日常つれづれ(2011年)

2024年2023年2022年2021年2020年2019年2018年2017年2016年2015年2014年2013年2012年2011年2010年

2011年

2011.11.22

秋の一日、暖かい日差しの中、窓を全面開け放ち、洗濯物をベランダいっぱいに干し、隅々まで掃除をして這いずり回って拭き清め、澄んだ空気を体の奥深く吸い込む時、何かしら日常の幸せを感じるのです。

毎日、バタバタと暮らしている自分がどこか不思議で、のんびりゆっくり落ち着いて物事を考える事ができないものか、反省してしまうのです。

このところ、秋のひんやりした空気が漂い始め、それらしき風情が出てきました。
道々のお家の庭には秋の草花が咲き、ざくろの木は大きく口を開いた実がしなだれ、柿の木も実をたわわに付けています。季節の移ろいは私達の目を楽しませてくれます。

紅葉はまだ本番とはいきませんが、京都の街は観光客であふれています。

ここ島本町の景色もそろそろ美しく色付く頃になりました。JR島本駅の山側にあったコスモス畑は残念ながら今年はすべてなくなっていました。
知らぬ間に環境は劣化するのです。

                        

話は変わって……。
10月後半のある日曜日、神戸線・御影にある香雪美術館に行ってきました。
「細川護熙・陶と書」です。昨年、東京日本橋三越で作品展があった折に拝見しているので迷ったのですが、お天気も良かったので出かけることにしました。

三越での展示会とはしつらえが全く異なっていました。
香雪美術館は朝日新聞初代社長・村山龍平香雪翁の蒐集した大コレクションを一般の人々に拝観してもらうために建設されたものだそうです。蔵品は主に日本美術、東洋美術という事です。

その中での細川氏の特別展は、また格別でした。細川氏の作品への静かで、しかも熱い思いが十分考慮された作品の選択の仕方としつらえでした。
茶碗・茶入・香合・茶杓・水差し・花入、そして書画の数々です。
古い時代の名品に並ぶ、ゆかしい品格のある作品ばかりです。中でも心惹かれたたくさんの小さな香合は愛らしさと気品にあふれていました。

                             

会場をより魅力的にしているものがもう一つ……。
作品と共に細川氏の湯河原・不東庵・自宅での日々の暮らしが数十枚のパネルと文章に綴られていて、自然の中で美と共にある彼の姿がとても穏やかで印象的でした。

こんな姿の何百分の一でも、私たち日本人が持つ事ができれば、日本の文化度はチカラは高潔になるに違いない……と。

「日本の文化は型の文化」と言われるように、まず洗練された型を学び、何百年と日本人のNDAの中に育まれた型を習得する事は、本当に美しいのだと思います。
その美しい型からの出発が基盤ではないでしょうか。
どんなに叫んでもすさまじい勢いですべてが変わっていきます。日本の風土にそぐわないものであふれています。

10月に九州の窯元・作家を訪ねようと思っていたのですが、もろもろの雑用に追われ、叶いませんでした。
12月10日(土)・11日(日)・12日(月)に行くことにしました。
年末の忙しさの中ですので躊躇したのですが、意を決して出発します。
いい作品に出会い、来年に向けて新たな企画ができるよう強行軍で回ります。

11月と12月にかけて展示会をします。

                        11月29日(火)~12月3日(土)
                        真木千秋・・手織の布とストール

                        12月15日(木)~12月24日(土)
                         18日(日)・19日(月)休み
                    お正月の仕度 うるしの器と染付・色絵の器を集めて

どうぞ楽しく語らいにお出かけくださいませ。心よりお待ち申し上げております。
これから寒さが本格的になります。お体にお気をつけてお過ごし下さいませ。




2011.10.5

10月に入って本格的に秋の佇まいになりました。
急速に日本の秋は深まって、各地より届く実りの情報で満ちています。

先日、お客様のお家へお伺いさせて頂いた折、広いお庭にたくさんの山野草が咲いていました。日本の風情を育てているような素敵な主の女性の気持ちが伝わってきます。

日本の昔ながらの行事を大切に営み、親戚や家族の繋がりを大切に暮らしていらっしゃる豊かな息遣いを感じます。日本の古い習慣や、日本人らしい家屋から溢れる「気」のようなものに、私は心が洗われるのです。

日本人が過去から未来永劫忘れてはいけない暮らしがあるし、そういう事を大切にしていく事が日本の強さでもあるような気がします。日本人が本質的に持っているDNAです。本当に美しいです。

その花々の中から、少しだけ手折って頂きました。

                         

萩の花・野菊・秋海棠・白い彼岸花などなどです。一輪、二輪と活けるのも大好きですが、たくさんの花を投げ入れて愛でるのも又、格別です。豊かな秋の気配を楽しませて頂きました。

こういう自然の恵みを頂きながら、私も前へ進んで行きたいのですが、心が散り散りでまとまりません。静かな心で、又、企画展をしていこうと思っています。

10月末頃、九州の作家への旅をしようと思っています。楽しくて心踊る企画が出来ますよう、頑張ります。

2、3日前、又、別のお客様がお庭の水引草を植木鉢に移して持って来て下さいました。とても嬉しいので、最後に写真を入れます。
                            

気温の変化が激しいです。どうぞお風邪などにお気をつけて、健やかにお過ごし下さいますよう祈っております。




2011.9.13

毎日、照りつける容赦のない太陽に、少々くたびれてきました。心なしか、木々の緑も生気を失っているように見えます。その中で、さるすべりの木は暑さをものともせず咲き誇っています。

このあたりから京都市内のお家の庭にはなぜかさるすべりの木を植えているお宅が多いように見受けます。赤白……とても元気に太陽に立ち向かっている様は、ちょっぴり元気をもらうことができます。

山村御流の花展で秋が始まった感のある私の9月です。

京都高島屋の「山村御流いけばな展」を毎年心待ちにしながら9月を迎えます。秋の訪れを確実に肌で感じるのです。
「秋色に包まれて……」秋の草花が、そして日本の風土に根ざした野趣あふれる花が木々が美しく輝き、私達を初秋の静けさに導いてくれます。

以前にもこのページに書きましたが、器と一体となり、より一層確かなものにしていることが本当に嬉しいのです。
どの器も、それぞれが美しく品格がありますが、特にお家元さんの小さな花と器は、えもいえぬ世界を持っています。
撮影は禁止されていますが、こっそりと写したい衝動を抑えるのに必死です。立ち去ることができません。
美の元素・極みだと、ため息をつきます。

一流の人達の審美眼と心模様は、私がこうして書くこともはばかれる程、見事なものなのだと、新たな感動を与えていただきました。

一流の人達の話は尽きることはありません。

先月、NHKで「日本のチカラ」という番組をしていました。家事をしながらチラチラ横目で見ていたのですが、私がこのページの主題としている「日本の美しい心」が数々描かれ、素晴らしい捉え方をしている番組でした。後で録画しておけば良かったと気がついたのですが、遅きに失したようです。NHKは再放送をよくするので、今後の番組欄を気をつけて探しておきたいと思っています。

この未曾有の日本の災害・原発などを含めて「日本のチカラ」がもっともっとクローズアップされないといけないのではないかと思います。

話は違う方向に……行きます。

福島の原発被害の問題が起こった時、私の中でむくむくとよみがえったことがあります。

「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」
智恵子の愛したふるさと。彼女のふるさと……福島県二本松町漆原。

「智恵子は東京に空が無いといふ。ほんとうの空が見たいといふ」
智恵子の愛する空は、阿多多羅山の上に毎日出ている青い空が、彼女にとって本当の空なのです。
何という巡り会わせでしょう。

仕事柄、全国の県の職人さん、作家さん達のお世話になって来ましたし、学生時代の友人が各地に居住しています。そして、つながりのある人々が全国にお住まいしています。
東北。青森・岩手・秋田……の方々にも仕事上、深いご縁を頂いてきました。しかし私は福島県に仕事上も、知人も友人も、どなたもご縁がありませんでした。突然、脳裏によみがえったことが、この「智恵子抄」だったのです。

「詩集 智恵子抄」「詩集 智恵子抄その後」「光太郎智恵子」

前二者は高村光太郎の詩集と著作です。後者一冊は光太郎没後、編者(澤田伊四郎)が書簡などをまとめたものです。

                  

40年ぶりに開いたその本は、宝物のような雰囲気を持っていました。昔、知人よりお借りし、その後、懇願して譲っていただくことになり、私の書棚に引っ越してきたものです。

私の中で詩集といえばこの本であり、「光太郎智恵子」だったのです。若い頃からあまり詩集には親しんでいないので、他の詩集についてはよく知りませんが……。

若い頃出会ったこの三部作は、私にとって最高のものであったと思うのです。
哀しみと美しい言葉は、今なお、私の心を優しく打つのです。

  「レモン哀歌」

  そんなにもあなたはレモンを待っていた
  かなしく白くあかるい死の床で
  わたしの手からとった一つのレモンを
  あなたのきれいな歯ががりりとかんだ
  トパァズいろの香気が立つ
  その数滴の天のものなるレモンの汁は
  ぱっとあなたの意識を正常にした
  あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
  わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
  あなたの咽喉に嵐はあるが
  かういふ命の瀬戸ぎはに
  智恵子はもとの智恵子となり
  生涯の愛を一瞬にかたむけた
  それからひと時
  昔山嶺でしたやうな深呼吸を1つして
  あなたの機関はそれなり止まった
  写真の前に押した桜の花かげに
  すずしく光るレモンを今日も置こう

7年の狂気は死んで終わったのです。昭和13年10月5日夜、智恵子53才のこと。
書けば書くほどこの純粋な命を語りたくなるのですが、もうよしましょう。
九十九里の眞亀の松林で千鳥と遊ぶ智恵子。そして、光太郎の慟哭がいつまでも心の内に響きます。

光太郎は、東京のアトリエを戦火で失い、宮沢賢治の実家に身を寄せるも、また焼け出され、花巻からずっと亡くなるまで岩手・太田村山口に庵を結び、東北の素朴な人々の中の人間の原点の生活の中で、芸術活動をして行くのです。

この生活の中で、光太郎は「経済性は人間を浅ましいものにする……」と書き……。

「あなたのきらいな東京へ山から来てみると、生まれ故郷の東京が文化のがらくたに埋もれて足の踏み場もない」

「あなたのきらいな東京が、私もきらいになりました。仕事が出来たらすぐ山へ帰りましょう。あの清潔なモラルの天地で、もう一度新鮮無比なあなたに会いましょう」

             
           智恵子抄の裏表紙                      光太郎智恵子の裏表紙

彼女は晩年、心を病んだ中で「切り絵」に芸術性を発揮したのです。精神に破綻を生じつつ、この「切り絵」の中に彼女の健康な生活があったのだと思います。

この三部作をこの度、二度読み返しました。
この編者である龍星閣「澤田伊四郎」氏のこの本に対する、そして二人に対する敬愛を隅々に感じることができるのです。
昭和40年8月記の文章の中に、この澤田氏は60才を越した……とあるので、既にご存命ではないと思うのですが。

今の日本のご時世をここに登場する人々はどのように見ているのでしょう。私達の日々の生活の不信につながってゆきます。
あの阿多多羅山は、あの光る阿武隈川は、今どうしているのでしょう。

残暑が厳しいです。
どうぞお気をつけて毎日をお過ごしくださいませ。
そしてお時間があれば、花染にお遊びにお出かけくださいませ。心よりお待ち申し上げております。




2011.7.7

暑い暑い毎日です。若い頃はこんなにも暑さを感じなかったのか、それとも日本の夏が異常なのか……。
年を重ねる程に暑さへの対応がままなりません。

6月の細江義弘さんの「木のしごと展」もたくさんの方々がいらっしゃって下さいました。本当にありがとうございました。
案内状に写真を載せておりました、手すり付きの椅子は、写真では表現出来ない緩やかさでした。大きくゆったりとしていて、座面であぐらを組んでも大丈夫。背もたれも頭を支えてくれるだけの高さがあり、皆様座ってみては、いいナァ…欲しいナァ…とお互い交互にあぐらを組んで座っていました。

                               

2日目にいらして下さいました方が、ご覧になるやただちに買うことを決めて下さいました。大きな作品なので「置く所がない」というのが皆様にとって問題点だったようでしたが、少し小さいものをご注文下さった方もありました。

この度のティマットは、今までとは一味違った作品に仕上げましたが、それも大好評でした。
彼が一枚板をくり抜いて作る額も、毎年、皆様楽しみにして下さいます。今回も、とりどりたくさんの額で壁面はいっぱいでした。
座卓、椅子などの別注も頂きましたので、これからお客様とお話し合いをしてゆきながら、年内でお作りさせて頂きたいと思っています。

皆様が信頼して下さってこその仕事と、肝に銘じ、一生懸命させて頂きます。細江さんもそれに応えて力強く支えて下さいます。信頼し合える人々との素敵な日々を実感させて頂いています。

柴田さんの展示会もやっと出来ます。4月に…と思いながら、私の家庭の事情で延び延びになり、お客様にお待ち頂きました。「何時するの……?」と度々尋ねられ、ご迷惑をおかけ致しました。
本当にたくさんの作品が揃いました。

                        

写真にありますお湯呑みも、いつも私共がお客様にお出しして一服して頂いているもので、お茶をお入れすると一層味わい深いのです。多くの人々からご注文を頂いていた作品です。少し高台になっていて、飴色の釉薬がかかり、手のひらで包み込む優しさです。店で毎日のように使っても、尚、改めて「いいナァ…」と心休まる想いがします。

飴釉の台付皿も今の季節には鱧の湯引きなど、絵に描いたような美しさです。今回はケーキ皿・楕円鉢・小丼など、食器、一点ものの作品が勢ぞろいです。

柴田さんの作品の中で「ポット」は絶品としか言い表せません。コーヒー、紅茶、お煎茶、番茶、ほうじ茶、どれとも素晴らしくマッチするのです。大・小さまざまのサイズがあります。
たくさんの方々にお持ち頂いていますが、誰しもが「とにかく使いやすい…」とお褒め下さいます。まるで私が褒めてもらったように得意になります。

                            

柴田さんの作品は、私共にとって道標です。仕事の基準を彼の審美眼を学ばせて頂く事で、私の中の芯にしています。まっすぐにぶれないで歩む事が出来た所以だと思っています。この暑さにぐったりしているかもしれませんが、どうぞお出かけ下さいませ。

話は変わります
ここ島本町は、自然が手に取るところにあり……と私はいつもこのページに何度も書いてきました。
天王山と淀川に囲まれ、水無瀬川があり、その昔は後鳥羽上皇の荘園だった所でもあります。
この地は水が豊かで、名水百選にも指定され、本当に自然と共生出来る町でした。
水無瀬川の上流は町の中にありながら、蛍が群生していました。
年々、田畑は駐車場やマンション・宅地に変化して行きましたが、JRの線路より山側は、田畑が広がり、四季を折々肌で感じる事が出来ました。

せめてその場所くらいは財政難とは言え、税金のおかしな使い方をやめて、うまく配分する事で残しておくべきと思っていました。将来の子供達の為にも風が吹き抜ける町であってほしいと切望していました。

ところが今、その貴重な場所に学校などを誘致する話が密かに進んでいると聞いています。私達、一町民にどうすることも出来ない話かもしれませんが、どこまで日本は自然を壊し進もうとする事から抜け出せないのでしょうか。

経済性を優先する便利さはもういらないです。不便こそ、人間に工夫する事を学ばせてくれるのです。

町外から私の店へいらっしゃって下さる方々も、「水無瀬駅に降りると風が違うね」と言ってくれます。本当に小さな町なのです。自然と折り合いを付けながら共生する社会であって欲しいのです。こんな町の特性を生かす町政を願ってやみません。

レンゲ畑もコスモス畑もなくなります。美しい水田は日本の風景です。美しい心を反映するわずかな空間すら残せない政治とは一体何なんでしょう。

7月・8月・9月と暑い毎日になりそうです。お体にはくれぐれもお気を付けてお過ごし下さいませ。




2011.6.15

新緑だった若葉の色も気がつくとすっかり濃い緑に変わり、緑陰を渡る風は心地よく気持ちを和ませてくれています。

今年は梅雨の入りが早く、蒸し暑い日もありますが、まだまだ真夏とは違う風が流れます。

島本町は山が手に取る位置にあり、生活空間の中に田、畑があります。それぞれの田には早苗が植えられ、水が張られ、水面に映る空や雲、山々は、私たちの暮らしを穏やかなものにしてくれています。今の時期は、つばめも低空で飛んでいて、自然が間近にあることの大切さを改めて感じさせてくれます。

3月、4月、5月は本当にご迷惑をおかけ致しました。申し訳ございませんでした。家庭の事情で午前中の営業のみにさせて頂きましたが、そんな中、短い時間をあえていらして下さいましたお客様に、心より感謝申し上げます。

5月24日(火)から正常に営業させて頂いております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。(ただし、10:30~17:30 日・月曜 定休日)

細江義弘 木のしごと展
6月23日(木)~29日(水) 26日(日)休み

展示会をさせて頂こうと思っています。やっと普通に仕事が出来始めた幸せをつくづくと感謝致している日々です。
日々の暮らしを育んでくれる様々な椅子をたくさん作って頂きたいと、随分前からお願いしてありました。椅子もいろいろ。日常使って頂ける盆、トレー、茶托、ティマット、そして飾棚など、とても凛とした素敵な作品が出来上がりました。

        

細江さんとの人間関係も含めた、仕事のお付き合いは27年になりました。長い時間の中で二人で息を合わせ、数々の作品を生み出し、お客様にたくさんの作品をお使い頂いています。
作り手とお客様と花染との三者の長い歴史です。

彼はその間、大きく感性を膨らませ、人間としても、また、作品も素敵に花を咲かせました。
二人がまだまだ駆け出しの若い時代、両者共、一生懸命仕事に打ち込んでいました。弟のように何でもお願いさせて頂く、信頼出来る仲間としてお付き合いをさせて頂いています。

彼は50代に入り、経験、実力共に充実した年代の真っ只中にいます。とても頼りになる同志のような心地さえしています。これからも力の続く限り共に歩めることを心より願っています。

梅雨の中の展示会ですが、是非お出かけ下さいませ。細江さんのお人柄そのものの素晴らしい作品です。

柴田雅章氏の展示会も7月にはさせて頂きます。
7月18日(月・祝)~23日(土) 予定
10:30~17:30

6月5日(日)、柴田さんの工房へお伺いさせて頂きました。雨上がりの日でした。朝早く出立し、彼の工房に着いたのは10時頃でした。工房の自然は穏やかでした。雨で地面はしっとりと濡れ、木々や草花は息を吹き返したように瑞々しく、肌に感じる空気はひんやりと心地よい暮らしの中への訪問です。

足もとに咲く種々の花々はどれも健気で幸せそうです。かなり広い敷地の手入れは想像以上の手間がかかっていると思うのですが、自然にあるがごとく、山里に佇むがごとく、まったく力んだ姿が見えないのです。すべて柴田さんを含むご家族の姿なのです。奥様お手製のあんみつを頂きました。

一昨年、大学を卒業なさって柴田さんのお仕事を影で力強く支えていらっしゃるご子息に登窯を隅々まで見せて頂きながらの楽しい語らいは、アッと言う間に時間が過ぎてしまいました。
ご子息の力をいっぱいにはらんで、航海に出られる日を私は心より楽しみにしています。

1月に展示会の為に頂いた作品と合わせて2階に展示致します。食器類もたくさんです。ケーキ皿、楕円鉢 大・小、楕円皿、小鉢、コーヒー碗皿、マグカップ、ポットなどなどです。
たぶん全部展示するとかなりの量になると思います。

柴田さんの作品のファンは心を熱く燃やします。これから使ってみたいと思う方々も是非お出かけ下さいませ。
彼の作品はなぜかやみつきになってしまいます。深くはまってしまうのです。柴田さんの他の追随を許さない技量と審美眼はまさしく本物です。

国展の審査員も含め、後進への指導は優しさと厳しさが同居した、すべてを超越した未来への使命感に満ちています。
次の世代にたくさんの素晴らしい作品を引き継いで行って頂けるものと確信しています。

ここ1、2ヶ月は天候が不順です。この夏も暑いとの天気予報です。お元気な方も、体調のすぐれない方も、どうぞお大切にお過ごし下さいませ。




2011.4.12

この度の大災害は本当に悲しいです。約1ヶ月、映像や新聞で目にする度に涙してしまいます。
私達に何も出来ませんが、しかし、わずかでも出来る事があるかもしれません。今の自分の状況に合わせて可能な事をするのが大切ではないかと……。
何も出来ない人は募金を、義援金を、少しでも多く出す事で、気持ちを東北に向ける事が出来るのではないかと思っています。
現在、普通に生活している事をありがたいと思える人々は、多少きっと余裕があるのだと思うのです。
自分では多いかな……と思える金額を、背伸びして……。何かの役に立ってくれる事を願い、心より祈りたいと思っています。

今年の3月は春というのに寒い日が多く、これ程、「早く暖かくなって欲しい」と願った事はありません。
やっと桜も咲き、今まさに満開です。桜は咲き始めると一気……、散るのも一気。続いて八重桜が又、再び私達の目を楽しませてくれます。皆の心も一緒に立ち上げて欲しいですね。

桜の薄いピンクが今年はとても控えめに、健気に見えます。人の心を写すかのように淡い色が静かで儚げです。こんな大事件のあった日本を優しく励ましてくれているのでしょうか。
これから少しずつ桜は北上します。皆様の心に一筋の光と安らぎを与えてくれる事を期待しています。

花染も、3月・4月とお客様にご迷惑をおかけしております。私共の抜き差しならない事情で、午前中のみ開店しております。

それでも、短い時間内にお出かけ頂き、心配して下さるお客様にとても感謝しております。本当にありがとうございます。
涙が出る程、嬉しいです。美しいチューリップや椿の花などをお持ち下さいました。たった2時間の営業を、私も大切にしております。

                       

28年の店の仕事の中で初めてのことでした。
もうしばらくの間、お許し下さいませ。

4月に予定しておりました、柴田氏の展示会も7月頃に出来れば嬉しいと思っております。心待ちにして下さっていました方々に申し訳ない気持ちで一杯です。

6月の細江義弘氏の「木工小品展 -私達をはぐくんでくれる手仕事」は、展示会に向けて準備に入っています。
その頃には花染も通常通りの営業に戻れると思っています。その日が参りましたら、どうぞ又、お遊びにゆっくりとお出かけ下さいませ。

小さな椅子、便利な椅子、そしてゆったりした椅子。心安らげる作品に仕上げて頂きます。

今までにも額はたくさんのお客様にお求め頂きましたが、今回は、ひと味違う素敵なものに出来上がります。お茶托、トレー等々、新しい小品をお目にかける事が出来ますよう頑張ります。

食卓、食器棚、座卓、テレビ台などの大きな作品のお話も受け賜わります。

6月の展示会の初夏には、爽やかで清々しい気候であってほしいです。

花染の裏の小さな庭にお客様から頂いた二葉葵の新芽が見事に出揃い、小さな花をつけています。

                         

この二葉葵は京都の葵祭に欠かせないものなのだそうですが、最近不足している…と昨年ニュースで拝見しました。
我が小さな庭の二葉葵は毎年この季節を忘れないです。とても安心致します。

山ぼうしの木も新芽が出て、日を追うごとに少しずつ若葉が大きくなります。ささやかな喜びをかみ締める毎日です。

日本人の心は生きています。今こそ日本が誇れる文化を落ち着いたものに仕上げていきたいものだと思います。私達国民の心が変わる事で、前に向かって進めるような気がします。明るい日本がやって来る事を願って……。




2011.3.10

3月に入って日差しはすっかり春になったのですが、冷たい風が吹き、身を縮める日が続いています。
でも季節は巡って、各地から梅の便りが聞かれます。

この時季はなぜだか忙しくて、この数年、梅の花を見に出かけていません。近江の方には盆梅展があり、京都の北野天満宮は梅を愛でる方でいっぱいだと思うのですが……。

2月は大行事として、舩木倭帆先生の吹きガラス展があり、その準備、その後の仕事に追われて息をつく間もないほどの忙しさです。

今年もご遠方からの方々も含めて、たくさんのお客様がお出かけ下さいました。心よりありがたく、とても幸せに思うと同時に、心が引き締まります。

いつもお客様とゆっくりお話をしたいと思うのですが、なかなか時間がとれません。本当に毎年、失礼ばかりして申し訳なく思っております。皆様お一人ずつにお礼を申し上げに伺いたいと思う心境です。

1月、2月のこのページ「日常つれづれ」に舩木先生の「かにボトル」の件を書きましたが、それも展示会、開店10分足らずでなくなりました。
写真を載せてみました。

                        

京都吉田の緑壽庵清水さんの金平糖を入れて楽しみたいと思っています。本当にありがとうございました。

あっと言う間にお雛様の3月3日も過ぎてしまいました。
私の実家のある田舎は、昔は1ヶ月遅れの4月3日がお雛様でした。春休みに入っているし、4月と言えば、すっかり暖かくなっています。

各家々にはお雛様を飾り、お友達同士のお家のお雛様を皆で見に行きっこをします。
御殿、内裏様、お雛様、三人官女、五人囃子、そしてお雛様のお道具。中でも大好きだったのは、「市松(いちま)人形さん」です。

私達姉妹の赤ちゃんの頃の縮緬の着物を着せ、絞りの帯を結び、お腹を押すと「キュー」と泣き、抱っこしたり、寝かせたり……。寝かせると目を閉じるのです。

お雛様の前で子供たちは雛あられを食べ(昔は全部あられはお餅を小さく切り、煎って作っていました)、ちらし寿司を食べたものです。

こんなに文化が進み、時代が進んだのに、そういう部分はすっかり退化してしまいました。

その赤ちゃんの頃の縮緬の小さな着物は、母にもらって私が持っています。
そうだ!今年は小さな着物を洗いはりに出して、店のどこかへつるしてみよう……。なんだかせつなくて、楽しい気持ちになりました。

私達姉妹が小学生の頃の縮緬の晴れ着の着物は、10年程前にほどいて、私の店の布の手仕事をしてくれている人に、おひなさんを作ってもらいました。とても素朴なおひなさんですが、姉達や親戚の女の子にペアで配りました。
姉達は「アッ!この布、見たことがある……」と、とても喜んでくれました。
ちょっと嬉しくて、懐かしい話です。

                         

眺めていると子供の頃がよみがえります。何が幸せなのかが見えて来るようにも思います。

先にも書いたように、1月、2月はあまりにも忙しく月日が過ぎたものですから、本を読めませんでした。何か大切なものをやり残したような、栄養不足のような気持ちです。

話は又、舩木先生に戻ります。
先生が数年に渡って制作していた、倉敷中央病院の新棟のガラスの壁が、昨年秋、完成しました。
1枚1枚は16cmほどのプレートですが、300数枚集まって病院の玄関の建物の一部を飾っているのです。

                            

私もまだ実物は拝見していないのですが、舩木先生のお弟子さんが写真を送ってくれました。

ここ数年、先生の工房へ伺うと、いつも仕事途中のこのプレートを見せてくださって、制作のご苦労をおっしゃっていました。
「作品として残ってくれるので、頑張ろうと思う。大変な時間がかかるし、仕事の時間を取られてしまうのだけれど、やり遂げたい……」と。
美しい手仕事の世界です。

この病院は、日本初の西洋美術の殿堂・大原美術館を設立した倉敷紡績の社長・大原孫三郎が従業員(女工さん)達のために、大正時代につくった倉敷中央病院です。
大きな温室もその当時から設けているそうです。

数々の業績の中には、孤児院長・石井十次への支援と友情、大原社会問題研究所(これが後の日本の労働基準法になっている……と聞きました)、そして、柳宗悦の民藝運動への支援……などがあります。
苦学する友人たちへの援助は父親譲りだったのだそうです。その数、数百人だそうです。
明治、大正、昭和と企業人としての理想を熱く持ち続けた人なのです。

二つの大企業と数々の研究所、大病院が後世に残り、今も社会に生きているのです。

彼の人間としての、経済人としての気骨は目を見張るものです。
大原孫三郎については、いずれ、その内、私がここから学んだ子供の頃からの思いを書きたいと思っています。
私の心を燃え立たせる人だと改めて感じました。

ここの新棟に舩木先生のガラスの仕事が……という事はとても感慨深い思いです。

この月も半ばを過ぎる頃には、暖かくなってくれる事を願っています。

3月17日(木)~真木千秋さんの作品・山ぶどう展をさせていただく予定でしたが、家庭の事情でできなくなりそうです。案内状も出来上がってきているのですが……。
遅れて展示会をするかもしれませんし、又、3月は取りやめるかもしれません。申し訳ございません。

店もしばらく営業したり、閉めたりすることになると思うのですが、電話は通じるようにしています。(携帯に転送されるようにしています)
家と店も近いので、ご用がある折にはお知らせ頂ければ、店へ出られると思います。

本当にすみません。よろしくお願い致します。




2011.2.9

この冬は特別に寒い冬でした。立春も過ぎ、これからいよいよ春に向かって木々の芽は膨らみ、何となく風景が変化してきたように思います。

寒い冬でも健気に咲く花もあります。毎日、自宅から店へ通う道端に蝋梅の木があります。足元を人に踏みつけられ、とてもかわいそうな立ち姿です。
それでも毎年、季節が来ると枝いっぱいに黄色い美しい花を付け、芳醇な香りを漂わせています。蝋梅という名の通り、本当にロウで作った花のようです。

日本には四季があり、その中で咲く花にも、日本ならではの名称が付けられ、やはり美しい心です。

                   

私の店のお客様の中に、日本の和花を愛し、山野草を愛する方がたくさんいます。花の名をよくご存知の人々にはとても感動し、又、すごいなァーと尊敬致します。

私事ですが、私のお茶の先生が、奈良の円照寺の山村御流という流派のお花の先生もなさっています。

私が先生の元へ通うようになる、それより以前の話になりますが……。

この話にも偶然という目に見えないご縁があります。

昔、京都の高島屋のエスカレーターを上っていて、この山村御流の花展のポスターが貼ってあるのを見つけ、何となく心惹かれ、見に行ってみよう……と会場に行きました。最終日の終盤で、片付けようとする人々でいっぱいでした。
「すみませんが、拝見させていただけますか」と入場させて頂いた事が始まりです。もう20数年前の事です。

感動と言うには言葉が足りません。小さな花の命がこれ程までにつつましく、清らかに表現されている事に驚きました。
何という日本人の心でしょう。本当に日本の美そのものです。

花を入れてある器も、並大抵のものではありません。すべてに審美眼の行き届いたものでした。今まで拝見した花展では、到底考えられない程の素晴らしいレベルの器なのです。
私の人生の出会いの中でも大きな出来事でした。

この出来事から数年して、お茶の先生を探しました。表千家の先生を探しましたが、この辺りは裏千家の先生が多いのです。
四駅ほど離れてはいましたが、知人が紹介してくださった表千家の先生の所へお伺いすることにしました。
ところが、この先生が山村御流のお花の先生でもあったのです。素晴らしい偶然に感動しました。

ただ、私にはあまり時間はありません。両方のお稽古に通う事は不可能です。しかし、この時から、先生と、山村御流というお花との関係が強く出来たのです。

よくご存知の方は、きっと私と同じように、この円照寺・山村御流に心を虜にされていることと思います。

毎年、8月末~9月初めの頃、大阪高島屋と京都高島屋で山村御流の花展があります。それ以後、この花展は私の中で毎年巡ってくる大きな楽しみになっています。

私が20数年前に拝見した当初と、今は少し変化してきたように思います。昔は、華やかな花はあまり使われなかったと思うのですが、最近は、大きな菊、バラなども使われています。それでも、静かで品格が高いと拝見しています。

基本的には、日本の心が醸し出す、しなやかで、たおやかな、そしてひっそりとした美しさです。菊なら農家の庭先にひっそりと咲く霜枯れ菊。野に咲く小さな、健気な花。人知れず美しく咲く花が、わび・さび美しい姿として生き生きとしているのです。

お家元さんの生ける花はよりひっそりと静かな佇まいの中にあり、いつも身が引き締まります。

先生がお話してくださった「花は野にあるごとく……」との言葉は、たくさんの教えの中でも決して忘れません。小さな花が醸し出す空気は、本当に小宇宙なのです。花の心をよくご存知の方々のえも言えぬ世界です。

椿の花にたとえてみても、日本の山に昔から咲くやぶ椿の一重の花びらが好きですし、小さな花びらの侘助などは一層心惹かれます。白玉椿などと美しい名が付いている花もあります。

                  
              さざんか、前野直史の須恵器の花入れ     店の裏の椿の木は日当たりが悪いのでなかなか蕾を付けてくれません。

日本の茶室に一輪そっと生ける花……。一重のひっそりとした椿は本当に趣のあるものです。椿の花はあまり香りはないので、お茶室に向いているのでしょうか。
大輪の七重、八重の椿の花は、バラの代わりとしてヨーロッパへ輸出され愛された……と聞いたことがあります。それはそれでとても美しいのですが……。

これを書きながらもう一つ思い出したことがあります。

やはり20数年前、お茶の先生、生徒の皆様達と、全山椿の木の繁る中でお茶事をしたことがあります。
夏の終わり、8月末の暑い中でした。自然の風が穏やかに渡る、山里に風流に佇む心地良いお部屋でした。

ご当主はかなりのご年配の男性でしたので、もうご存命ではないかもしれませんが、山の中を案内してくださって、愛情溢れるお話を聞かせて頂きました。
椿の花は一年を通して咲く、いろいろの種類の木があることを知りました。ちょっとしたお料理も頂けるようになっていましたが、全部椿がモチーフのお料理でした。椿の花の天ぷら、煮物などです。かなり前の事なので、ほとんどの事は忘れてしまいました。
美しくて懐かしい思い出です。

話は変わります。
昨年、〔2010.5.16〕と〔2010.10.31〕との2回、このページで山崎豊子への想いを熱く語った事があります。これに続く話です。

今週11日頃だったと思うのですが、テレビで映画『沈まぬ太陽』がノーカットで7時~約4時間放映されるそうです。

日本航空のまさしく現在に至る姿が見えてきます。この本は5年に渡る年月を経て、1999年5巻の単行本として刊行されました。

「巨大な組織、それも政治と結びついている航空会社の力は予想以上に大きくて強いのです。個人の力など巨象の前の蟻のようなもので、取材しながら一時は挫折しそうになりました」と山崎豊子は言っています。

以前、誰かの言葉として聞いたことがあるのですが……、いろいろの感情、たとえば悲しみ、喜びは、時間の経過と共に少しずつ薄れてゆくけれど、怒り、憤りは月日を経ても薄れることはない……と。

これが社会派とか使命感とか言われるものでしょうか。

山崎豊子は「大地の子」を書き終え、背に負った重いものを癒すつもりで、ナイロビ、キリマンジェロを見に行った旅の中で、この主人公、恩地元の原型である古武士の佇まいを漂わせた人に出会ったのが、この小説の芽生えなのだそうです。
その人に「あなたの経験、企業の不条理を小説のテーマに考えたい」と話した…、と書かれています。

この企業の体質が日航御巣鷹山事故へと繋がってゆくのです。日航の不条理な影で、会社に抗って身を粉にして働いた実在の人々も多くいた事も事実です。
小説には、山崎豊子の苦労の取材による克明な記述がありますが、やはり事故の詳細は映像には出来なかったと思います。

日本赤十字社の看護婦さん、そして医師・歯科医の方々の自分の命をかけた献身にも感動します。
日航の上層部、利権にむらがる政治家や官僚たちのおぞましい姿が山崎豊子によってあぶり出されるのです。
この対極の姿も両方人間なのです。この本の中にどんな哲学書より重い教えがびっしりと詰まっているのです。

人生は簡単に勧善懲悪で終わるはずはありません。だからこそ、どんな逆境にあっても「明日を約束する心の中の沈まぬ太陽」を信じて生きて行く事が、この小説の願いなのです。
山崎豊子はラストの部分を明日を信じさせる太陽で締めくくったのだと思います。

映画を見た人も見ていない人も本を読んだ人も、4時間、万難を排してテレビの前に座ってほしいと思います。私ももう一度見ようと思っています。

日差しが明るくなりました。
2月は舩木倭帆先生の吹きガラスの展示会です。

2月18日(金)~2月24日(木) 20日(日)休み

毎年、お客様は楽しみにお待ち下さっています。私もこの展示会はいつも勇気と元気、そして仕事の理念を心に刻みます。先生の作品から、お客様から、たくさんの大切な事を学ばせていただきます。
毎朝、先生の小さなボールでヨーグルトを頂き、グラスには野菜ジュースを入れ、幸せな一日が始まります。こんな小さな幸せはちょっとしたことであり、誰にでも出来る事ですが、人によってはこんな小さな事もおざなりになってしまいます。

手と、ちょっとした時間を惜しまないで暮らす事を目指します。
こんな些細な毎日の積み重ねこそ何より貴重で、舩木倭帆先生が、そして作品が教えてくれる大切な事だと思っています。

2階に作品が見事に並びます。この光景は何にも変えがたい宝物です。
是非是非いらして下さいませ。心よりお待ち申し上げております。

先生からTELがあり、「かにボトル」も長い間作っていないので、自信はないのだが、何とか作りました。…と連絡を下さいました。




2011.1.18

新年がスタートしました。元旦、初日の出には間に合いませんが、とても暖かいホッとする太陽の日差しを受ける幸せをありがたく思います。今年もよろしく!と太陽に向かって祈る思いでした。

届いた年賀状を一人ずつ確認しながら繰っていく穏やかな気持ちは、普段の気忙しさを忘れる、お正月ならではの風情です。友人・知人のいろいろの思いが詰まった年賀状は、私の心を過去に未来に誘ってくれます。大切な宝物です。

今年も又、初詣は京都六波羅密寺です。昨年頂いた稲穂をお返しして、新たな稲穂を頂きます。
私共の年齢になると、健康を祈って手を合わせる時間が長くなります。欲深くお願いしてはいけないと思いつつ、「家内安全。優しい気持ちで過ごせますように……」と。まだまだたくさんのお願いをしてしまいます。

                      

本当はゆっくり和尚さんの説法もお聞きしたいのですが、たくさんのお参りの人達で溢れているので、毎年見送ってしまいます。
卓越した人格、修業を積んだ人のお話を聞いたり、たくさんの本を読んでも、人間の愚かな心はなかなか修復できません。「我」という根本的なものを、どうすれば越える事ができるのか……。悩みは深いです。

昨年12月8日の「日常つれづれ」に「最後の忠臣蔵」の映画の事を書きましたが、書いた以上は早く見に行かなくては……と思い、忙しい年末の夜、心の準備もないままに映画館に行きました。
毎日雑事に追われ、心が騒々しい中でしたので、見ていても落ち着かなくて、ちょっと後悔しました。行かなくては、見えるものも見ないと思うからです。

誰もが知っている「忠臣蔵」は、大石内蔵助以下47士による討入り、切腹というクライマックスで終わりではありませんでした。
47士の中で一人生き残った寺坂吉右衛門と、討入り前夜に内蔵助から使命を与えられ脱盟した瀬尾孫左衛門の「その後」です。

討入った者より生き残った者の方が背負うものは大きくて過酷であるという、この大儀の中にこの物語は進むのです。
重い使命を背負った男同士の労り、そして忠義、悲哀が切々と胸に迫ります。

忍ぶという日本人の心が美しい旋律となって画面いっぱいに流れ、熱い涙がはらはらと落ちるのです。
雪原、竹林、紅葉……、四季折々の日本の風景を最大限に映し取った映像は、息をのむ程、息をするのを忘れる程、美しく、静寂と緊張感に満ち、あっという間に終焉に導いてゆくのです。

この映画のもう一つの魅力は、内蔵助の隠し子、可留との子、可音の美しさに全てがかかっていると言っても過言ではないと思うのです。画面いっぱいにアップで映し出される彼女の表情、そして初々しい所作や言葉の一つ一つは、より一層、凛々しく私達を感動の涙へ一気にもってゆきます。

日本人の心は、そして精神は、もう時代劇の中にしか存在しないかもしれないと思う程、凛々しく美しく描かれていました。

ただ全編通して、何かしら違和感があった事が、気持ちのどこかに引っかかっていました。
後で知った事ですが、製作総指揮はウィリアム・アイアトンというワーナー・ブラザーズ映画のディレクターだった人。(現在、ワーナーエンターテイメントジャパン(株)取締役社長)

「ラスト・サムライ」「硫黄島からの手紙」など、アメリカ人が日本人の心を描いた映画とは違って、この「最後の忠臣蔵」は日本の杉田成道監督が日本人を描いた作品……云々とありましたが、何かしら心に引っかかります。

私はNHKの香川照之が演じたこのドラマを忘れる事ができません。すっとずっと昔なので、私の中で大きく膨らみ過ぎているかもしれませんが、孫左衛門は心を打ちました。

そんな話を昨年から店でしていましたら、今年になってお客様がこのドラマのDVDが出ているから借りてあげる……と言ってくれました。(年間レンタル契約をしているそうです)
何か不思議にドキドキした感情です。久しぶりに会う人への不安な、複雑な思いです。

話は変わります。
私達の世代の20代の青春は、カトリーヌ・ドヌーブを置いて語れないほど、美しい女優さんがいます。以前にも書いたようにフランス映画は、美しくも哀しい、情緒溢れるものでした。その当時、その中でもドヌーブは群を抜いて美しく、本当に魅力溢れる女性でした。フランス映画は日本に配給されないの……?そんな年月でした。

それが突然、映画館のパンフレットの中にドヌーブの映画のしおりを発見したのです。1月8日(土)全国順次ロードショー「しあわせの雨傘」です。久しぶりに写真で見る彼女は、昔のままの美しい人でした。

映画評・・・「彼女が演じるスザンヌの愛に満ちた笑顔と魅力的な生き方は、きっとあなたの人生を輝かせてくれるはず」
フランスの大女優がスクリーンに再び大輪の花を咲かせる……とありました。

まるで、ヴィンテージ・シャンパンのような至高の逸品をあなたに!
私たちの世代を酔わせる名文言です。早く行きたいのですが、なかなか時間が取れません。本当に映画はいいですね。

1月10日(日)柴田雅章氏の工房へ行って来ました。
昨年末、窯出しをしました……と言って下さっていたので、年明け早々出かけました。天気予報は雪という事でした。福知山線に入ってまもなく、横なぶりの雪が降り、一面白い景色に変わっていきました。

柴田さんの山の手の工房は久しぶりに見る雪の中でした。山々の木々が雪で白く煙る中にひっそりと佇むお住まいは美しい世界です。木々や屋根から落ちる雪の中を踏みしめる心地は、久しぶりに味わう感触でした。
この折の作品は、4月頃、皆様にご覧頂けるように準備致します。

         

1月16日(日)は続いて舩木先生の工房です。
又また大雪という予報でしたので、一瞬戸惑ってしまったのですが、「どうにかなる……」と意を決して出かけました。

毎年、恒例のように朝早く京都の「村上重」のお漬物屋さんへ寄って千枚漬けを求め、お土産に致します。千枚漬けは新鮮が命。1日でも新しいものを……と当日の朝求めます。

しかし、これが仇となり、京都から乗車する新幹線が東京からの便なので、雪でダイヤがめちゃくちゃ乱れ、途方に暮れました。福山駅は一部の新幹線しか停まりません。乗り継いで乗る事にしました。指定席を取っていたのですが、それを無視しての出発です。これがうまく成功しました。予定より1時間ほど遅れましたが、バンザイです。

慣れ親しんだ工房への行程ですが、いつもワクワク致します。本当に楽しいひとときです。
先生は、「東京の三越展を昨年で終わりにしたのでホッとした反面、力が抜けてしまって……」と少しお疲れ気味のような気がしました。

「私共の店、花染があと2年で30周年なので、それまで頑張って下さいね」とくれぐれもお願い致しましたが、「そうか……、予定よりもう少し頑張らないといけないなぁ……」とたわいもない話で数時間はあっと言う間に過ぎます。花染にとってはとても重要な話ですが……。

今年も又、見事な量、花染の2階に並べ、美しい先生の世界を展開できると思います。27年間、ひたすら走り続けた花染への贈り物だと、感謝の気持ちでいっぱいです。

2月の末頃になると思います。お仕事をなさっていらっしゃるお客様に便利なように……と思うとなかなか日程が決まりません。たくさんのお客様にこの美しさに出会って欲しいと思います。どうぞ、どうぞ、お出かけ下さいませ。

                      

余談
先生の作品集の中に「かにボトル」という作品があります。とても手に入れたい作品で、今まで一度だけ3ヶ入って来た事があります。どうしても作って頂きたくて、無理をお願いして来ました。きっとお作り頂けると思っています。愛らしく、本当にほっこりする作品です。

1月、2月とまだまだ寒さは続きます。暖かくしてどうぞお風邪などにお気をつけて下さいませ。



ページ上部へ戻る