、NHK「『和食』おいしさの謎 世界がうなる究極の味▽ルーツは京都の四季絶品のお膳」を見入ってしまいましたが、メモを取らなかったので、細部に誤りがあるかもしれませんが、日本人が作り出した「オリゼ」という菌の不思議な物語です。千数百年前に、何かしら有害な菌を変化させ、突然変異をさせ、日本人が造った「花・オリゼの菌」、これが米麹を作り、味噌を発酵させ、酒を造り、そして又、又、かつおぶし、昆布の旨味になってゆく過程を映像にしていました。
京都に、この菌を培養して、数十代、一子相伝として栄々として続いている店がある事も初めて知りました。日本の匠はここにも生きていました。 和食が世界文化遺産になってから、次々和の文化を折につけTVでやっていますが、「目から鱗」がたびたびあります。
過去にもこういう番組はよく見ていましたので、少しは知っている事もありますが、今までにもまして「昆布とかつお」で上手く「出汁」をとって心を込めてお料理に対峙しようと思いました。 最後に番組内で「千年のミステリー」と言っていましたが、“極める”という事の凄さを実感させて頂きました。
日本は、日本人がもっともっと知らなくてはいけない事だとつくづく思い知らされます。 やはりNHKBSプレミアムで「小津安二郎・生誕110年・没後50年・映画に仕掛けられた謎」にも感銘を受けました。 「八重の桜」にも随分、多くの事を教えてもらいました。 話は変わります。 もちろん堤清二氏と言えばセゾングループを創り上げ、広告、コピーライター、アートディレクター、クリエイター等の存在を世に知らしめた一時代を確立した人でもあると思うのです。 「老いらくの恋」と世間を騒がせた事件なのだそうですが、とても美しい心の、人生をかけた恋でした。 本を読んで後、数年して新聞に小さく、その女性が亡くなった……と横顔の写真の入った記事を見ました。何とも切なく清い気持ちがした事を、その当時、複雑な心境で読みました。 その後、辻井喬氏の作品には出会わず、知ってみると堤氏は「辻井喬」の自分の方がお好きだったのかな……と思います。たくさんの詩集・著作がある事を知りました。 文化人としてのお顔、経営者としての2つの中で、誠実で謙虚に、そして情念も持ち合わせた人であったのだと「辻井喬(堤清二)さんを悼む」から読み解く事が出来ました。 もう今年も残り6日になってしまいました。たくさんの方々に支えて頂いて花染は存在します。こんな嬉しい事はありません。 |
2013(平成25年)12月3日
もうカレンダーも1枚になってしまいました。紅葉真っ盛りで各地は愛でる人々でいっぱいになっている事でしょう。
ちょっと撮影が遅かったようで、散りゆく寸前でした……。日本って何と美しい国なのでしょう。高倉健さんも、文化勲章の折に「日本人に生まれて良かった!」と表現されました。その意味に秘められたお母様の「しんぼうばい!」という言葉に象徴される裏打ちがあってこその日本の心だろうと思います。 先日、NHK「クローズアップ現代」で山崎豊子の秘められた内面、初めて公開されるご自宅、書斎…資料、取材の書類、テープ、DVD等の詰まった部屋が写し出されていました。まさしく身を削って走り続けた一生であったと思います。やはり、日本人の心、そして不条理を亡くなる1週間前まで書き続けられたそうです。何と言う事でしょう。感嘆の涙が、心の内から湧いてきます。 12月はクリスマス、お正月の準備に、とても気忙しい日々が続くと思います。プレゼントも「誰かくれないかナァ……」
店も暖かい雰囲気にしたくて、店の表には花を寄せ植えし、自分でちょっと和む心地になっています。
山茶花の花も舩木先生の花入れに差してみると、とても馴染んで大満足です。
店の裏の千両の実も大きく紅く色づいて来ました。14~5年の木ですが、昨年はなぜか実が付かず心配していたのですが、今年は多くはありませんが、ちゃんと実ってくれました。
稲葉直人さんの土鍋がたくさん届きました。彼の優しさそのものが伝わってきます。暖かいほっこりした土味の美しいフォルムの作品です。
稲葉直人さんのページも更新しましたので、どうぞご覧下さいませ。 お正月も、下手ではありますが、お重箱にお料理を詰めて自己満足です。お正月用の祝箸も花染に入りましたヨ。 福珠窯のとても大好きな作品もお正月に向けて作りましたので見に来てください。
師走と言う通り、皆様お忙しく走り廻っている事と思いますが、どうぞお出かけ下さいませ。
来年の事になりますが、新しい作家と出会いましたので、5月頃、小さな小さな展示会をしたいナァ……と思っています。一目で心惹かれた作品です。私も楽しみにしています。 |
2013(平成25年)11月2日
急に冷たい風が吹き始め、おどろく早さで秋がやって来ました。 島本町もすっかり稲刈りが終わり、知り合いの農家から新米を頂き、美味しくホッコリと炊き上げました。ホンワリと湯気の上る様子は味覚の秋を感じさせてくれます。 稲を刈り取った後の田も又、いいものです。私達は子供の頃、その中で野球のような遊びを自由奔放にしていました。自然の中で日が暮れるまで遊びに興じていました。 今はそこかしこに金木犀の香りが満ち満ちています。きれいに刈り込まれている家もあれば、無造作に垣根にしているお家もあります。その中でも一番大きく美しく、沢山の花を付け、立派に刈り込まれているお宅の写真を撮らせていただきました。
それはそれは見事です。いつも気になりながら通っていました。毎朝、近道をして、住宅街の中を自転車で走るのですが、常に折々季節を感じさせてくれます。 話は変わりますが、病院に通いながら、最近思う事があります。何と女医さんが多くなった事に目を見張ります。 ところが、又、最近お客様の女医さんからお話をお聞きすると、「結婚で仕事を辞めざるを得なくなり、又、次に出産で辞めざるを得なくなる……」と。なかなか続けてゆく事が出来にくいお仕事なのだそうです。 又、話は変わります。
何だか最近、彼にひっかかっていた気持ちがすっきりしました。何かしら私も「すごい人なのだナァ…」と思いつつ、過ぎていましたから……。
箭内氏の風貌、感性、おしゃれ、言葉…どれをとっても大好きです。 12月初めに細江氏の「木工・小品展」をさせて頂くつもりにしていましたが、都合により中止する事になりました。 何かと気ぜわしくなってきました。今年も残り2ヶ月と思うと、早くもお正月料理の準備や心構えが必要になってきます。
可愛く、愛くるしい表情です。お待ち申し上げております。 |
2013(平成25年)10月5日
やはり9月も日中は残暑の厳しい毎日でした。空も空気も自然も確実に秋が来ているのに、気温だけが高く、弱った体に追い討ちをかけます。
1年がアッと言う間に過ぎ、10年が瞬く間に過ぎていきます。 キャロラインさんが駐日大使に…というニュースの折でした。私達は1963年11月22日のダラスでのあの日を忘れないでしょう。ケネディ大統領の死が頭の中に古い傷のように残像として今だ凍結されています。 その後、出版されたこの本を買い求め、ケネディ家のまさしく「栄光と悲劇」を夢中で読みました。今再びパラパラとめくって見ると、ケネディ家の結束、絶えず何かに挑戦している姿が浮かぶのです。 あとがきに訳者が書いている言葉が印象的でした。
時の流れは瞬く間です。 身の回りに何か楽しい事はないかナァ…と見回すと、ベランダの椿の木にたくさんの蕾が付いていました。
秋は美しい紅葉のシーズンですが、何かはかなく淋しい季節です。 |
2013(平成25年)9月12日
毎日暑い!暑いと言いながら8月も終わり、9月も半ばを過ぎようとしています。朝夕はチョッピリしのぎやすくなり、少し心身ともに安堵の面持ちです。 早い時期から猛暑、とてつもない風雨に、かつて日本になかった現象を見ます。地球全体が異常を発しているのだと思います。人類が不必要に欲深く進化しすぎるのです。 風を目で、景色で感じて欲しいと……。この夏は、こんなポジャギ風をたくさん作らせて頂きました。
8月は、何故か今年は太平洋戦争にまつわるテレビ番組が例年になく多かったように思います。尖閣諸島からなのか?中国・韓国問題がこじれているからなのか。憲法9条発言からなのか……。はたまた戦争を知らない人々が人口の80%(?)を占めてきた危機感なのか? 私は戦争が人間をどのように変えるのか?ということに若い頃から興味を持ち、テレビ番組のドキュメンタリーをよく見ていました。 8月15日(敗戦)前後、12月8日(開戦)頃には、頻繁に放映されていましたが、いつ頃からか、多分、日本のバブル頃だと思うのですが、そのような番組が極端に少なくなり、わずかだけ遅い時間帯(夜中1時、2時)に残り……それでもよく見ていました。 新しいフィルムや事実や資料が出てくると検証され、放映される程度でした。 私も戦後生まれですが、私達は現代史はあまり教わらないできたのです。日本史は明治時代までで、時間切れ!そして卒業してしまうのです。 日本の現代史を時間をとって教わることはとても大切なのではないでしょうか。過去から学び、本当の意味の愛国心を育ててゆかないと、美しい日本にはなりません。 日曜日、朝9時(Eテレ)「日曜美術館」を是非1時間見てほしいのです。 1ヶ月半くらい前は「岡倉天心」でした。明治に入って日本中が西洋になびく中で、彼のとった行動と信念に感動します。歴史の時間にちょっと出てくるだけで、皆、お名前はよく知っていても、本当の意味の偉業と彼の人生はほとんど飛ばされます。 又、戦争も、絵を描くことで、戦争の悲哀を伝えることもあります。
その他にも香月泰男という、後年、自身のシベリア抑留体験を油彩で描き続けた作家もいます。とても素晴らしい色彩と奥の深い作品に戦争の「悪」を思い知らされます。山口県立美術館がたくさん蔵品しています。私の大好きな作家の1人です。 戦中、何らかの形で絵描きは戦争に荷担させられ、戦争画を描かざるを得ない事情を抱えた作家も数多くいらっしゃいます。ほとんど…と言っても過言ではないかもしれませんし、文学者も同じです。 戦争に駆り出され亡くなった若い命。そして戦争から帰還しても苦しみ続けた人々。戦争画を描かざるを得なかった絵描き、又、文学者の苦悩……。 先に書いた浜田知明氏も95歳になる今尚、肉体に刻まれた記憶の底から作品を製作し続け、戦争の「悪」を静かに訴え続けていらっしゃるのだと拝見致しました。
浜田氏の姿は哲学者のようでもあり、私達の心を打つのです。 あらゆることをこの「日曜美術館」は教えてくれますし、この番組をきっかけに自分でもっともっと先へ進んで行くことも出来るのです。 時が過ぎる程、その偉さが分かり、賢い人だけれど使う言葉はごくごく簡単、それでいて謙虚な表情をしています。素晴らしいことだと思います。 新聞・日曜日の『読書』の本の紹介等の頁が大好きです。出版される本は数限りなく……。しかしこのページの「評」を読むと何だか楽しいおもちゃ箱のようにあらゆるジャンルの本の「評」がプロの手(大学の先生・作家・詩人・社会学者・ジャーナリスト・美術館主任などなど)で書かれていて、空想するだけでも興味深いのです。
「へぇ~」と思いながら読んで楽しむ時の方がはるかに多いのですが、参考にして本を買うこともあります。 9月も残暑が厳しいとのことです。昨年は10月も初旬は暑かった記憶があります。季節が二極化してしまいそうです。私の店の植物も亜熱帯の観葉植物は生き生きと葉を繁らせていますが、他の植物は皆、元気がありません。懸命に手入れをして可愛がるのですが、ダメになるものもあります。
真夏に誇らしげに咲いていたさるすべりの木も、さすがに9月にもなると勢いをなくし、もう終わりかな~と感じます。 9月に入ってすぐ「山村御流いけばな展」を拝見に行きました。会場は既に秋の訪れです。毎回写真を1枚でも撮りたいと思うのですが、×なのです。 花と花器が一体となり、思わずため息が出ます。日本人の感性が誇らしくなります。 花は「野にあるごとく」小さな花や枝が見事な空間を作っています。
はぜ、柿、りんどう、秋明菊、つるりんどう、金水引、あざみ、からすうり、松虫草、風船かずら、とくさ、藤ばかま、ひともとすすき、ききょう、小鬼ゆり、三つ葉つつじ、シャガ、河原なでしこ、さんしゅゆ、百日草、のしめらん、三帰来、カリン、吾亦紅、女郎花、山ほうし、笹葉りんどう、高野白王、小えび草、ほととぎす、栗、なつめ、らん、かりかね草、姫りんご、山しゃくやく、さぎ草、どうだんつつじ、ベル鉄せん、月見草、さつき、秋海棠、ざくろ、梅もどき……まだまだ……思い当たる花だけ書きましたが、名を知らない枝もの、花も、すべてが小さな宇宙を作り、静かな世界に連れて行ってくれるのです。 お家元の小さな茶入れのような蓋物(編み込まれたものでした)に水ぎほうしが極限の姿で生けられているのです。 花の名を連ねたのは、こんな楚々とした花に魅せられる日本人であって良かった…と思ってしまうからです。 12月初めに(12/3~12/7)「木工・小品展」をしたいと思っています。今から何を作り、ご覧頂こうかナァ…と楽しみに企画をしています。
いろいろの椅子・お膳・額・小引出し・お茶托・お盆・器・スプーン・鏡・皿立て等々。何が良いのでしょうかネェ…。 常設の花染も楽しくていいものですよ。ゆっくり作品を見て頂けます。遊びにいらして下さいませ。花染の看板も一新!変わりましたよヨ。 |
2013(平成25年)7月31日
「毎日、暑いですね!」が人との挨拶になっています。毎年、「例年になく……」が続き、暑さも雨の降水量も異常です。何がこのような地球の気候にしてしまったのでしょうか。 暑い夏は、恒例の京都の祇園祭の「コンコンチキチンコンチキチン」のお囃子で明け暮れます。17日の山鉾順行に先駆けて、京都の商家・町衆はそれ以前から、その後も行事が立て続けです。 この近辺の人々は、祇園祭は毎年の行事なので、当たり前のように感じていると思うのですが、全国から観光客が集まり、京都の街はごった返すのです。 私も毎年、長刀鉾のちまきを買って玄関に掛けます。我家の恒例です。15(月)に求めに出かけました。 山鉾の順行の順番は「クジ」で決まるのですが、長刀鉾は必ず先頭を切るのです。山と鉾(33あると言います)それに加えて傘。長い長い順行が始まります。
長刀鉾にだけ、生稚児さんが乗って、舞い、神とこの世の境の綱を刀で切るのです。一番大切な仕事なのだそうです。切った瞬間、歓声が上がります。
選ばれる事は名誉であり、その生稚児さんは1ヵ月程、男手だけの中で生活し、身を清め、この綱切りをする準備をするのです。歴史の申し合わせの中で、本当にたくさんの人々の力で、このお祭りは神聖に執り行われるのです。 江戸時代の洛中洛外図屏風にも祇園祭は描かれています。順行の順番の「くじあらため」の儀式も見せ場の一つです。それぞれの山と鉾が「くじあらため所」で「くじあらため」を行います。
次のクライマックスは、四条河原町の交差点を回る辻回し。路に竹を敷いて、山鉾を少しずつ3回で方向転換をし、直角に回転させるのです。竹に水をかけながらすべて人力で行われます。
四条通り、河原町まではゆっくり順行し、辻回しが終わり、河原町からはお囃子のリズムが変わり、徐々にテンポを上げ、御池通りは一層早く順行し、それぞれの鉾町へ帰って行くのです。 その間は、絢爛豪華、厳かで、観客を魅了するもので覆われ、それぞれの山鉾が見せ場を作り、タペストリー(織物はヨーロッパ、中国、日本…)に工夫をしたり、新調したりして競うのです。 蟷螂山のからくりかまきりが愛嬌を振りまきます。とても人気のある鉾なのだそうです。「ちまき」にもかまきりが付いています。
四条河原町の大きなステージで行われる「棒ふり踊り」は、笛と太鼓のエリート達が、八坂神社に向かって奉納する踊りです。絶対に棒は落としてはいけないそうですが、すごいプレッシャーだと思います。
戦後、次々に昔の山や鉾が歴史に忠実に再現され、増えているそうです。 子供達も子供の頃からお父さんに憧れ、笛や太鼓を習い、町衆の中で大きく成長し、次の世代に引き継がれていくのです。それぞれの鉾町へ帰ると、いち早く解体してしまうのだそうです。皆の無病息災を願って疫を取り込んだものを早く解体することで、「疫」を払ってしまうのだと言います。 7月いっぱいは行事(花傘鉾・さぎ舞い)が目白押しです。 小さな涼しい風が欲しい!方々から吐き出されるエアコンの熱風。何とも悪循環です。生活空間を夏向きに設えて、目で風を見たり、爽やかな暖簾をかけて見たり……。
何か工夫をしないと夏の暑さは過ごせません。 店の内部も舩木先生のガラスを前面に出して、少しでも空気を爽やかに……と心がけます。 お客様が自家栽培の夏野菜をくださったりお花をくださったりするので、しっかり野菜を組み込んだ料理を作り、夏バテに対抗するしかないですね。
島本町は、まだまだ水が冷たくて美味しいので、助かっています。 この所、ちょっとテレビを見る余裕ができて、1ヵ月程前から「八重の桜」と「妻はくノ一」を見ています。切なく美しく、一生懸命見ています。良きにつけ悪しきにつけ、日本独特の死生観がすべてドラマを引っ張っています。 たかが数十年、戦後、超特急で失われた事が残念でなりません。障子を通して差し込む光。ほのかに明るい光と影。煌々と照らされる蛍光灯の明かりに、私は戸惑ってしまうのです。ほの暗い中が一番心癒されます。谷崎潤一郎『陰影礼讃』という本がある程、それが日本の生活なのです。 いつも「不便が良い…」と私は書きますが、不便だからこそ人間は工夫をするのです。便利と経済至上主義はいけません。 私が高校を卒業する時、現代国語の先生が黒板に「無用の用」と大きく書いて、忘れないように……とおっしゃった事を私は今でもよく覚えています。一見無用に見える事が、長い年月をかけて、その人の血となり肉となり、深いひだを作るのだと思います。 話は変わって、宮崎駿氏のアニメ「風立ちぬ」を見たいナァ……と思っている今日この頃です。 年を経て、ゆっくり菜穂子さんのイメージの軽井沢をもう一度味わいたいと思います。この暑い夏の軽井沢もいいでしょうが(二度とも夏に行きました)、冬の軽井沢も行ってみたいと思っています。 まとまりのない「日常つれづれ」になりましたが、つらつら思うままです。 |
2013(平成25年)6月28日
こんなに毎日の温度差がある夏も珍しいのではないでしょうか。 島本町はまだまだ緑が空気が爽やかです。 緑に包まれ、真夏とは違う緑のイオンを含んだヒヤリとした風が吹いています。
便利な社会になってゆく怖さを感じる昨今ですが、人間が本来持っている五感で物を見、五感・六感で探り当てる楽しさも大切にしてほしいと思います。 先日、友達が庭に咲いた花で花束を作って持って来てくれました。なんと楚々とした風情でしょう。
単純ほど良い物はない。素朴ほど良い物はない。不便なほど良い物はない…という事を片手に握り締め、もう片手で今の時代を生きていってほしいと思います。 今、参議院選挙に向けて、世の中が騒がしくなりつつあります。安部総理の改革も、私達国民には本当のところはわかりません。新聞の下の本の広告欄を見ると、賛成と反対が入り混じって出版されています。 6/22(土)朝日新聞の天声人語に、国の行政改革に熱を注いだ土光敏夫氏のことが書かれていました。 (以下は天声人語の引用) と書かれていました。私が何かの折にメモした土光さんの「自分の火種は自分でつけろ。日に新たなり、日々に新たなり」の言葉を思い出しました。 話は変わります。 生きる事の苦悩、描く事の苦悩。懸命に生きる事の素晴らしさを教えてもらいました。 この「黒い馬・未完の作品」を蔵品している窪島誠一郎氏が解説をしていました。素晴らしい人の言葉、感性に私達は感動するのです。 窪島誠一郎氏は長野県上田市で「無言館」と「信濃デッサン館」の館主をしています。 彼は、私の中に、もう一つの感動を与えてくれた人です。それは実の親を求めて歩いた日々を書き綴った「父への手紙」です。
(引用)
とあります。この本が出版されたのは、1981年とありますが、これ以前に、確か1970年代前半に週刊朝日で親子対面記事が載っていて、それを読んだ事から、私は彼に興味を持ったのです。 この本のあとがきに、「父の家族の事。そこに生じた新しい波紋など、次の宿題にしたい。
特にめぐりあった母のことを書いてみたい」と。
柴田さんの作品が少し入ってきました。コーヒー&ソーサー、マグカップ、ポットなどです。
手前から ★舩木倭帆氏の銘々皿・お菓子(京都・永楽屋の琥珀) 夏には涼しげな藍の染付の作品もいいものです。
手前から ★桃形箸置・黒檀・拭き漆箸 ★双鹿文芙蓉手小判皿 これから来るであろう暑い夏を乗り切らなくてはいけません。せめて猛暑だけは堪忍してほしいと思います。 遊びにいらして下さいね。心よりお待ちいたしております。 |
2013(平成25年)6月6日
今年は早くから梅雨入りでした。季節は移ろって行きますが、日本にある季節はとても素晴らしい変化を私達に与えてくれています。田には水が引かれ、そこかしこで田植えが始まりました。
年々、燕の飛ぶ姿も見なくなり、蛙の鳴き声も聞かなくなってきました。でもまだここ島本町は山が迫っていて、夕方、陽が沈むと、冷たい風が山側から吹き込んできます。 松山千春の歌詞の中に「僕が好きなものは、青い青い空の色と夏の風に全てまかせた君の長い長い髪……」というのがあります。
今は、ほぼ毎日が家と店との往復で、仕事をし、家事をこなし、きっちりとした食事を作り、家を片付け、清潔に暮らすことが、最大の私のエネルギーの使われる部分です。 これだけでも今の私には手一杯状態で、活字は必要な新聞を読むくらいのことしか出来ません。テレビもNHKを少し見るだけの暮らしです。次の生活のために、新聞に掲載されている本の広告を見ては切り抜いています。 その中に、山本兼一『花鳥の夢』というのがありました。以前この「日常つれづれ」(2009年12月11日)の中に山本兼一『利休にたずねよ』の事を書いた事があります。その作者です。
『利休にたずねよ』の本の帯に「おのれの美学だけで天下人・秀吉と対峙した男・千利休の鮮烈なる恋、そして死。」「わしが額ずくのは、美しいものだけだ。」と書かれています。歴史書であり、時代小説であるがゆえに、わくわくする程おもしろく、一気に引き込まれていくのです。 この度は、天才絵師・狩野永徳です。名作「洛中洛外図」で時代の頂点に上るのです。秀吉に愛されるも長谷川等伯(これも2010年4月30日のこのページに書きました)への嫉妬を抑えられず、歓喜と煩悩の中で苦しみ続けたのだと思います。 私は長谷川等伯の「松林図屏風」の中に日本人のもつ「哀しさと美しさ」が全て込められている気がするのです。等伯が久蔵を亡くし、悲嘆にくれる姿がせつなく胸に迫ります。 まず元気が出たら読みたいと思う本の一冊です。本を読む事は大好きですし、日本文化は世界に誇る素晴らしいものです。とても楽しみにしています。 日本人自身が素晴らしい日本の文化、風土をよく学び、風情(わび・さび)の分かる人類である事に自信を持ってほしいと願っています。 高度成長の時代を過ぎた頃から日本人は変わってしまったようです。家族の姿が変貌し、「身の丈に合った暮らしを幸せ」という事を忘れてしまったようです。 先日、6月2日のNHK「日曜美術館・夏目漱石・小説を彩る数々の名画」「草枕・三四郎を絵で読む」というタイトルの番組がありました。
本棚でひっそりとしている夏目漱石全集をめくってみたくなりました。数年前にも一度漱石を読み始めた事があったのですが、『それから』で挫折してしまいました。 たくさんの人達に支えられ、寄りかからせて頂き、再生した花染をゆっくりと、時代に逆行するかもしれないですが、人の心を豊かに満たす仕事にして行ける事を心したいと思います。 新聞の片隅に柳宗悦の言葉がありました。「無事の美」「正しい工藝」、この言葉は彼を語る時、よく表現される工芸への姿勢ですが、改めて確信した思いがします。 朝日新聞夕刊に「人生の贈り物」というコーナーがあります。取り上げられる方々は、どなたもすごい説得力のある人生を歩んでおられます。その中で『氷点』を書いた三浦綾子と三浦光世氏ご夫婦の人生がありました。この事も書いてみようと思っていたのですが、長くなりますので今回はやめることにします。この見事な夫婦の愛を言葉にする事は難しいかもしれません。もちろんこれを読んだ方もたくさんいらっしゃる事と思います。
『天北原野』も彼女の作品である事にも驚きました。ネットで調べればわかる事だし、私の本棚を探せば分かったことだったのでしょうが、いつもこの本の内容は私の心に引っかかっていました。 展示会はしばらくは休みます。
最近この白い器を持って帰りました。真っ白ではありません。中に向かって青味を帯びた艶やかな、初夏にぴったりの器です。 17cm角です。
パプリカ、人参、大根、エリンギ、玉ネギ、キュウリ……、何でも切って、優しいお酢に漬け込むのです。エリンギだけは電子レンジでチンさせます。 「2013.4.26」のこのコーナーに竹の子寿しの事を書きましたが、
よこわのお造り(作品は舩木倭帆氏) 舩木先生のグラスにビールを入れて頂きたいですね。(在庫有り)
行き届かない事も許して頂きながら、ゆっくりと仕事をしていければと願っています。 |
2013(平成25年)4月26日(金)
今年の桜は私にとって、ちょっぴり儚げに見えました。散りゆく花吹雪を見ながら、これが散り、みずみずしい若葉に変わる頃には店を再開しようと心に決め、数々の段取りを進めました。 季節は変わります。 裏の小さな庭も、生き生きとした新緑で私を励ましてくれています。二葉葵のハート形の葉は、いかにも微笑んでいるかに見えます。椿の若い葉も、新しく植えた草花も、本当に新鮮です。
庭も荒れ、店内の観葉植物も悲惨な状況でしたが、新しく買い揃え、細部の準備をしてみると、全く空白だった半年余りが嘘のように元の花染の姿になりました。 植物を触っている私は幸せなのです。アア……、本当にさりげないものが好きなのだナァ……。としみじみ楽しませてもらいました。 もちろん店も大好きだけれど、こうして植物を触っている時は、又、格別に心が安らぎ元気になるのです。 メダカも堺の友達の家から嫁にもらいました。買えばいくらでもいるのですが、やはり、いつも友達の家から頂くのです。
島本町の景色もすっかり春から初夏に向けて移ろって行こうとしています。 この地区の竹の子は今年は不作だったようですし、「様子もおかしい!」と農家の方も不思議がっています。年々、環境が厳しくなっているからでしょうか? 3月1日は、花染の30周年でした。舩木先生の展示会での記念展は出来ませんでしたが、花染にはとてもたくさんの先生の作品が常設されています。ご遠方から来られた方々は驚かれます。 先生の作品を愛した30余年でしたし、いつも作品が私の側で輝いている事は、とても幸せな店だと思っています。 この10日間、お客様も次々とお立ち寄り下さって、本当に心配してくれていた優しいお気持ちをたくさん受け取らせて頂きました。 皆に……、たくさんの皆様に感謝の気持ちでいっぱいですし、天に向かって叫びたい毎日です。「本当にありがとうございます!」と。 |
2013(平成25年)4月8日(月)
復帰前第1便として、3月19日(火)に「日常つれづれ」を更新して、早くも3週間という日々が過ぎてしまいました。
花染の裏の小さな庭の山ぼうしの木が、主がいなくとも強くたくましく、あの熱かった9月10月を越え、例年にない冬の寒さを越え、芽吹き始めました。
あの山ぼうしはどうなるのか……とずっとずっと心配していましたので、心が躍る程、励まされました。 お客様の皆様からの優しい温かいたくさんの思いを頂きました。 こうして半年余り、私と花染が離れて初めて、お客様も花染を愛してくれていたことを知りました。これ程幸せなことはありません。 平成25年3月1日が、花染の30周年でした。舩木先生に記念展をして頂くつもりでしたが、人生には何度もこうして転ぶことがあるのですね。 お仕事上のある親しい男性から、3月23日にメールを頂きました。その中に「桜が毎年咲くように、1年日々暖かくなり寒くなり繰り返し、少しずつです。ゆっくり進みましょう。明日の事は誰にもわかりません。わからないから今日一日を繰り返し生きて、少しずつ良い日にしましょう。いつも何時も応援していますよ」桜の花も一緒に写メールしてくださっていました。 何か頑張っていた大きな綱が切れて、小さな綱が結ばれたような心地です。 「日常つれづれ」3月19日の便にも書かせて頂いたように、この数ヶ月はとても珍しく専業主婦でしたので、痩せてひょろひょろの体ではありましたが、毎日せっせと家事に勤しみました。 毎食、三食しっかり食事を作ることは、病んでいる私にとっては大変な事でしたが、お礼を伝えたかったのです。 こんなに毎日の生活を心地良く過ごさせてもらえる、作家の人々にも感謝をしたいと思いました。毎日、飽きることなく器を使わせて頂きました。
そして、かごの中の暮らしの中で、松山千春の澄み切った美しい声は、毎日毎日私を癒してくれました。本当に体調が悪い頃は音はすべてダメでしたが、先月HPを更新した頃から、飽きず1日一度……、二度、三度の日もありました。ジャケットも何度も何度も眺め、私が青春時代に魅了された姿にため息をついていました。
あのナイーブな容姿と重なって、その音色は、その時代でしか歌えない彼の姿でもあります。恋を歌う歌詞に聞き入ると、心がその時代に戻れたような気持ちにさせてくれました。 話は変わって、お雛様の4月3日、義姉が雛祭り弁当を携えて、松山から出て来てくれました。美しい彩りは、お弁当の中が既にお花見です。日本の美しい習慣です。 今週は、Aさんと義姉の二人が、花染の店の掃除とか片づけを一気にしてくれるそうです。明るくて楽しい、そして手際の良い二人ですので、仕事も順調に進んでくれると思っています。 たくさんの人達に支えて頂いて、辛い半年余りを乗り切りました。まだまだ何が起こるかわからないのが人生だろうと思います。 今後とも、どうぞ花染をよろしくお願い申し上げます。 |
2013(平成25年)3月19日
突然、店のシャッターを閉じたのが、昨年9月末頃でした。お客様、先生方、友人の方々にご心配をおかけしたまま失礼しています。 こんなに長い時間、月・日を家で過ごした事がなかったので、又、仕事とは違ういろいろの事が見えてきました。今後、折につけ「日常つれづれ」コーナーに書いていければ良いなぁ~と思う日々です。 夫との事は横に置いておく事にして、幼い頃からの父母・祖母、そして兄姉との遥か遠い思い出・絆など、懐かしく振り返り、感無量でした。父との思い出は「日常つれづれ」に何度か書いた事はありますが、母とのささやかな、又、とても重大な事柄に思いを致しました。 母は仕事を持つ女性でしたので、帰りは当然遅くなります。参観日も学校の行事もほとんど出ることは出来ませんでした。 辛抱強く優しい、よく働く母でした。昔の母親はどんなお仕事であろうと、一生懸命働いていました。今のように「ママ友達」その他の楽しみがたくさんある時代ではありませんでしたし、全くのアナログの時代でしたので、すべてが手仕事です。 兄が京都の大学から帰って来る日などは、ポテトサラダの用意です。(兄は、母のポテトサラダが大好きでした) 母の立つ台所で私も母を手伝いながら、料理を自然に覚えました。
それからは私も若かったので、自分の事で精一杯でしたが、何か失敗したり何か気がついた事を注意してくれました。 その間、父母も老いてゆき、私たちはたまに帰るだけで、兄や兄嫁さんの力を借りながら、母が父の面倒を見ました。 父は若い頃から良い物が好きだったので、母はかなり苦労をしたと思うし、十分、それまでにお返しはしていると思うのです。私は今も、この言葉は忘れません。父の最期まで大きな病気の時以外は、兄・義姉の助けを受けながら、家で丁寧な思いやりの中で、父は90才で亡くなりました。 その後、一人暮らしでした。膝も悪く、腰もかがんできても、生活の工夫を(義姉と私で笑ってしまうほど見事に)して暮らしていました。 「お母さん、100才まで一人で暮らせるヨ……」と言っていたのに、外へ出かけた折、転んで大腿骨骨折をして入院し、それをきっかけに施設に入居しました。兄と義姉が本当によく通い、優しく面倒を見てくれました。 施設も広々としたゆったりとした個室でしたので、そこでもよく本は読んでいました。 この3~4年程、私共の方に幾多の難題が起き、すっかり兄と義姉にお世話になりっぱなしでした。本当に心より感謝しています。 兄と義姉に手厚く介護してもらっていましたので、心は残りましたが、こちらに帰って来ました。 私にとって母の最期の姿は8月に会った母の顔です。でも、その方が良かったと今では思っています。母は最期まで認知症にはならなかったし、気丈な母でした。兄の家族が年末~お正月、私のために松山から出て来てくれた折に、義姉が言うには「本当に静かに眠るようだった……」と。義姉に「ありがとう、世話になったね……」と最後にお礼を言ったそうです。 94才でした。母の死は私の心の中にしっかり封印したはずでした。しかし、これを書きながら涙が止まりません。一気に封印したはずの母の死が現実となったのです。 義姉が「お義母さんは、外で私(義姉)の悪口は絶対言わなかった。気に入らない事もいっぱいあったと思うのに」と、とても嬉しい事を言ってくれました。 こんな個人的な事を書いて申し訳ありません。もっともっと辛い介護をしている人達がたくさんいらっしゃることでしょう。若くして亡くなる人も、年齢を重ねて亡くなる人も、闘病していらっしゃる方も、ご家族も、本当にお辛いお気持ちだと思います。 お雛様の頃には店を再開できるかな…と思っていましたのに、いろいろの事情でダメでした。
このお雛様は10数年前、とても素晴らしい古い布を沢山お持ちの方が作ってくださいました。小さな小さな気品のあるお雛様です。何でもですけれど「良い物」には品があり、見飽きる事がありません。 私も少し元気になり、今は専業主婦ですので、3食しっかり作り、しっかり食べて、体に肉を付けるようにしていますが、家の中の籠の鳥ですので、毎日せっせと片付け物をしています。食器棚の中も使わない物は捨てて、使いやすく整理して毎日見ていますが、本当に見飽きる事はありません。
店を再開する日のためのリハビリと思って家事に勤しんでいます。周りの人達は「あまり頑張ってはいけない…」と言われるのですが、これも性分、一日中動き回る事でだいぶん筋肉も付いてきましたし、この「日常つれづれ」も書く気力が生まれました。 又、近々このコーナーに毎日の食卓の一部を撮った写真を載せてみたいと思っています。一週間に一度、松山から義姉が食料や調理してくれた食品をクール宅急便で送ってくれるのです。それと、淀川生協より個配を以前よりしてもらっていたので、それらのもので毎日暮らしてきました。(夫は一月中頃、長い間の家事の疲れと心労で気力をなくしています。) ひょろひょろの体と足腰で家事をしなければいけない立場に追い込まれてしまったのです。その間、たくさんの知り合い、友達、特にAさんという方に……、もちろん義姉に、メチャクチャお世話になり、今現在の自分があるのです。 お客様にも随分心配して頂いています。心よりお礼申し上げます。 |