日常つれづれ(2013年)

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2013年

2013(平成25年)12月25日

紅葉も終わり、すっかり冬景色になりました。山茶花が家々の垣根を彩っています。何だか暖かい空気を頂くような気がします。
山茶花、山茶花、咲いた道・・・焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き・・・あたろうヨ、あたろうヨ・・・北風ピープー吹いている♪♪♪
こんな風景はもう見ることは出来ないのでしょうね!

 

街のイルミネーションを冬の風物詩にしようと、頑張っている姿が各地で見られますが、ここ島本でも阪急水無瀬駅からJR島本駅まで楠の木にイルミネーションが輝いています。
14~5年前、私を含む5人が自費で、阪急水無瀬駅前の桜の木、3~4本をイルミネーションで飾る事から始まったのです。
数年すると多少の寄付を頂けるようになりましたが、まだまだその当時は5人の力で飾り付けをしていました。
仕事が終わって夜、寒い中で、寒いとも思わず電飾を木の高い部分にまで引っ掛けていました。今考えると、若かったナァ……と感心してしまいます。私は体調不良のため、3~4年で会は退きましたが、年を追う毎に、島本ライオンズクラブ、商工会等、町内の人々のたくさんのお金が集まるようになり、少しずつ楠公道路を西へ、JR島本駅へとイルミネーションは進化していきました。
数年で仕事は町や商工会に委託をしましたが、継続は力なり…とは…。

 

大きな街や表参道とは比較になりませんが、始めた折のキャッチフレーズは「楠公道路を表参道の様に……。」でした。
写真は夕方6時頃の写真ですが、暗くなるともう少し光り輝くのではないかと思います。是非、このトンネルを走ってみて下さい。

どうにか無事、年末を迎えられそうです。昨年10月~今年4月まで事情で店を閉め、皆様にご心配を頂きましたが、やっと元気になったような気が致します。

この秋は、和食が「無形文化遺産」になるなど、とても嬉しい事もありました。和食と言っても、巾が広く受け止められていて、非常に難しいと思うのですが、美しい事が、そして又、日本人の心のこもった食文化でなくてはいけないと思うのです。これに乗じて、何でも和食と言ってしまおうという考え方には従えません。

食材を選び、美しく盛り付けをし、器もとても大切な要素になります。土物、磁器、ガラス、うるし等の器など、生活空間も関係してきてほしいのです。
部屋を片付け、美しい四季を大切に、目で見る空間も含まれていると思いますし、その上で、行儀、作法もある程度は心得てみる事も必要ではないでしょうか。外で食事をするとよく分かります。食事をする折は、まったく無防備なので、すべての生活、生き方、過去が見えて来るのです。私も気を付けたいといつも思っています。

食生活1ツとっても、日本の美しい心は生きているのです。
店で「たかが食器、されど食器!」と常に言っています。食事をなるべく手を抜かず、お気に入りの器に盛り付け、食卓を、空間を美しく、丁寧に暮らして欲しいのです。その為に頑張り続けた花染の店のような気がします。

12月14日だったと思うのですが、BSプレミアムで「京都迎賓館・極める京の技とおもてなし」をしていました。
京都「瓢亭」の高橋さんが「いつも外国の人々をお迎えする晩餐会はフランス料理のことが多いですが、やはり日本の料理、和の文化でおもてなし……。」という観点から、京都御所内に素晴らしい日本(京都)の匠たちが全身全霊を注ぎ込んで造られた建物、調度、その空間は見事です。こんな軽い言葉では言いがたい、筆舌に尽くしがたい感動でした。

京都33の花の家元が持ち回りで花を生け、料理も料亭が持ち回りで出張するのだそうですが、この心も筆舌に尽くしがたい「もてなし」で、一流の人々が持っている、一流の緊張感に、思わずのめり込んでしまいました。

「迎賓館を見守る会」というのがあって、年1回その匠たち(総勢130人程)が集合して、各自の仕事を見廻る姿に感動しました。
庭は全国の桜守りをしている佐野藤衛門さん。調度品のうるしのキズ、切り金のほどこしてある木戸など、隅々まで丹念にチェック、修復をして見守り続けるのです。
1時間程の番組でしたが、日本文化の匠達の先代、先々代、数百年と受け継がれてきた心と技に、何と奥の深い日本の四季、風土に心を奪われてしまいました。

その感動が醒めやらぬ、12月15日、NHK「『和食』おいしさの謎 世界がうなる究極の味▽ルーツは京都の四季絶品のお膳」を見入ってしまいましたが、メモを取らなかったので、細部に誤りがあるかもしれませんが、日本人が作り出した「オリゼ」という菌の不思議な物語です。千数百年前に、何かしら有害な菌を変化させ、突然変異をさせ、日本人が造った「花・オリゼの菌」、これが米麹を作り、味噌を発酵させ、酒を造り、そして又、又、かつおぶし、昆布の旨味になってゆく過程を映像にしていました。

 

京都に、この菌を培養して、数十代、一子相伝として栄々として続いている店がある事も初めて知りました。日本の匠はここにも生きていました。
きっと多くの人々もTVをご覧になり、感動をした事と思います。

和食が世界文化遺産になってから、次々和の文化を折につけTVでやっていますが、「目から鱗」がたびたびあります。

  

過去にもこういう番組はよく見ていましたので、少しは知っている事もありますが、今までにもまして「昆布とかつお」で上手く「出汁」をとって心を込めてお料理に対峙しようと思いました。

最後に番組内で「千年のミステリー」と言っていましたが、“極める”という事の凄さを実感させて頂きました。

  

日本は、日本人がもっともっと知らなくてはいけない事だとつくづく思い知らされます。

やはりNHKBSプレミアムで「小津安二郎・生誕110年・没後50年・映画に仕掛けられた謎」にも感銘を受けました。
世界が選ぶ監督No.1が今、小津安二郎なのです。
美しい昭和の世界が、彼の目線、美意識で計算され尽くした映像、カメラ、ディテール……にやはり驚いてしまいました。
私も大好きな監督で、再映があり、時間があればよく見ていましたし、美しい日本を映像から感じていました。
「何気ない日常を描く」しかし、そこには「人間を描く事で社会が見える」との彼の言葉が生きているのです。
こうして少しずつ私達に、日本人の感性の素晴らしさをもっともっと教えて欲しいと、つくづく思います。

「八重の桜」にも随分、多くの事を教えてもらいました。

話は変わります。
先月11月25日、堤清二氏が86才で亡くなったとの記事が29日に新聞で報じられていました。朝日新聞は幾日も続けて「文化」の欄に、彼についていろいろの人達が「悼む」言葉を書かれていました。

もちろん堤清二氏と言えばセゾングループを創り上げ、広告、コピーライター、アートディレクター、クリエイター等の存在を世に知らしめた一時代を確立した人でもあると思うのです。
「文化」の欄なのでかも知れませんが、「辻井喬」という名が前面に出され、財界人とは違った顔を出されていました。
私は20数年前、この「辻井喬」なる存在を知る事になった「虹の岬」という題名の本に出会ったのです。初めて彼の本を読みました。
ある種、ノンフィクション、戦前・戦後、住友No.2とまで言われた人の恋愛の記録、小説です。
人にお借りした本なので、手元にはありませんが、鮮烈に内容は記憶しています。その大物人物は短歌の歌人でもあった人です。戦後すぐの話だったのでしょう。

「老いらくの恋」と世間を騒がせた事件なのだそうですが、とても美しい心の、人生をかけた恋でした。

本を読んで後、数年して新聞に小さく、その女性が亡くなった……と横顔の写真の入った記事を見ました。何とも切なく清い気持ちがした事を、その当時、複雑な心境で読みました。

その後、辻井喬氏の作品には出会わず、知ってみると堤氏は「辻井喬」の自分の方がお好きだったのかな……と思います。たくさんの詩集・著作がある事を知りました。

文化人としてのお顔、経営者としての2つの中で、誠実で謙虚に、そして情念も持ち合わせた人であったのだと「辻井喬(堤清二)さんを悼む」から読み解く事が出来ました。

もう今年も残り6日になってしまいました。たくさんの方々に支えて頂いて花染は存在します。こんな嬉しい事はありません。
寒い年末年始になりそうです。どうぞ体調に留意なさってくださいませ。
本当にありがとうございました。そして、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(年始は7日から営業させて頂きます)




2013(平成25年)12月3日

もうカレンダーも1枚になってしまいました。紅葉真っ盛りで各地は愛でる人々でいっぱいになっている事でしょう。
島本も自然がいっぱいで、山々は今、絨毯を敷き詰めたように色・彩とりどり。とても美しい街です。
いつも若葉の頃、そして桜の頃、このページに掲載させて頂く場所で、今回は真っ赤なトンネルを撮りました。

                    

ちょっと撮影が遅かったようで、散りゆく寸前でした……。日本って何と美しい国なのでしょう。高倉健さんも、文化勲章の折に「日本人に生まれて良かった!」と表現されました。その意味に秘められたお母様の「しんぼうばい!」という言葉に象徴される裏打ちがあってこその日本の心だろうと思います。
グローバル化……と何でも声高に叫ばれるけれど、日本がなくしてはいけない物や仕事、そして人があります。それは日本人そのものがよく知らなくては、継続、持続していけません。日本の素晴らしさを日本人自身があまりにも理解してなさすぎです。悲しくなる程です。
よく聞く話の一ツに高校生、大学生が海外にホームステイに行って、そのステイ先の家族の人達に「日本の文化、歴史等」を聞かれて、実は何も知らない事に自分自身が驚く……と言います。社会人になって、海外に出張、滞在しても同じ事と思います。

先日、NHK「クローズアップ現代」で山崎豊子の秘められた内面、初めて公開されるご自宅、書斎…資料、取材の書類、テープ、DVD等の詰まった部屋が写し出されていました。まさしく身を削って走り続けた一生であったと思います。やはり、日本人の心、そして不条理を亡くなる1週間前まで書き続けられたそうです。何と言う事でしょう。感嘆の涙が、心の内から湧いてきます。

12月はクリスマス、お正月の準備に、とても気忙しい日々が続くと思います。プレゼントも「誰かくれないかナァ……」

                   

店も暖かい雰囲気にしたくて、店の表には花を寄せ植えし、自分でちょっと和む心地になっています。

                       

山茶花の花も舩木先生の花入れに差してみると、とても馴染んで大満足です。

                                

店の裏の千両の実も大きく紅く色づいて来ました。14~5年の木ですが、昨年はなぜか実が付かず心配していたのですが、今年は多くはありませんが、ちゃんと実ってくれました。

                               

稲葉直人さんの土鍋がたくさん届きました。彼の優しさそのものが伝わってきます。暖かいほっこりした土味の美しいフォルムの作品です。

                     

稲葉直人さんのページも更新しましたので、どうぞご覧下さいませ。
私にとってもこの季節は、彼の作品が我家の台所で大活躍です。おでん用の大きな鍋、水炊き用、少し小ぶりの湯豆腐用、そして一人用の鍋……などなどです。台所の天袋の戸を開けると、それらがずらりと彩り良く並んでいて、我ながら「よしよし!」と大満足です。心豊かな日々が送れると信じています。

お正月も、下手ではありますが、お重箱にお料理を詰めて自己満足です。お正月用の祝箸も花染に入りましたヨ。

                     
 

福珠窯のとても大好きな作品もお正月に向けて作りましたので見に来てください。

                                   

師走と言う通り、皆様お忙しく走り廻っている事と思いますが、どうぞお出かけ下さいませ。
寒い冬との予報ですので、どうぞ暖かくしてお健やかにお過ごし下さいますように……。

                                   

来年の事になりますが、新しい作家と出会いましたので、5月頃、小さな小さな展示会をしたいナァ……と思っています。一目で心惹かれた作品です。私も楽しみにしています。

                              
                                      インクビン 高さ12cm




2013(平成25年)11月2日

急に冷たい風が吹き始め、おどろく早さで秋がやって来ました。
天まで抜けるような青く清々しい、雲一つ無い空が晴れた日には見られます。こんな日が1日でも多く続いてくれる事を願います。

島本町もすっかり稲刈りが終わり、知り合いの農家から新米を頂き、美味しくホッコリと炊き上げました。ホンワリと湯気の上る様子は味覚の秋を感じさせてくれます。

稲を刈り取った後の田も又、いいものです。私達は子供の頃、その中で野球のような遊びを自由奔放にしていました。自然の中で日が暮れるまで遊びに興じていました。

今はそこかしこに金木犀の香りが満ち満ちています。きれいに刈り込まれている家もあれば、無造作に垣根にしているお家もあります。その中でも一番大きく美しく、沢山の花を付け、立派に刈り込まれているお宅の写真を撮らせていただきました。

                                

それはそれは見事です。いつも気になりながら通っていました。毎朝、近道をして、住宅街の中を自転車で走るのですが、常に折々季節を感じさせてくれます。

話は変わりますが、病院に通いながら、最近思う事があります。何と女医さんが多くなった事に目を見張ります。
女性の医師の美しい姿に、新しい時代と新しい社会の変化を感じます。女性の働く姿が強く、たくましく、そして優しくあってほしいと心から思います。

ところが、又、最近お客様の女医さんからお話をお聞きすると、「結婚で仕事を辞めざるを得なくなり、又、次に出産で辞めざるを得なくなる……」と。なかなか続けてゆく事が出来にくいお仕事なのだそうです。
耐え難い社会の不条理を抱え込んでいるのが、女性の働く姿だとすると、とても複雑な気持ちです。今更ではないけれど、身につまされてしまいます。

又、話は変わります。
2013(平成25年)9月12日の「日常つれづれ」に岡倉天心の事を少しだけ書きましたが、朝日新聞10月21日「文化の扉」のページに岡倉天心の事が掲載されていました。やはりすごい偉業を成し遂げ、現代まで継承されているのです。
「有名なのに、どんな功績を残したのか一言では言えない。そんな歴史上の人物の一人。日本美術の制度をたどると、多くがこの人に行き着く。目指したものは何だったのか。」(文章引用)

                         

何だか最近、彼にひっかかっていた気持ちがすっきりしました。何かしら私も「すごい人なのだナァ…」と思いつつ、過ぎていましたから……。
映画「天心」が11月16日から全国で順次公開されるのだそうです。この欄に天心について、また東京芸大についてのコメントを書いている箭内道彦氏が、私は大好きです。この人の天心像、東京芸大への思いに心を惹かれ、今回この「文化の扉」の頁を取り上げたようなものです。

                                   

箭内氏の風貌、感性、おしゃれ、言葉…どれをとっても大好きです。
4~5年前、NHKの夜遅い「トップランナー」というタイトルの番組でインタビュアーをしていました。
おしゃれがとても素敵で、小粋で小憎いのです。
私は芸術家然とした雰囲気の人は好きではありません。彼はとても言葉少なく、しかし的を得て魅力的でした。彼のおしゃれも楽しみでした。毎週見ていましたが、いつの間にか終わってしまいました。時々、何かしらの番組に出演なさったりしているお姿を拝見しますが、やはり魅力的です。広告関係のお仕事をなさっていらっしゃると思うのですが、おしゃれでクリエイティブなお仕事が目に浮かびます。

12月初めに細江氏の「木工・小品展」をさせて頂くつもりにしていましたが、都合により中止する事になりました。
家具もですが、器が出来るのを楽しみにして下さっていたお客様に申し訳なく思っております。
又、来年、展示会が出来ますよう、努力致したいと思います。

何かと気ぜわしくなってきました。今年も残り2ヶ月と思うと、早くもお正月料理の準備や心構えが必要になってきます。
うるしの器などもいつもの年末通り、お揃えしてありますので、折々見にいらして下さいませ。
干支の馬(午)も出来ましたヨ。

                            

可愛く、愛くるしい表情です。お待ち申し上げております。




2013(平成25年)10月5日

やはり9月も日中は残暑の厳しい毎日でした。空も空気も自然も確実に秋が来ているのに、気温だけが高く、弱った体に追い討ちをかけます。
島本に住んでいると、街の中にあっても、自然を至る所で感じさせてくれるのです。
3~4日前、散歩をしていていつもの畦道で彼岸花と稲穂が実る光景に、しばし足を留めました。彼岸花は終わりつつありましたが、これから10月半ばにかけて稲刈りが始まる事でしょう。

                    

1年がアッと言う間に過ぎ、10年が瞬く間に過ぎていきます。
先日、珍しく「報道ステーション」を見ていたら、政治ジャーナリスト、後藤兼次氏がお持ちになって来ていた本「ケネディ家の栄光と悲劇」に驚きました。「私も持っている……!」本棚にキチッと傷みもしないで立っていました。

キャロラインさんが駐日大使に…というニュースの折でした。私達は1963年11月22日のダラスでのあの日を忘れないでしょう。ケネディ大統領の死が頭の中に古い傷のように残像として今だ凍結されています。

その後、出版されたこの本を買い求め、ケネディ家のまさしく「栄光と悲劇」を夢中で読みました。今再びパラパラとめくって見ると、ケネディ家の結束、絶えず何かに挑戦している姿が浮かぶのです。

あとがきに訳者が書いている言葉が印象的でした。
「本書はこの一族の特性がどのようにして生まれたかを、世界の前に明らかにするために編集されたと言っていい。」……と書かれています。
本は1968年出版、AP通信社編・朝日新聞社訳です。

                     

時の流れは瞬く間です。
私がこの「日常つれづれ」のコーナーによく書かせて頂いていました山崎豊子氏も9月29日亡くなったと報道されました。
10月1日版にも2日版にも紙面に大きく追悼の言葉が掲載されていました。世の不条理をあれほどまでに深く、全精神・全人生をかけて追い、書き続けた事のエネルギーは何か?
その源は「学徒動員です。私の青春を返して。先に死んでいった人に対して生きている者として、やらなければならない事がある。」と語っています。
心の奥にすさまじい魂を持ち続けたのでしょうか。お疲れになられた事と思います。本当に安らかに……と祈らずにはいられません。今はこの重さに少々戸惑っています。本当にいつも心から尊敬していましたから……。

身の回りに何か楽しい事はないかナァ…と見回すと、ベランダの椿の木にたくさんの蕾が付いていました。

                             

秋は美しい紅葉のシーズンですが、何かはかなく淋しい季節です。
私は春の季節の方が好きですが、最近は春の穏やかな時期はほんのチョットで、冷たい季節からすぐ暑い季節になってしまうようです。
この蕾の椿が春に向けて大きくなり、膨らみ、花開くのを待ちましょう。
季節の変わり目にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいます事を心より祈っております。
暑さだけはなくなりましたので、又ゆっくりと私共までお出かけ下さいませ。心よりお待ち申し上げております。




2013(平成25年)9月12日

毎日暑い!暑いと言いながら8月も終わり、9月も半ばを過ぎようとしています。朝夕はチョッピリしのぎやすくなり、少し心身ともに安堵の面持ちです。

早い時期から猛暑、とてつもない風雨に、かつて日本になかった現象を見ます。地球全体が異常を発しているのだと思います。人類が不必要に欲深く進化しすぎるのです。

風を目で、景色で感じて欲しいと……。この夏は、こんなポジャギ風をたくさん作らせて頂きました。

                             

8月は、何故か今年は太平洋戦争にまつわるテレビ番組が例年になく多かったように思います。尖閣諸島からなのか?中国・韓国問題がこじれているからなのか。憲法9条発言からなのか……。はたまた戦争を知らない人々が人口の80%(?)を占めてきた危機感なのか?

私は戦争が人間をどのように変えるのか?ということに若い頃から興味を持ち、テレビ番組のドキュメンタリーをよく見ていました。

8月15日(敗戦)前後、12月8日(開戦)頃には、頻繁に放映されていましたが、いつ頃からか、多分、日本のバブル頃だと思うのですが、そのような番組が極端に少なくなり、わずかだけ遅い時間帯(夜中1時、2時)に残り……それでもよく見ていました。
それすら全くなくなってしまっていました。

新しいフィルムや事実や資料が出てくると検証され、放映される程度でした。
その中でも、最近(と言っても3~4年前)のもので、昭和天皇が8月15日、自らの声で国民に「敗戦」を告げるという……8月15日以前、1週間の内部で起こっていた事実の検証が音声と映像で映し出されていた番組は、とても興味深く見ました。それまで国民は天皇の声を聞いたことはなかったのだそうです。

私も戦後生まれですが、私達は現代史はあまり教わらないできたのです。日本史は明治時代までで、時間切れ!そして卒業してしまうのです。

日本の現代史を時間をとって教わることはとても大切なのではないでしょうか。過去から学び、本当の意味の愛国心を育ててゆかないと、美しい日本にはなりません。
美しい日本の文化を学ばせて頂きたいですね。

日曜日、朝9時(Eテレ)「日曜美術館」を是非1時間見てほしいのです。
戦争も文化も美術も文学も人物も……すべて一体のものです。直接、間接的に学ぶことができます。

1ヶ月半くらい前は「岡倉天心」でした。明治に入って日本中が西洋になびく中で、彼のとった行動と信念に感動します。歴史の時間にちょっと出てくるだけで、皆、お名前はよく知っていても、本当の意味の偉業と彼の人生はほとんど飛ばされます。

又、戦争も、絵を描くことで、戦争の悲哀を伝えることもあります。
8月4日放映の浜田知明の銅版画もそうです。1917年生まれ、16才で東京美術学校・油絵科に入学、その後、銅版画へ……。
中国北東部へ5年間兵隊として取られ、人間扱いされず、虫けらのように扱われ、殴られ、耐えられない自由のないことにいつも死にたいと思っていた……。と語られていました。
1952年、初年兵哀歌を発表し「いつもモチーフは人間のあり方だと……。」
もしも戦争に参加しなかったら、体験しなかったら、作風は違ったものになった…それを切り離して考えることは出来ない…と。

                          

その他にも香月泰男という、後年、自身のシベリア抑留体験を油彩で描き続けた作家もいます。とても素晴らしい色彩と奥の深い作品に戦争の「悪」を思い知らされます。山口県立美術館がたくさん蔵品しています。私の大好きな作家の1人です。

戦中、何らかの形で絵描きは戦争に荷担させられ、戦争画を描かざるを得ない事情を抱えた作家も数多くいらっしゃいます。ほとんど…と言っても過言ではないかもしれませんし、文学者も同じです。

戦争に駆り出され亡くなった若い命。そして戦争から帰還しても苦しみ続けた人々。戦争画を描かざるを得なかった絵描き、又、文学者の苦悩……。

先に書いた浜田知明氏も95歳になる今尚、肉体に刻まれた記憶の底から作品を製作し続け、戦争の「悪」を静かに訴え続けていらっしゃるのだと拝見致しました。

                      

浜田氏の姿は哲学者のようでもあり、私達の心を打つのです。
熊本県立美術館に345点収蔵されているそうです。

あらゆることをこの「日曜美術館」は教えてくれますし、この番組をきっかけに自分でもっともっと先へ進んで行くことも出来るのです。
私は毎週かじりつくように一生懸命(?)見ています。一流の人達の解説付きですから、尚勉強になります。

時が過ぎる程、その偉さが分かり、賢い人だけれど使う言葉はごくごく簡単、それでいて謙虚な表情をしています。素晴らしいことだと思います。
又、素晴らしい人達は何故このように魅力あふれる言葉を持っているのでしょう。
既にこの番組のファンの方々もたくさんおありの事とは思います。

新聞・日曜日の『読書』の本の紹介等の頁が大好きです。出版される本は数限りなく……。しかしこのページの「評」を読むと何だか楽しいおもちゃ箱のようにあらゆるジャンルの本の「評」がプロの手(大学の先生・作家・詩人・社会学者・ジャーナリスト・美術館主任などなど)で書かれていて、空想するだけでも興味深いのです。

                          

「へぇ~」と思いながら読んで楽しむ時の方がはるかに多いのですが、参考にして本を買うこともあります。
でも年と共に集中力が衰え、眼も疲れやすくなり、スピードが落ちてしまって、あまりたくさんの本は読めなくなりました。
私は熟読するタイプの人間なので、なかなか頁が進みません。美しい日本語、的確な表現と、人を引き込む文章力を学ばせて頂きたいです。

9月も残暑が厳しいとのことです。昨年は10月も初旬は暑かった記憶があります。季節が二極化してしまいそうです。私の店の植物も亜熱帯の観葉植物は生き生きと葉を繁らせていますが、他の植物は皆、元気がありません。懸命に手入れをして可愛がるのですが、ダメになるものもあります。

                               

真夏に誇らしげに咲いていたさるすべりの木も、さすがに9月にもなると勢いをなくし、もう終わりかな~と感じます。
その意味でも確実に秋は来ているのですが……。

9月に入ってすぐ「山村御流いけばな展」を拝見に行きました。会場は既に秋の訪れです。毎回写真を1枚でも撮りたいと思うのですが、×なのです。

花と花器が一体となり、思わずため息が出ます。日本人の感性が誇らしくなります。
花器も、焼きしめ、白磁、青磁、染付、織部、志野、信楽、ガラス、塗り物、籠……ありとあらゆる器が、すべて超一流なのです。
私はこれが仕事なので、見とれてしまいます。

花は「野にあるごとく」小さな花や枝が見事な空間を作っています。

                                

はぜ、柿、りんどう、秋明菊、つるりんどう、金水引、あざみ、からすうり、松虫草、風船かずら、とくさ、藤ばかま、ひともとすすき、ききょう、小鬼ゆり、三つ葉つつじ、シャガ、河原なでしこ、さんしゅゆ、百日草、のしめらん、三帰来、カリン、吾亦紅、女郎花、山ほうし、笹葉りんどう、高野白王、小えび草、ほととぎす、栗、なつめ、らん、かりかね草、姫りんご、山しゃくやく、さぎ草、どうだんつつじ、ベル鉄せん、月見草、さつき、秋海棠、ざくろ、梅もどき……まだまだ……思い当たる花だけ書きましたが、名を知らない枝もの、花も、すべてが小さな宇宙を作り、静かな世界に連れて行ってくれるのです。

お家元の小さな茶入れのような蓋物(編み込まれたものでした)に水ぎほうしが極限の姿で生けられているのです。
花器、花共にしても、12~13センチの宇宙です。

花の名を連ねたのは、こんな楚々とした花に魅せられる日本人であって良かった…と思ってしまうからです。

12月初めに(12/3~12/7)「木工・小品展」をしたいと思っています。今から何を作り、ご覧頂こうかナァ…と楽しみに企画をしています。

                         

いろいろの椅子・お膳・額・小引出し・お茶托・お盆・器・スプーン・鏡・皿立て等々。何が良いのでしょうかネェ…。

常設の花染も楽しくていいものですよ。ゆっくり作品を見て頂けます。遊びにいらして下さいませ。花染の看板も一新!変わりましたよヨ。



2013(平成25年)7月31日

「毎日、暑いですね!」が人との挨拶になっています。毎年、「例年になく……」が続き、暑さも雨の降水量も異常です。何がこのような地球の気候にしてしまったのでしょうか。

暑い夏は、恒例の京都の祇園祭の「コンコンチキチンコンチキチン」のお囃子で明け暮れます。17日の山鉾順行に先駆けて、京都の商家・町衆はそれ以前から、その後も行事が立て続けです。

この近辺の人々は、祇園祭は毎年の行事なので、当たり前のように感じていると思うのですが、全国から観光客が集まり、京都の街はごった返すのです。
宵々山も宵山も本番順行も、今年は天気に恵まれ、多くの人々がこの神聖な祭に魅せられた事と思います。

私も毎年、長刀鉾のちまきを買って玄関に掛けます。我家の恒例です。15(月)に求めに出かけました。

山鉾の順行の順番は「クジ」で決まるのですが、長刀鉾は必ず先頭を切るのです。山と鉾(33あると言います)それに加えて傘。長い長い順行が始まります。

             

長刀鉾にだけ、生稚児さんが乗って、舞い、神とこの世の境の綱を刀で切るのです。一番大切な仕事なのだそうです。切った瞬間、歓声が上がります。

              

選ばれる事は名誉であり、その生稚児さんは1ヵ月程、男手だけの中で生活し、身を清め、この綱切りをする準備をするのです。歴史の申し合わせの中で、本当にたくさんの人々の力で、このお祭りは神聖に執り行われるのです。

江戸時代の洛中洛外図屏風にも祇園祭は描かれています。順行の順番の「くじあらため」の儀式も見せ場の一つです。それぞれの山と鉾が「くじあらため所」で「くじあらため」を行います。

              

次のクライマックスは、四条河原町の交差点を回る辻回し。路に竹を敷いて、山鉾を少しずつ3回で方向転換をし、直角に回転させるのです。竹に水をかけながらすべて人力で行われます。
それぞれの山鉾によって辻回しの竹はそれぞれが用意し、種類も異なるのだそうです。
長刀鉾でお囃子の人数が50人程乗っているので、かなりの重さだと思います。ギシギシと大きくきしむ音がします。

                  

四条通り、河原町まではゆっくり順行し、辻回しが終わり、河原町からはお囃子のリズムが変わり、徐々にテンポを上げ、御池通りは一層早く順行し、それぞれの鉾町へ帰って行くのです。
四条通り、八坂祇園さんの見える通りはお囃子は神に奉納する「わたりばやし」。それが終わると「のぼりばやし」になるとの事です。

その間は、絢爛豪華、厳かで、観客を魅了するもので覆われ、それぞれの山鉾が見せ場を作り、タペストリー(織物はヨーロッパ、中国、日本…)に工夫をしたり、新調したりして競うのです。
見せ場がいっぱいあってゆっくり見ていられません。そのために宵山などがあり、それぞれの鉾町でゆっくり見れるようにしているのです。

蟷螂山のからくりかまきりが愛嬌を振りまきます。とても人気のある鉾なのだそうです。「ちまき」にもかまきりが付いています。

                          

四条河原町の大きなステージで行われる「棒ふり踊り」は、笛と太鼓のエリート達が、八坂神社に向かって奉納する踊りです。絶対に棒は落としてはいけないそうですが、すごいプレッシャーだと思います。

     

戦後、次々に昔の山や鉾が歴史に忠実に再現され、増えているそうです。

子供達も子供の頃からお父さんに憧れ、笛や太鼓を習い、町衆の中で大きく成長し、次の世代に引き継がれていくのです。それぞれの鉾町へ帰ると、いち早く解体してしまうのだそうです。皆の無病息災を願って疫を取り込んだものを早く解体することで、「疫」を払ってしまうのだと言います。

7月いっぱいは行事(花傘鉾・さぎ舞い)が目白押しです。
京都の町衆の心意気は、毎年目を見張ります。たぶん、1年がそのためにあるのでは…という程です。
もっと本気で勉強させて頂くと、さらに面白いと思うのですが……。
なかなかそこまで行き着きません。毎年、中途半端なもので終わってしまいます。

小さな涼しい風が欲しい!方々から吐き出されるエアコンの熱風。何とも悪循環です。生活空間を夏向きに設えて、目で風を見たり、爽やかな暖簾をかけて見たり……。

                           

何か工夫をしないと夏の暑さは過ごせません。
真夏日といわれる日数は、過去の3倍になっているそうです。店も朝はまず表玄関側と裏に水をまきます。一瞬ですが、爽やかな風が渡り、目に涼やかです。

店の内部も舩木先生のガラスを前面に出して、少しでも空気を爽やかに……と心がけます。

お客様が自家栽培の夏野菜をくださったりお花をくださったりするので、しっかり野菜を組み込んだ料理を作り、夏バテに対抗するしかないですね。

                          

島本町は、まだまだ水が冷たくて美味しいので、助かっています。

この所、ちょっとテレビを見る余裕ができて、1ヵ月程前から「八重の桜」と「妻はくノ一」を見ています。切なく美しく、一生懸命見ています。良きにつけ悪しきにつけ、日本独特の死生観がすべてドラマを引っ張っています。
背景にあるものは日本文化。素晴らしい仕事であふれ、今のドラマにはない伝統に培われた一流のものが、当たり前のように画面を彩ります。

たかが数十年、戦後、超特急で失われた事が残念でなりません。障子を通して差し込む光。ほのかに明るい光と影。煌々と照らされる蛍光灯の明かりに、私は戸惑ってしまうのです。ほの暗い中が一番心癒されます。谷崎潤一郎『陰影礼讃』という本がある程、それが日本の生活なのです。

いつも「不便が良い…」と私は書きますが、不便だからこそ人間は工夫をするのです。便利と経済至上主義はいけません。
新聞に「限界日本」が連載されていましたが、「アマゾン」の倉庫で発注された本や物を、機械のように探す人々の話(それも、派遣、出向社員…)が載っていましたが、本は本屋さんでくるくる回りながら、他の本も手に取り楽しみながら探すのです。時には、目的ではない分野の本を買って帰ったり……。そこに(本屋さんに)人の雇用が生じます。物は正規の値段で買うのです。無駄が人間には必要です。

私が高校を卒業する時、現代国語の先生が黒板に「無用の用」と大きく書いて、忘れないように……とおっしゃった事を私は今でもよく覚えています。一見無用に見える事が、長い年月をかけて、その人の血となり肉となり、深いひだを作るのだと思います。
いつも忘れた事はありません。

話は変わって、宮崎駿氏のアニメ「風立ちぬ」を見たいナァ……と思っている今日この頃です。
若い頃読んだこの本の中の女性、菜穂子さんのイメージがずっと私の中の軽井沢のイメージです。軽井沢は二度行きましたが、若気の至り……。走り回って慌しい時間にしてしまいました。

年を経て、ゆっくり菜穂子さんのイメージの軽井沢をもう一度味わいたいと思います。この暑い夏の軽井沢もいいでしょうが(二度とも夏に行きました)、冬の軽井沢も行ってみたいと思っています。

まとまりのない「日常つれづれ」になりましたが、つらつら思うままです。
夏休み、ご旅行をなさるお元気な方も、お家でお過ごしになる方もお気をつけて。この猛暑を乗り切りたいですね。
店を涼しくしてお待ち致しております。




2013(平成25年)6月28日

こんなに毎日の温度差がある夏も珍しいのではないでしょうか。
毎日、天気予報をしっかり見ながらの暮らしです。
着る物を間違えば暑いし、薄着をしてしまうと寒いし……。雨が降るというと局地的に大雨ですし、降らないというと街路樹がひからびそうですし……。

島本町はまだまだ緑が空気が爽やかです。
京都線の水無瀬又は島本駅辺りに来ると、間近に山が迫り、山崎、長岡天神駅へ続くのです。大山崎、そして円明寺辺りまで、山がすぐそばです。その辺りにはかの有名な天王山もそびえ立っています。

緑に包まれ、真夏とは違う緑のイオンを含んだヒヤリとした風が吹いています。
前回(6月6日・日常つれづれ)に、「燕も蛙も見なくなった」と書きましたが、燕も飛んでいます。蛙も鳴いています。本当に自然の大切さを実感します。

                              

便利な社会になってゆく怖さを感じる昨今ですが、人間が本来持っている五感で物を見、五感・六感で探り当てる楽しさも大切にしてほしいと思います。

先日、友達が庭に咲いた花で花束を作って持って来てくれました。なんと楚々とした風情でしょう。
川原なでしこ、そしてチョコレートコスモス。
チョコレートコスモスは、初めて見る花でした。直径2~3cmのチョコレートの香りのする愛らしさがとっても素敵でした。感謝、感謝です。

                              

単純ほど良い物はない。素朴ほど良い物はない。不便なほど良い物はない…という事を片手に握り締め、もう片手で今の時代を生きていってほしいと思います。
私達、老齢期に入ると、特に、単純、素朴、不便を信条として、清潔で心地よい暮らしを目指したいと切望しています。

今、参議院選挙に向けて、世の中が騒がしくなりつつあります。安部総理の改革も、私達国民には本当のところはわかりません。新聞の下の本の広告欄を見ると、賛成と反対が入り混じって出版されています。

6/22(土)朝日新聞の天声人語に、国の行政改革に熱を注いだ土光敏夫氏のことが書かれていました。

(以下は天声人語の引用)
土光さんが執念を燃やしたのは「増税なき財政再建」だった。借金大国を嘆き行革を進めた。「おれは、4、5年もしたら地獄の釜の底にいるだろう。君たちが日本をどう動かすか見ているぞ」と政治家や官僚に言っていた。

と書かれていました。私が何かの折にメモした土光さんの「自分の火種は自分でつけろ。日に新たなり、日々に新たなり」の言葉を思い出しました。

話は変わります。
今週23日のNHK「日曜美術館」神田日勝・半分で途切れた黒い馬・32才で夭折▼未完だからこそ輝く謎の傑作……。を放映していました。

生きる事の苦悩、描く事の苦悩。懸命に生きる事の素晴らしさを教えてもらいました。

この「黒い馬・未完の作品」を蔵品している窪島誠一郎氏が解説をしていました。素晴らしい人の言葉、感性に私達は感動するのです。

窪島誠一郎氏は長野県上田市で「無言館」と「信濃デッサン館」の館主をしています。
若くして、又、美術学生のまま戦争に出征した人達が最後の日まで描き続けた絵や、戦地から家族に送った絵手紙などを全国を回って収集し、そして又、夭折した画家の作品などを集めて、美術館を運営しています。

彼は、私の中に、もう一つの感動を与えてくれた人です。それは実の親を求めて歩いた日々を書き綴った「父への手紙」です。

                            

(引用)
貧しいけれど平和な家庭。やさしい両親――。しかし、どこかに違和感がある。ある時、ふとしたことから、自分は、両親の本当の子ではないのでは?との疑いがよぎる。成長するにつれて、疑いはますます深まり、ついに確証をつかむ。北へ西へ、父さがしの日々年々が続き、旅の果て行きついた真実は……。作家・水上勉氏の実子として話題をよんだ、著者の驚くべき日々の記録。

                           

とあります。この本が出版されたのは、1981年とありますが、これ以前に、確か1970年代前半に週刊朝日で親子対面記事が載っていて、それを読んだ事から、私は彼に興味を持ったのです。
その頃私は、水上勉の本を次々とたくさん読んでいる頃でした。その後、この本が出版され、ただちに買い求めて以来、ずっと彼の有様は見ていました。

この本のあとがきに、「父の家族の事。そこに生じた新しい波紋など、次の宿題にしたい。

                           

特にめぐりあった母のことを書いてみたい」と。
この続きが「明大前」へと引き継がれてゆくのです。
偶然であり、又、必然である、人と人とのめぐり合わせ、えにしは何と深いものなのか。私達凡人の人生の中にも不思議なめぐり合わせ、えにしは数々あります。
どうぞ昔の本ですが、2冊ともぜひ読んでみてください。年を重ねると尚、生きる事の機微を考えさせられる本です。
「無言館」も「信濃デッサン館」も、運営が非常に厳しい、とお聞きしたことがあります。上田市近辺へ旅をする折には、是非入館してください。人間の美しさ、哀しさ、真心、そして優しさに感動し、忘れられない思い出となると思います。

                             

柴田さんの作品が少し入ってきました。コーヒー&ソーサー、マグカップ、ポットなどです。

                               

                       手前から ★舩木倭帆氏の銘々皿・お菓子(京都・永楽屋の琥珀)
                                    ★柴田雅章氏 ティーカップ  ★浄法寺漆器 椿皿
                                    ★奥 柴田氏の紅茶・コーヒーカップ&ソーサー、ポットなど
                                    ★敷物(古布)藍・更紗ティーマット

夏には涼しげな藍の染付の作品もいいものです。
白い素地の磁器には、土物にはない爽やかな色香があります。この季節には土物の作品に合わせて食卓を彩るのも又、風情です。

                   

                            手前から ★桃形箸置・黒檀・拭き漆箸  ★双鹿文芙蓉手小判皿
                                   ★柴田氏 白掛線文台付皿  ★舩木倭帆氏 ワイングラス
                                   ★VOCティーカップ ★阿部眞士・色絵蓋物
                                   ★細江氏 拭き漆茶托(栗)  ★奥 柴田氏 スリップウェア長皿

これから来るであろう暑い夏を乗り切らなくてはいけません。せめて猛暑だけは堪忍してほしいと思います。
この梅雨の雨が災害とならず、恵みの雨となってくれる事を切に願っています。

遊びにいらして下さいね。心よりお待ちいたしております。

2013(平成25年)6月6日

今年は早くから梅雨入りでした。季節は移ろって行きますが、日本にある季節はとても素晴らしい変化を私達に与えてくれています。田には水が引かれ、そこかしこで田植えが始まりました。

                            

年々、燕の飛ぶ姿も見なくなり、蛙の鳴き声も聞かなくなってきました。でもまだここ島本町は山が迫っていて、夕方、陽が沈むと、冷たい風が山側から吹き込んできます。

松山千春の歌詞の中に「僕が好きなものは、青い青い空の色と夏の風に全てまかせた君の長い長い髪……」というのがあります。
青い青い空……という歌詞に心惹かれ、初夏の透明であまりに美しい空と雲に思わずシャッターを切りました。

                       

今は、ほぼ毎日が家と店との往復で、仕事をし、家事をこなし、きっちりとした食事を作り、家を片付け、清潔に暮らすことが、最大の私のエネルギーの使われる部分です。
よって、他の事はほとんど出来ません。すぐ疲労が重なり、体調を崩すことになりそうなので……。

これだけでも今の私には手一杯状態で、活字は必要な新聞を読むくらいのことしか出来ません。テレビもNHKを少し見るだけの暮らしです。次の生活のために、新聞に掲載されている本の広告を見ては切り抜いています。

その中に、山本兼一『花鳥の夢』というのがありました。以前この「日常つれづれ」(2009年12月11日)の中に山本兼一『利休にたずねよ』の事を書いた事があります。その作者です。

                                   

『利休にたずねよ』の本の帯に「おのれの美学だけで天下人・秀吉と対峙した男・千利休の鮮烈なる恋、そして死。」「わしが額ずくのは、美しいものだけだ。」と書かれています。歴史書であり、時代小説であるがゆえに、わくわくする程おもしろく、一気に引き込まれていくのです。

この度は、天才絵師・狩野永徳です。名作「洛中洛外図」で時代の頂点に上るのです。秀吉に愛されるも長谷川等伯(これも2010年4月30日のこのページに書きました)への嫉妬を抑えられず、歓喜と煩悩の中で苦しみ続けたのだと思います。
本の広告の中に「絵を描く事は苦しみなのか?」と書かれていました。
私の知る限りですが、俗に等伯への嫉妬と御用絵師の座への執着と脅えの中で等伯の子息・久蔵を暗殺したとも言われています。

私は長谷川等伯の「松林図屏風」の中に日本人のもつ「哀しさと美しさ」が全て込められている気がするのです。等伯が久蔵を亡くし、悲嘆にくれる姿がせつなく胸に迫ります。
 
                          

まず元気が出たら読みたいと思う本の一冊です。本を読む事は大好きですし、日本文化は世界に誇る素晴らしいものです。とても楽しみにしています。

日本人自身が素晴らしい日本の文化、風土をよく学び、風情(わび・さび)の分かる人類である事に自信を持ってほしいと願っています。
もうこれで良いのではないかと思うほど、どんどん進化しなければいけないものなのでしょうか?どこまで競争が続くのでしょうか?心の豊かな毎日を暮らしているのでしょうか?その先にあるものは破滅のような気がします。

高度成長の時代を過ぎた頃から日本人は変わってしまったようです。家族の姿が変貌し、「身の丈に合った暮らしを幸せ」という事を忘れてしまったようです。
世界がグローバル化する程に、そんな悠長な事は言っていられないのでしょうか。声高に語らずとも日本人の英知、能力はたぶん外国の人々も認めている事だと思います。

先日、6月2日のNHK「日曜美術館・夏目漱石・小説を彩る数々の名画」「草枕・三四郎を絵で読む」というタイトルの番組がありました。
若い若い高校生の頃から夏目漱石は大好きでしたが、年を重ね20歳を過ぎる頃には、「何かそんな事を言っていると青臭い気がして……」あまり「愛読書」とは人に言わなくなっていました。しかし、やはりすごい文豪なのです。番組を見ながら改めて漱石が好きな自分が好きになりました。

                             

本棚でひっそりとしている夏目漱石全集をめくってみたくなりました。数年前にも一度漱石を読み始めた事があったのですが、『それから』で挫折してしまいました。
私は昔から哲学書は読まなくても、小説の中に哲学はある……と思っていました。難しい哲学書が苦手な言い訳かもしれません。

たくさんの人達に支えられ、寄りかからせて頂き、再生した花染をゆっくりと、時代に逆行するかもしれないですが、人の心を豊かに満たす仕事にして行ける事を心したいと思います。

新聞の片隅に柳宗悦の言葉がありました。「無事の美」「正しい工藝」、この言葉は彼を語る時、よく表現される工芸への姿勢ですが、改めて確信した思いがします。
幾つになっても大きくなくてもいい、小さな夢を持ち続ける事が周りの人達、しいては自分を安らかにさせる事につながるという事を知りました。人に助けてもらっている事の大切さも知りました。

朝日新聞夕刊に「人生の贈り物」というコーナーがあります。取り上げられる方々は、どなたもすごい説得力のある人生を歩んでおられます。その中で『氷点』を書いた三浦綾子と三浦光世氏ご夫婦の人生がありました。この事も書いてみようと思っていたのですが、長くなりますので今回はやめることにします。この見事な夫婦の愛を言葉にする事は難しいかもしれません。もちろんこれを読んだ方もたくさんいらっしゃる事と思います。

                                 

『天北原野』も彼女の作品である事にも驚きました。ネットで調べればわかる事だし、私の本棚を探せば分かったことだったのでしょうが、いつもこの本の内容は私の心に引っかかっていました。
2年前の東日本大震災後から綾子さんの作品は復刊が相次いでいるそうです。『天北原野』も含めて7作になったそうです。大災害の被害や自殺者の増加、暴力、虐待など、生きにくい世の中にあって、彼女が書き続けた「人はいかに生きるか」「苦難とどう立ち向かうか」というテーマが読者に求められているのではないかと、このコーナーには書かれていました。本当に納得する文面でした。

展示会はしばらくは休みます。
常設の1階でいろいろ作品を展開していくことに致します。舩木先生の作品も柴田先生の作品も若い作家の人達の作品もたくさん集まっています。

                 

                 

                

                

最近この白い器を持って帰りました。真っ白ではありません。中に向かって青味を帯びた艶やかな、初夏にぴったりの器です。 17cm角です。

                           

パプリカ、人参、大根、エリンギ、玉ネギ、キュウリ……、何でも切って、優しいお酢に漬け込むのです。エリンギだけは電子レンジでチンさせます。
全て生で美味しく頂けます。常備食としてたくさん作ります。(これは義姉に教えてもらいました)
美しいケーキなどはこのお皿と抜群の相性です。

「2013.4.26」のこのコーナーに竹の子寿しの事を書きましたが、

                         

                         よこわのお造り(作品は舩木倭帆氏)
                         美味しいあなごが手に入ったので、あなごと竹の子寿しです。
                         (作品は石飛勝久氏)・白磁フチ・筒がき7.5寸皿

舩木先生のグラスにビールを入れて頂きたいですね。(在庫有り)

                   

                   

行き届かない事も許して頂きながら、ゆっくりと仕事をしていければと願っています。
どうぞお遊びのつもりでお出かけ下さいませ。


2013(平成25年)4月26日(金)

今年の桜は私にとって、ちょっぴり儚げに見えました。散りゆく花吹雪を見ながら、これが散り、みずみずしい若葉に変わる頃には店を再開しようと心に決め、数々の段取りを進めました。

季節は変わります。
新緑に包まれはじめた4月16日(火)、花染を再開致しました。たくさんの人々に応援して頂いて、やっとここまで来ました。再開して10日程が過ぎようとしています。
暖かい日差しに救われ、元気に出発させて頂きました。

裏の小さな庭も、生き生きとした新緑で私を励ましてくれています。二葉葵のハート形の葉は、いかにも微笑んでいるかに見えます。椿の若い葉も、新しく植えた草花も、本当に新鮮です。

                   

庭も荒れ、店内の観葉植物も悲惨な状況でしたが、新しく買い揃え、細部の準備をしてみると、全く空白だった半年余りが嘘のように元の花染の姿になりました。

植物を触っている私は幸せなのです。アア……、本当にさりげないものが好きなのだナァ……。としみじみ楽しませてもらいました。

もちろん店も大好きだけれど、こうして植物を触っている時は、又、格別に心が安らぎ元気になるのです。

メダカも堺の友達の家から嫁にもらいました。買えばいくらでもいるのですが、やはり、いつも友達の家から頂くのです。
赤いメダカが3匹、黒メダカが3匹。ピチピチ泳いでいます。

                         

島本町の景色もすっかり春から初夏に向けて移ろって行こうとしています。
美味しい竹の子もいつもの方からお分け頂いて、堪能させてもらいましたが、最後に竹の子寿司を美しく、美味しく作りたいと思っています。

この地区の竹の子は今年は不作だったようですし、「様子もおかしい!」と農家の方も不思議がっています。年々、環境が厳しくなっているからでしょうか?
自然や人の心が歩調を合わせ共存する町であってほしいと心より願っています。

3月1日は、花染の30周年でした。舩木先生の展示会での記念展は出来ませんでしたが、花染にはとてもたくさんの先生の作品が常設されています。ご遠方から来られた方々は驚かれます。

先生の作品を愛した30余年でしたし、いつも作品が私の側で輝いている事は、とても幸せな店だと思っています。
作品はまだまだたくさん在庫していますので、是非いらして下さいませ。

この10日間、お客様も次々とお立ち寄り下さって、本当に心配してくれていた優しいお気持ちをたくさん受け取らせて頂きました。

皆に……、たくさんの皆様に感謝の気持ちでいっぱいですし、天に向かって叫びたい毎日です。「本当にありがとうございます!」と。





2013(平成25年)4月8日(月)

復帰前第1便として、3月19日(火)に「日常つれづれ」を更新して、早くも3週間という日々が過ぎてしまいました。
桜の咲く頃には再開したいと心づもりをしていましたが、叶わず、今度こそは水無瀬の桜が散り終わる頃には、花染の店に再び立つことができると思っています。

                         

花染の裏の小さな庭の山ぼうしの木が、主がいなくとも強くたくましく、あの熱かった9月10月を越え、例年にない冬の寒さを越え、芽吹き始めました。

                              

あの山ぼうしはどうなるのか……とずっとずっと心配していましたので、心が躍る程、励まされました。

お客様の皆様からの優しい温かいたくさんの思いを頂きました。
手前味噌ではありますが、日々精一杯仕事をさせて頂いたつもりではありましたが、一人で出来ることには限界があります。ご迷惑や不愉快な思いをなさったり、心配りが足りない面も多々あったことと思うのですが、努力だけは一生懸命させて頂いた30年間だったと思っています。

こうして半年余り、私と花染が離れて初めて、お客様も花染を愛してくれていたことを知りました。これ程幸せなことはありません。

平成25年3月1日が、花染の30周年でした。舩木先生に記念展をして頂くつもりでしたが、人生には何度もこうして転ぶことがあるのですね。

お仕事上のある親しい男性から、3月23日にメールを頂きました。その中に「桜が毎年咲くように、1年日々暖かくなり寒くなり繰り返し、少しずつです。ゆっくり進みましょう。明日の事は誰にもわかりません。わからないから今日一日を繰り返し生きて、少しずつ良い日にしましょう。いつも何時も応援していますよ」桜の花も一緒に写メールしてくださっていました。
思わず泣きました。最近は涙もろくなってしまいました。

何か頑張っていた大きな綱が切れて、小さな綱が結ばれたような心地です。
お客様、先生方、お知り合い、そして友達などの皆様に支えて頂き、寄りかからせて頂きながら、「花染」を可愛がってやりたいと思っている日々です。

「日常つれづれ」3月19日の便にも書かせて頂いたように、この数ヶ月はとても珍しく専業主婦でしたので、痩せてひょろひょろの体ではありましたが、毎日せっせと家事に勤しみました。
1週間に一度、松山から届く義姉からのクール宅急便の「食べ物」と、Aさんが美しく作ってくれるお弁当や食材、それと生協の食材を、あらん限りの工夫を凝らして、毎日三食の食事をたっぷりバランスを考えて作っている内に、お二人、友人達への感謝も込めて、写真を撮ろうと思い立ちました。この間にも、遠くにいる友人達から心温まる応援を頂きました。

毎食、三食しっかり食事を作ることは、病んでいる私にとっては大変な事でしたが、お礼を伝えたかったのです。
又、手前味噌ではありますが、「花染」の器は本当に私に勇気を付けてくれました。そして、とても豊かでした。

こんなに毎日の生活を心地良く過ごさせてもらえる、作家の人々にも感謝をしたいと思いました。毎日、飽きることなく器を使わせて頂きました。

               

               

              

そして、かごの中の暮らしの中で、松山千春の澄み切った美しい声は、毎日毎日私を癒してくれました。本当に体調が悪い頃は音はすべてダメでしたが、先月HPを更新した頃から、飽きず1日一度……、二度、三度の日もありました。ジャケットも何度も何度も眺め、私が青春時代に魅了された姿にため息をついていました。

         

あのナイーブな容姿と重なって、その音色は、その時代でしか歌えない彼の姿でもあります。恋を歌う歌詞に聞き入ると、心がその時代に戻れたような気持ちにさせてくれました。
いろいろのCDも暮らしのバックミュージックにしていましたが、やはり松山千春です。今でも毎日のように聞いています。

話は変わって、お雛様の4月3日、義姉が雛祭り弁当を携えて、松山から出て来てくれました。美しい彩りは、お弁当の中が既にお花見です。日本の美しい習慣です。

今週は、Aさんと義姉の二人が、花染の店の掃除とか片づけを一気にしてくれるそうです。明るくて楽しい、そして手際の良い二人ですので、仕事も順調に進んでくれると思っています。

たくさんの人達に支えて頂いて、辛い半年余りを乗り切りました。まだまだ何が起こるかわからないのが人生だろうと思います。
やっとここまで来た……というのが実感です。

今後とも、どうぞ花染をよろしくお願い申し上げます。




2013(平成25年)3月19日

突然、店のシャッターを閉じたのが、昨年9月末頃でした。お客様、先生方、友人の方々にご心配をおかけしたまま失礼しています。
お電話・お手紙を頂いたりしましたのに、何もお返事もしなくて、本当に不義理の限りです。心よりお詫び申し上げます。体調不良によるものとお許し下さいませ。

こんなに長い時間、月・日を家で過ごした事がなかったので、又、仕事とは違ういろいろの事が見えてきました。今後、折につけ「日常つれづれ」コーナーに書いていければ良いなぁ~と思う日々です。

夫との事は横に置いておく事にして、幼い頃からの父母・祖母、そして兄姉との遥か遠い思い出・絆など、懐かしく振り返り、感無量でした。父との思い出は「日常つれづれ」に何度か書いた事はありますが、母とのささやかな、又、とても重大な事柄に思いを致しました。
私は、父が40才近い頃の末っ子でした。5年生の時、一緒に暮らしていた祖母が亡くなり、それからは私は首から家の鍵を提げる「鍵っ子」となりました。

母は仕事を持つ女性でしたので、帰りは当然遅くなります。参観日も学校の行事もほとんど出ることは出来ませんでした。
小・中学生時代はカバンを家に入れると、何処へでもどんな遠くてもいろいろの友達の所へ遊びに行く子供でした。そのおかげで子供の頃の思い出は山ほどあります。
今と違って世の中が安全でした事もあるし、田舎ですので、母も私を信じてくれていたのでしょう。
「勉強しなさい!」と一度も言われたことはなかったし、母の教えの中で思い出す事を少し挙げるとすると、「言われて出来る子は普通の子、言われなくても出来るのは賢い子、言われても出来ない子は馬鹿な子」「靴をきちっと脱ぎなさい」「使った物は元の所へなおしなさい」「お茶をなみなみと入れないように」云々です。
社会人になってとても役立ちました。

辛抱強く優しい、よく働く母でした。昔の母親はどんなお仕事であろうと、一生懸命働いていました。今のように「ママ友達」その他の楽しみがたくさんある時代ではありませんでしたし、全くのアナログの時代でしたので、すべてが手仕事です。
その忙しい中で母はお料理の好きな人でした。「栄養と料理」(今でも出版しています)が我家の本箱に並んでいて、その時代ではとても珍しい料理をいつも工夫して食べさせてくれました。
お菓子もオーブンなど無い時代に、無水鍋を工夫してカステラを焼いてくれたり、桜餅、ドーナツ、よもぎ餅、淡雪かん、等々です。その他、グリーンピースの瓶詰、お漬物、いろいろのジャム(イチゴ、ママレード、イチヂク)果実酒、奈良漬、書けばきりがないほどです。

兄が京都の大学から帰って来る日などは、ポテトサラダの用意です。(兄は、母のポテトサラダが大好きでした)
大きなボールでマヨネーズ作りです。私が側でボールを持って、油・酢を少しずつ入れる役です。母は泡だて器でマヨネーズを作ります。たくさんの具材を入れて……私も大好きでした。

母の立つ台所で私も母を手伝いながら、料理を自然に覚えました。
とてもとても母のようには今になっても出来ません。
私も京都の学校へ出て行きましたが、母との文通は続きました。京都で就職してしまったので、母からの躾は途中で終わっています。それがとても残念です。
帰省する度に豊かな料理でいっぱいでした。ただ、母は料理の基本の本を3冊と「母から娘へ おかあさんの暮らし」「心のふれあいに使う本 慶弔贈答用表書」を私に持たせてくれました。後者の2冊は今も現役で私の役に立ってくれています。

                            

それからは私も若かったので、自分の事で精一杯でしたが、何か失敗したり何か気がついた事を注意してくれました。

その間、父母も老いてゆき、私たちはたまに帰るだけで、兄や兄嫁さんの力を借りながら、母が父の面倒を見ました。
父の晩年の数年はかなり大変だったと思うのですが、たまに帰省して母を見ていると、とてもとてもきめ細やかに世話をしているのです。私が母に「どうしてそんな風に出来るの……」と聞くと、母は「私が生んだ子供にきちっと服を着せ、大切にしてくれたから、お返しをしないといけないでしょ」と言ったのです。

父は若い頃から良い物が好きだったので、母はかなり苦労をしたと思うし、十分、それまでにお返しはしていると思うのです。私は今も、この言葉は忘れません。父の最期まで大きな病気の時以外は、兄・義姉の助けを受けながら、家で丁寧な思いやりの中で、父は90才で亡くなりました。

その後、一人暮らしでした。膝も悪く、腰もかがんできても、生活の工夫を(義姉と私で笑ってしまうほど見事に)して暮らしていました。
家計簿・日記・字を書くのが足りないと新聞の一面を書き写していました。年寄りが……と感心するほど家は片付いていましたし、食事もきちっとしていました。私が帰省し、こちらに帰って来る時などには、穴子、魚の一夜干し(手作り)、母の作ったお菓子などたくさん持たせてくれましたし、しょっちゅういろいろの物を箱に詰めて送ってくれていました。

「お母さん、100才まで一人で暮らせるヨ……」と言っていたのに、外へ出かけた折、転んで大腿骨骨折をして入院し、それをきっかけに施設に入居しました。兄と義姉が本当によく通い、優しく面倒を見てくれました。

施設も広々としたゆったりとした個室でしたので、そこでもよく本は読んでいました。
私も、店の夏休み5~6日、年末、お正月5~6日、施設から母の家へ連れて帰ってもらって、母と私たち夫婦3人で数日間ではありますが、2~3年間、良い時間を過ごしました。

この3~4年程、私共の方に幾多の難題が起き、すっかり兄と義姉にお世話になりっぱなしでした。本当に心より感謝しています。
平成24年8月、「母が入院」と言う兄からの電話があり、私も既に体調を崩して、その上、格別に暑い夏でしたので迷ったのですが、思い切って帰省しました。母に会ったのは久しぶりでした。とても喜んでくれ、2日程滞在しました。

兄と義姉に手厚く介護してもらっていましたので、心は残りましたが、こちらに帰って来ました。
その後、兄から「調子を取り戻したので安心して……」と電話があり、ホッとしました。間もなく私が本格的に体調を崩す事となり、いろいろの方々に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。
兄からは私の体を気遣って「母の事は大丈夫だから」とTELしてくれていましたが、平成24年10月22日、母は亡くなったそうです。随分後に知らされました。

私にとって母の最期の姿は8月に会った母の顔です。でも、その方が良かったと今では思っています。母は最期まで認知症にはならなかったし、気丈な母でした。兄の家族が年末~お正月、私のために松山から出て来てくれた折に、義姉が言うには「本当に静かに眠るようだった……」と。義姉に「ありがとう、世話になったね……」と最後にお礼を言ったそうです。

94才でした。母の死は私の心の中にしっかり封印したはずでした。しかし、これを書きながら涙が止まりません。一気に封印したはずの母の死が現実となったのです。
いっぱいいっぱいある母との思い出を、これから先も懐かしく思い出すことになると思います。皆様の心の中にも、お母様、お父様の思い出がたくさんおありのことでしょうし、それぞれの、そしていろいろの思いを胸の中にしまい込んでいる事と思います。
私はまだまだ今は母の話をするだけで涙があふれます。その内、しっかり胸にしまい込み、私も年を重ねていくのでしょう。母を追っかけて行けるよう精進出来れば嬉しいです。

義姉が「お義母さんは、外で私(義姉)の悪口は絶対言わなかった。気に入らない事もいっぱいあったと思うのに」と、とても嬉しい事を言ってくれました。

こんな個人的な事を書いて申し訳ありません。もっともっと辛い介護をしている人達がたくさんいらっしゃることでしょう。若くして亡くなる人も、年齢を重ねて亡くなる人も、闘病していらっしゃる方も、ご家族も、本当にお辛いお気持ちだと思います。

お雛様の頃には店を再開できるかな…と思っていましたのに、いろいろの事情でダメでした。
今、我家ではまだお雛様が飾ってあります。私の田舎は子供の頃、1ヶ月遅れの4月3日が雛祭りでした。ちょうどその頃、周りの畑は桃の果実農家の桃の花が満開でした。その下で家族やご近所のご家族達とお花見をするのです。
こんな気候がおかしくない時代でしたので……。
最近は、梅も桃も桜も乱れ咲きです。

                           

このお雛様は10数年前、とても素晴らしい古い布を沢山お持ちの方が作ってくださいました。小さな小さな気品のあるお雛様です。何でもですけれど「良い物」には品があり、見飽きる事がありません。

私も少し元気になり、今は専業主婦ですので、3食しっかり作り、しっかり食べて、体に肉を付けるようにしていますが、家の中の籠の鳥ですので、毎日せっせと片付け物をしています。食器棚の中も使わない物は捨てて、使いやすく整理して毎日見ていますが、本当に見飽きる事はありません。

                 

店を再開する日のためのリハビリと思って家事に勤しんでいます。周りの人達は「あまり頑張ってはいけない…」と言われるのですが、これも性分、一日中動き回る事でだいぶん筋肉も付いてきましたし、この「日常つれづれ」も書く気力が生まれました。
復帰前の第一便です。

又、近々このコーナーに毎日の食卓の一部を撮った写真を載せてみたいと思っています。一週間に一度、松山から義姉が食料や調理してくれた食品をクール宅急便で送ってくれるのです。それと、淀川生協より個配を以前よりしてもらっていたので、それらのもので毎日暮らしてきました。(夫は一月中頃、長い間の家事の疲れと心労で気力をなくしています。)

ひょろひょろの体と足腰で家事をしなければいけない立場に追い込まれてしまったのです。その間、たくさんの知り合い、友達、特にAさんという方に……、もちろん義姉に、メチャクチャお世話になり、今現在の自分があるのです。
これらの感謝は次回に気力のある時に、又、書きたいと思っています。

お客様にも随分心配して頂いています。心よりお礼申し上げます。



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