日常つれづれ(2020年)

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2020年

2020年(令和2)12月23日

心が落ち着かぬまま、12月を迎えました。この一年がまたたく間でした。
世界中が、未だかつてない不穏な中で年を越す事になってしまったのは残念でなりません。
私自身も、日々の騒々しさに足元が浮き立ち、ゆとりを無くしている・・・と、一年を振り返り思うのです。あまりマイナーな事は書かないでおこうと一年間努力したのですが、たくさんの悲しさ、辛さを背負ってしまった人々も大勢いらっしゃったと思います。
きっと人類の英知で乗り越えられると信じたい思いでいっぱいです。

今月の「日常つれづれ」が遅くなってしまいました
現在、花染のホームページは大工事の真っ最中です。20数年前に立ち上げ、積み重ね続けてたものなので、今と言う時代に即応出来なくなって来ました。
苦慮の結果、プロの方に移行をお願いし、刷新している途上です。実際、ネット上にUPできるのは3月くらいになると思うのです。とても苦心しています。私の努力の限りを尽くしたいと思っています。超アナログ人間の私を助けて下さる人々のおかげです。

そんなこんなで落ち着きのない師走を迎える事になりました。花染はお正月にむかって店を整え、皆様をお待ち致しております。
金沢から例年のように赤字健・径氏の干支が届きました。お正月への気持ちが高まります。
花染の裏庭の万両の実が赤く色づくと、お正月が近いと実感するのです。

この状況下ですので、ご家庭で迎える年末、お正月になる事でしょう。
自然界は、朝には陽が昇り、夕には陽が沈む・・・そんな当たり前の日常が私共にも、戻ってくれることを願いつつ・・・。「日常つれづれ」は短く終わりたいと思います。

年内は12月29日(火)まで新年は1月5日(火)からです。

お客様、作家の先生方に支えて頂いた一年でした。大きな不安を抱えながらではありましたが、お力添えを頂きながら、無事、展示会も数回は行う事ができました。感謝の思いでいっぱいです。
これからも、手仕事に思いを込め、丁寧な花染でありたいと願っています。
皆様もお幸せで無事であって欲しいと思います。お健やかで良いお年をお迎え下さいますよう、心よりお祈り申し上げております。
本当にありがとうございました。重ねて御礼申し上げます。

赤地健 丑 干支
赤地径 丑 干支
2020年(令和2)11月4日

朝になれば日は昇り、夕になれば日は沈む。自然は何も変わっていないのです。
朝日が昇る前の山際の美しさ・・・赤い夕日が西の山に沈む美しさを見るたび、何と私達の暮らしは変わってしまったのだろう・・・と思わざるをえません。
日々のニュースに右往左往し、「お得!お得」と旅の情報を流し、食べ物屋さんの情報を流すのです。”Go to travel”、”Go to eat”と・・・。
何か違和感を持つのは、私だけではないと思っています。

不穏なものに群がる人間怪物の底知れぬ欲望を見てしまうのです。あまり品の良いものではありません。平常心を失って欲しくはないのです。
自身の人生にとって、負の部分こそ大切な出来事だったと思える歩き方をして欲しいと思うのですが・・・。

このところ秋晴れの日が続いています。10月最終月曜日、京都府立植物園へ秋を探しに行きました。日だまりでコスモスが風に揺れ、バラ園は、最高の見頃はちょっとばかり過ぎていましたが、まだまだ色とりどり、種類とりどり・・・迎えてくれるのです。美しいバラも名前がありすぎて、とても覚えきれませんが、写真を撮りながら、降り注ぐ日差しを堪能しました。

 

その中で、大勢の人たちが、コスモスやバラの花の花殻を一ツ一ツ摘み取っているのです。従業員の人もいるかもしれませんが、これはきっとボランティアの人達・・・。花を慈しむ事ができる人達の真心でなされているのではないかと思ったのです。
美しい事を保つには、大きな陰の努力、労力が必要なのですね。
私達の生きる姿も同じかもしれません。一生懸命の先に夢があり、小さな積み重ねが、美しい事に実を結ぶ・・・。そんな社会であって欲しいです。

植物園の中央部分に、木々に囲まれた大きな芝生の公園があります。そこのベンチに座り、持ち込んだおにぎり、お茶、コーヒーをお昼にするのです。保育園児が、可愛い姿で走り回り、芝生の上に、それぞれが敷物を広げお昼を食べたり、はしゃいだりする姿はいかにも愛らしく、こちらも思わず笑顔になります。中には大声で泣き出す児もありますが、先生は慣れたものです。
緑の芝生、青い空、白い雲・・・。空にはとんびがお弁当を狙うがごとく上空を大きく旋回し・・・、優しい地球の営みです。

毎度、私達が座るベンチは、大きなエノキの木陰です。コロナ禍を全く感じさせない穏やかな日差しに包まれ、束の間、美味しい空気を味わうのです。幸せを分けてもらった1日のお土産に、園内のお花屋さんで椿の苗木を買いました。赤い侘助です。蕾をいっぱいつけています。うまくいけば今年の内に咲いてくれるかもしれません。

10月のある日、新聞紙上に「高田賢三さんコロナで死去」の記事が目に飛び込みました。70年代アパレル業界を牽引した旗手でした。パリでは、ハイファッションのデザイナー達と肩を並べる存在であり、日本人の誇りでもありました。丁度日本でも、東京ファッション(?)ブランドが立ち上がり、稲葉賀恵、三宅一生、山本寛斎、川久保玲など個性的な人達が台頭したのです。
「流行通信」という薄い雑誌が出版され、それまでと異なったファッションの世界が繰り広げられたのです。とても新鮮でした。ちょっと遅れて山本耀司がいたと思います。菊池武夫もいました。
40幾年前の話ですので、記憶に間違いがあるとは思うんですが・・・。高田賢三氏は、パリに暮らしながら、日本をこよなく愛たし人でもあったと思うのです。

その頃、東京へ遊びに行くと、決まって表参道を歩いたものです。稲葉賀恵さんの「ビギ」の小さな店があり・・・とても素敵な通りでした。
時を同じくして、マンションメーカーといわれるものが原宿や青山に登場し始めました。

現在の仕事についてからも、東京方面へのお仕事があると必ず表参道や原宿を歩いていました。
90年代に入ると、どんどん街は変貌して行き、近年は全く行く事はなくなってしまいました。もっぱら東京では美術館巡りをしています。
明治神宮の森へは、そのうち行きたいものだと思っています。
懐かしい・・・古い古いお話しです。

12月がすぐそこに見えてきました。11月は展示会は致しません。
12月8日火曜日から展示会をしたいと思っています。

美しきもの愛しきもの
2020・12・8〔火〕 - 12・19〔土〕
10:30-17:00  13日(日)・14日(月)休み

もうすぐお正月です。人々の暮らしはすっかり変わってしまいましたが、自分の来し方、過ごし方を見つめる最良の機会になればと思っています。年を重ねる程に、心が、物が浄化出来れば、こんな嬉しい事はありません。物との付き合い方を考え直し、自分自身をもチェンジし、美しい日常へと進みたいと思います。
気がつけば、そばには、自分にとって愛しいものが存在する暮らしです。
8人の先生方の作品をご覧頂きたいと思っています。
うるしの器は例年のごとく、お揃え致しました。
長年の念願でもありました「水滴のコレクション」も展示販売致します。

・赤地 健  (赤絵)
・石飛 勝久 (白磁)
・稲葉 直人 (陶器)
・河井 久  (陶器)
・柴田 雅章 (陶器)
・淨法寺漆器(うるし)
・高橋 正治 (鉄)
・細江 義弘 (木工)
・村松 学 (ガラス)
50音順
・水滴のコレクションの展示販売

美しい日本。美しい日本の心を取り戻したいものですね。
日本の古来より慈しんで来た素晴らしい風土、そして優れた文化を発信出来るようみんなで心がけたいですね。
ヨーロッパやアメリカに慣れた日本人からチェンジしましょう。世界から憧れを持たれる国になれる事を目指したいです。

夕暮れが、随分早くなりました。仕事が終わり、帰り道、西の空を見上げると、ほんのり赤く染まる山際がとても美しいのです。「今日も無事だったナァ~」と思いをめぐらします。冷気は肌に心地良いです。
皆様も無事であってほしいと思います。どうぞくれぐれもお大切にお過ごし下さいませ。そしてお遊びにお出かけ下さいませ。

サボテン
器は10月の展示会のものです。
韓国・薬膳鍋Sサイズ

2020年(令和2)10月7日

秋が日々、肌に触れ目に触れる様になりました。
このところ、世間が騒がしくなって来ました。メディアから流れる情勢は、新型コロナウィルスと共に生活をして行こうとする姿が見えて来るのですが、私は今も尚、恐る恐る生きる暮らしをしています。
あれ程、走り回っていた自分が、とても小さな存在になってしまった様な・・・、不思議な感覚に捕らわれてしまうのです。
本来ならばデパートの食品売り場に並ぶ秋の実りに五感をくすぐられ、食欲をそそられウキウキするのですが・・・何だか楽しくないのです。新米が・・・新ソバが・・・と日本の四季に感謝はしているのですが、今秋はちょっと違和感があります。
しかし、自然は等しく私達に語りかけるのです。月は冴え冴えと輝き、空気は澄み渡り、心地よい風に癒されるのです。天を仰ぎ、こんな美しい地球上に蔓延しているウィルスは何と残酷なのかと・・・。

私の店の50mくらい先に島本第一中学校があるのですが、今年は運動会の、はち切れんばかりの若々しい声も、太鼓の音も、スピーカーから流れる進行の様子も、全く聞こえる事はありませんでした。
この賑やかな秋一番、秋一声はとても元気づけてくれていました。

私はこの季節になると、子供の頃の故郷の秋祭りを思い出すのです。
秋祭りは10月10日~12日の日程でした。たくましい男性たちが神輿を担ぎ、やぐらには、6才になる男の子が綺麗なおべべを着て、白塗りのお化粧をし、やぐらの四隅に赤い帯でくくられ、掛け声とともに太鼓を勢い良く叩きます。お酒の入った男性どもが、神輿とやぐらを連動させながら町内を練り歩き、時には荒々しく走るのです。4ツ辻に来ると、激しく神輿を揺さぶり狂喜乱舞する姿は、雄々しく血が騒ぐお祭りのクライマックスです。取り囲む人々は、手拍子と掛け声ではやし立て皆が一体となり尚一層盛り上がりを見せるのです。

私達子供も、可愛いおべべを着せてもらい、お化粧を施し、この神輿とやぐらを追いかけて走るのです。血が沸き立つなんとも晴れやかなお祭りの懐かしい思い出です。そうそう5~6才の頃だったか、追っかけて走る私は、帯の飾りとして垂らす赤い房を踏み、前へ倒れ、顔面に傷を負ったことを昨日の事のように思い出しました。

「いつか・・・、いつか・・・」秋のお祭りの頃、故郷へ帰りたい・・・と思っているうちに父も母も、かの岸ヘ渡ってしまいました。両親の居なくなった故郷は遠くへ遠くへ薄れて行くばかりです。
思い出は、しっかり胸の内に・・・、父母への思いと共に私が抱えています。

人は生まれ、必ず死ぬのです。いろいろの事に行き詰まり辛くなる時、私は父母と共に自分の来し方を思い起こすのです。
幼かった子供の頃、母に尋ねていました。「人はいずれ死ぬと分かっているのに、どうして一生懸命生きなアカンの・・・。」と。母は「そうやねぇ~どうしてやろうねぇ~。」としか答えてくれませんでした。それは、私の一生涯のテーマでもあります。

コロナ禍の中、家族に看取られず亡くなる方、そして自死を選ぶ方。
世界中が困難の中に喘いでいるのですね。前へ進もうとする気概が薄れて来るのです。生きにくい日々ではありますが、じっと辛抱しながら先を見るしかないのです。
人様への感謝の気持ちを忘れず、前へ歩くしかないのでしょう。

ちょっと幸せ・・・に感謝しつつ。質の良いマスクをなかなか見つけられず、使い捨てのものを使う事が多かったのですが、ちょっと気に入った手仕事のマスクを見つけ購入しました。心地良く肌に優しく、少しの幸せを手に入れた気分です。でも、早くこんなものが必要でない・・・過去の話になってくれると嬉しいです。

新しい日々の為に・・・前を向き10月8日(木)から展示会を致します。

多文化の布や道具たち
ギャベ・キリムを交えて・・・
2020・10・8〔木〕 - 10・17〔土〕
10:30-17:00  11日(日)・12日(月)休み陽が穏やかになり、影が長くなって来ました。美しい月の光は地上を照らし静かな秋の訪れを実感するのです。
今回の展示会は、遠い国からやってきた美しい仕事・・・実用品と言うにはあまりに美しい多文化に心を動かされ、その思いをお伝えできればと思ったのです。
写真は、南米グアテマラの衣裳です。カラフルな色使い、素朴で力強い魅力溢れるものです。
タペストリーとして壁に掛け、お部屋のインテリアとしてご使用して頂くのが一番ふさわしいかなぁ~と思っています。アフリカ ――― クバ族の布、ロビ族のイス、トンガ族のイス、コートジボワールのイス                 ケニアのフクロウ、ホロホロ鳥・・・etc
インド  ――― 鉄キャンドルスタンド、花台、鉄くさり、こね鉢、インド綿の布・・・etcトルコ・スペイン・中国・韓国など多国籍です。
いにしえの文化、民族の多様性、そしてそれぞれの英知が刻まれているのです。日本文化との深い関わりを感じ取って頂ければ嬉しいです。

 

★ギャベ・キリムもご用意しています。

道端のすすきが風に揺れています。天を見上げると、青い空にうろこ雲がとっても美しいのです。胸いっぱい深呼吸すると「人は何によって生かされているか・・・。」のヒントがあるかも知れません。
どうぞ幸せであって欲しいと願うばかりです。
くれぐれおお健やかにお気を付けてお過ごしになられます様・・・。そしてお目にかかれれば嬉しいと思っています。
いつもつたない文章をお読み頂きまして本当にありがとうございます。

佐藤?・灰被り徳利(穴窯)
花台・長良川、鵜飼い舟の船べりの一部

2020年(令和2)9月2日

8月の暑さに辟易し、やっと来た9月です。7月の長い梅雨は多くの災害を生み、コロナ禍の中、ひたすら辛抱を余儀なくされる日々を過ごしました。出かける事もままならない日常は、意気消沈してしまいます。
8月末には、いつもなら、赤トンボが天空を舞う姿を見かけ、小さな秋の訪れにホッとするのですが未だ現れず、気候が変化し、少しずつ壊されてゆく日本列島を肌で感じるのです。
とうとう島本町の最後のまとまった田園風景が形を変えようとしています。このページに青田の頃の水田風景の写真を掲載していましたが、いよいよ埋め立ての工事が始まりました。

 

左の写真は昨年まで、右は現在進行している姿です。私の住まいの裏側・山側なので、毎日この光景を目にせざるを得ないのです。悲しみはつのり、それは憤りへと変貌してゆくのです。
この後、JR島本駅・山側の田園も、これと同じ運命をたどるのです。

たくさんの生命が生息していました。生物にとって過酷な自然は、おのずと我々人間という生物にとっても良い環境ではないと思うのです。
島本町の自然は、小さな街であるが故ゆえに、かけがえのない財産だったはずです。人間の傲慢は、どこへ向かうのでしょう。生命は大切に慈しみ育みするものだと思うのです。

今年もまた、8月は戦争がテーマの作品をメディアを通してたくさん拝見しました。NHKのドキュメンタリー番組は、他の追随を許さない圧巻なのです。
中でも「アウシュビッツ死者たちの告白」、「忘れられた戦後補償」においては、発掘された文書、記録映像など豊富な取材力、NHKならではの気概あるものに仕上げられ、不戦への思いが溢れていました。

 

戦争は消えることのない悲しみと憎悪を人々に残すのです。物事を深く知る事は、人間の悪を知る事につながる...との思いを、私はいつも抱えてしまうのです。
新聞は、連日、戦争にまつわる悲しみや、人々の裏に潜む心の葛藤を掲載していました。戦争体験の記憶を切々と語る人々。悲しみ、懺悔、悔恨が綴られ、苦悩する人々の姿がありました。戦後すでに75年。薄れさせてはならない人類の負の遺産なのです。

NHK「日曜美術館」も、この時期、戦争に翻弄された人々の姿を映しだすのです。シベリア抑留から帰還した画家。戦争高揚に加担せざるを得なかった画家。戦地で体験した苦悩を彫刻に、絵画に表現しようとする芸術家。それぞれの戦争を、この「日曜美術館」は私に長年にわたり教えてくれたのです。

8月9日、放映された「日曜美術館」は再び、長野・上田市の「無言館」を訪れていました。幾度となくこの頁「日常つれづれ」に書かせて頂きましたが、この美術館は窪島誠一郎氏が館主であり、戦没画学生の作品を収蔵、展示をしている美術館なのです。

私が窪島誠一郎氏と言う人を知ったのは、それ以前です。私が若い頃、作家・水上勉氏と彼の対談を「週刊朝日」の紙上で目にしたのが始まりです。実の父を求め歩いた後、ついに探し当てたその父は水上勉だったのです。

夭折の画家の作品(野田英夫だったか村山槐多だったか。遠い昔の事なので少々曖昧です。)を追ってアメリカを旅する姿を偶然テレビで拝見したのは、その少し後だったと記憶しています。彼は夭折の画家の作品の収集家でもあり、「信濃デッサン館」の館主でもあるのです。さらにその後、彼の著作「父への手紙」に出会ったのです。

私はこの相前後する一連の並々ならぬ話に心を揺さぶられたのです。そして又、十数年後、彼と画家・野見山暁治氏との出会いが、さらに彼をつき動かしより大きな仕事をする事になったのです。

野見山氏は彼に「私は戦後大きな忘れ物をしている気がする」と語ったのだそうです。
野見山氏は、1938年東京美術学校(現・東京藝大)へ入学。画学生でありながら戦地へ行かざるを得なかった友人達。生還することなく戦地で亡くなった才能ある友人達が残した絵・・・この話に共感し、全国の戦没画学生の遺族を訪問する旅を野見山氏と共に着手したのです。

遺族の人達は、遺作を大切に守っていたのです。愛する人へ宛てた手紙、葉書、出征の折の写真や資料と共に、押し入れなどに眠っていたのです。死を前にして、自分にとって一番大切なものを描いたのです。ある人は祖母を、可愛がっていた妹を家族を、そして愛する恋人を妻を子を・・・。またある人は故郷の風景を。絵を描く事は非国民扱いされた時代、描く事を喜び、出征する直前まで描き続けたのです。
この濃密な時間は、芸術の本元であり、人間が生きていく事の一番、尊い時間だと・・・彼は語るのです。
その思いは、窪島氏が「無言館」を作った大きな理念だったのではないでしょうか。

いつの頃だったか「無言館」の戦没画学生の描いた絵が、京都文化博物館へやって来たのです。絵画、資料共に膨大な数でしたが、一字一句逃さないよう拝見させていただきました。
私もひたむきに対峙させていただき、時間が過ぎるのを忘れ、涙が溢れるのです。これ程の時間を美術館で費やしたことは、未だかつてありませんでした。
その時の感動と涙は、決して忘れる事はありません。その折買い求めた「無言館ノオト」は、一人一人の短い人生の軌跡をエピソードと共に書き記した一冊でした。

戦後、忘れかけていた、これらの遺作の収集に、惜しみなく力を注いだ画家・野見山暁治氏も100歳近いご年齢と思うのですが、ご存命でいらっしゃると思います。
戦後75年。戦争で画学生の命は絶たれたけれど、その感動をとどめて、未来へ手渡ししたい・・・、これに関わる人々の一途な思いです。
作品を修復する人々にも感銘を受けました。剥落、汚れ、時間と共に進む損傷との戦いは終わる事はないのです。
「無言館」の絵を主に修復してきたアトリエの人々のまっすぐな心、忍耐強い誠実な仕事は今も続いているのです。

 

今日も、親族の方々が遺品を携え、「無言館」の坂を上って来ているかもしれません。

長い話で終始しましたが、戦争の残酷さを訴えかける8月だと思っています。

このコロナ禍の中、知らず知らずの内にマイナス思考になり、不満ばかりが増幅されてしまいますが、もう一度我が身を振り返る事をしてみたい・・・とも思うのです。
ちょっとした幸せをありがたいと思うのです。6月に漬け込んだ新生姜の甘酢漬けがうまく出来た事。いちご酢も特別に美味しかったし、梅シロップも・・・。小さな小さな事。糠漬けがうまくいっている事。春に失敗し、8月初旬、再挑戦したものがメチャメチャ美味しく漬かっているのです。私にピッタリの味です。

そしてもう一つ。テイクアウトさせてくれる欧風カレー屋さんの黒カレー。すっかりはまっています。

展示会は、様子を見ながらになってしまいます。10月には企画展ができれば嬉しいと思っているのですが、不確定です。あくまで予定です。
魅力ある作品に、そして魅力ある人との出会いがあればこの上もない幸せです。お彼岸の頃には、秋の風情を感じられる様になるでしょうか。
夏の疲れが出る頃です。暮らしも一変してしまいました。どうぞくれぐれもお大切にお過ごし下さいませ。

★ 窪島誠一郎氏をより知りたい・・・。実の父を求め歩いた「父への手紙」そして「明大前」物語と続く深い深い・・・人間の歩く道とは何と深いものであるのでしょう...。この年齢になって、しみじみ思うのです。私は文学と美術によって育ててもらったのだと・・・。再び読み返してみようと思っています。是非お読み頂ければ嬉しいです。

2020年(令和2)7月31日

7月、各地を襲った、凄まじい豪雨をメディアを通して目の当たりにしました。
自然が。。。そして人々の暮らしが一瞬のうちに壊れてゆくのです。大切な生活を失うのです。豪雨災害は、コロナ禍の中で、予想だにしない困難を人々にもたらしたのです。
何もかもが少しずつ狂っているのです。わずかずつ人間が犯してきた罪が、又、わずかずつ私たちにしっぺ返しをしているとしか考えられません。

今日31日、やっと梅雨が明けた模様です。梅雨前線が日本列島から遠ざかりはしたものの、被災地の人々にとっては、より過酷な日々が待っている事でしょう。

さるすべりの花は、天高く、今が盛りと咲き誇り、短い夏を懸命に鳴くせみの声。それらしい夏がやってきました。
コロナ禍の中で、イベントは中止となり、京都祇園祭の巡行も取り止めとなりました。街には、ちょうちんとお囃子が、ひっそりこの季節を告げています。寂しい京都です。

先月6月中旬、ちょっとコロナが落ち着いた頃を見計らって京都植物園へ蓮の花を見に出かけました。蓮池は大きいものが幾つもあるのですが、一番美しい頃に出会っていなかったのです。それはそれは見事な蓮が清廉そのものの美しさをたたえていました。

 

「泥より出でて泥に染まらない。清らかにして妖艶なところがない」
「蓮」に心惹かれるゆえんです。みずみずしい葉、清らかな花。未だかつてこんな光景に出会った事は無いような気がします。つかの間の幸せを掌中に収めた心地でした。

6/30(火)~7/11(土)「西川孝次の吹きガラスと染付の器」の展示会は危ぶみながらの企画でした。丁度良い程のお客様のお出かけ具合でした。
約2週間、それでも途切れることなくお見え下さるお客様方とお話が出来ました事はこの上もなく幸せです。
本当に感謝の思いでいっぱいです。
初日は、とんでもない大雨に見舞われたにもかかわらず、朝一番からのお客様に感動したのです。
毎日降りしきる大雨は同時に心配でもありました。私共の仕事の関係が、長崎にも、有田・伊万里にも、熊本にも九州各地にありますので、お電話やメールで状況をお問い合わせもしました。皆様、無事とのことに、ひとまずは安堵する日々でした。
このような梅雨前線は、毎年当たり前の日本列島になります...とおっしゃられる学者の先生方もあります。
こんな心配をしながらの2週間の展示会でしたが、西川孝次さんの吹きガラスも染付の器も涼をよび、心を平穏にし、確実に生活に喜びを与えて下さる事を実感させていただきました。
こんな喜びを与えてくださる作家さんにも、数多くのお客様達にも、深い感謝とともに御礼申し上げたいと思います。

日本が世界が少しずつ前を向いて歩き始めようとしています。
先日、訪れた、京都市京セラ美術館も、3年間の修復を終え、3月開館の予定が今になり、やっと動き始めたのです。予約制ではありましたが、私たちが長く長く馴染んだ光景が、どのような変化をしたのか拝見させていただきました。
京都市民の誇りであった歴史ある部分と、新しい時代への対応とが相まって...これからも進化をしてゆく、そして未来へ向かおうとする希望がありました。

 

東山を望む広々としたお庭は、そのうち一般に解放するのだそうです。

未来が、より美しい列島であり、より美しい人々の心が育まれる日本であって欲しい...と願わずにはいられません。
時代が変われども、まっすぐが一番と考えています。一生懸命の先に夢中があり、夢中になれることの幸せを、今回の展示会でより深くしたのです。
そして、このコロナ禍の中で、私自身も仕事に込める想いは格別でした。どこまで続くかわからない今の状況を目の前に、応援して下さるお客様と共に一ツ一ツ丁寧に歩んでいきたいと思っています。
皆様の暮らしも一変してしまった事と思います。とにかくお体も心も大切にして頂きたい...、と祈る思いです。

この「日常つれづれ」は私の深い感謝の気持ちをお伝え出来るものでありたいのです。そしていつもお読み頂いている事にも心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございます。

夏休みは14日(金)~17日(月)まで取らせていただきます。
しばらくの間、営業時間はAM 10:30~PM 4:00です。

お目にかかれますことを楽しみに...。涼しくしてお待ちしております。今後共どうぞよろしくお願い申し上げます

今回の展示会の作品です。
西川孝次 ・面取りタンブラー
晧洋窯 ・シノギ染付4寸皿
お菓子 ・仙太郎・老玉(うばたま)
2020年(令和2)6月10日

令和も、すでに2年を数えます。コロナ禍の異常な中で世界が震撼とし、人類への試練としては大きな代償を払っています。
4月・5月、本来ならば新学年、新社会人が希望に満ちてスタートする季節でした。大変なニュースが飛び交い、重ねて不安を募らせてゆくのです。
そして6月。それでも自然は歩みを止める事はありません。木々の緑はより緑を濃くし、緑陰を渡る風は心地良く、初夏の爽やかさを体いっぱいに受け、生き物は太陽を謳歌するのです。

5月の「日常つれづれ」はお休みさせて頂きました。4月、自粛生活を強いられる中で意気消沈してしまい、小さく暮らすことに気概を失いかけていました。店の営業時間も短縮しました。しばらくは、コロナウィルスの恐怖もあり、日々の暮らしに迷いがありました。

営業時間が終わり家に帰ると早々に夕食を整え、食事をとり、休憩をした後、日差しが陰り始めた町内の街はずれを、あちこち毎日散歩することが日常になり、生活にリズムが生まれたのです。

夕暮れの涼やかな風の心地良さに助けられたと思います。田舎町で暮らす事のありがたさを実感しています。
日・月曜日の定休日には、淀川の堤(土手)を自転車で走り、川の中のロードを風を切って走り抜ける。あまり手を加えていない淀川は自然が溢れているのです。

又、ある日には、サントリー山崎工場を経て、大山崎町まで、脇道を選びながら走るのです。サントリーのお庭は見事なお花畑です。

工場の建物と建物の間を抜けると、私は全く知らなかった、深い谷と緑で覆われた椎尾(しいお)神社がありました。由緒書きは忘れてしまいましたが、古い古いいわれがあるようです。人の手が入っていない佇まいは、どこか子供の頃出会った様な懐かしさを覚えるのです。

 

サントリーは、お酒が出来上がると、これを持ちお参りをするのだそうです。この小さな街に40年以上住んでいますが、知らない事ばかりです。
毎週、いろいろな道を走ると、新たな発見があり、又、次週も何処かの道を走ってみようと思うのです。

しかし、この2~3週間で景色が変わろうとしている場所があります。JR島本駅より西側(山側)が開発のための準備の段階に入り、刻々とそれに向かっているのです。

反対運動も頓挫し、高さ制限をかけようとする住民運動とは裏腹に議会を通過していくのです。議会制民主主義とは一体何なのでしょう。経済の原理がすべてに優先するのです。人口が減少し、社会が疲弊していく可能性を無視し、この地球を無視するのです。

昨年は、まだ美しい水田が広がり瑞々しい景色が広がり、つばめが低空を飛び、かえるが鳴き、山からオゾンを含んだ冷たい風が流れ・・・・そんな街をとても誇りに思っていました。

私の住まいの山側に、ちょっとした緑地があるのですが、そのちょっとした緑の中で、うぐいすが一生懸命歌うのです。「ホーホケキョ!!」と。健気でもあり力強くもあり、十数羽は居るであろうと思うのですが、まったく姿は見せません。
又、ある早朝には、小さな水路に、鴨のつがいが1組、仲睦まじい姿を見せるのです。世間が騒がしい時間になると、どこへともなく姿を消します。そして次の朝、現れるのです。小動物は自然を必要としています。

いろいろな行事が取りやめになり、お出かけもままならない中で、自然からの癒しを受け取る事の出来る貴重な島本町なのです。

本もたくさん読みました。その途上、宮本輝の9巻の小説に出会ってしまったのです。彼が35才から書き始め、現在73才。やっと最近完結したのです。30幾年と言う歳月を費やした、自伝的大河ドラマ・・・父と子の物語です。
今、4巻目が終わりました。彼の三部作「泥の河・蛍川・道頓堀川」に連動した壮大な人間ドラマに引きずりこまれてしまっています。
「幸福とは・・・愛とは・・・」何と深い!!

 

宮本輝のお顔を、本の装丁で拝見する事はありましたが、穏やかそうにお見受けする内なる中に「火の玉」をお持ちであり、魔性をお持ちだったことにも驚き、それゆえ美しいお姿をしているのだと納得してしまったのです。
小説と言うものの中に、美しさも、哀しさも恨みも憎しみも、そしてそれらを包み込み激情が走るのです。改めて小説が持つ力に感動したのです。

そろそろ前を向こうと思い6月30日から展示会をしようと考えています。

西川孝次の吹きガラスと染付の器
2020・6・30〔火〕 - 7・11〔土〕
10:30-17:00  5日(日)・6日(月)休み緑陰を渡る風。7月ともなると夏の日差しが容赦なく照り付けます。暮らしも佇まいもすっかり変わります。
ガラスの器に冷たい料理を盛り、冷酒を頂き、清涼感を楽しむのです。
西川孝次さんの吹きガラスの作品やお人柄に、私は深い信頼を寄せています。
染付の器は皓洋窯と福珠窯のシンプルな作品です。美しい作品に力を添えて頂き、ゆっくり前に進みます。自然の変化に敏感な日本人の暮らしを見つけに来てください。
心よりお待ち申し上げております。

花染は日常と同じ佇まいです。4月以降、店にとっては受難の日々ですが、仕事あって良かった・・・としみじみ思います。
お立ち寄りくださる客様とゆっくりお話をしたり、掃除や片付けをしたり品物を並べ替えたり・・・店を可愛がりながら過ごしました。そして空白の時間は本を読むのです。

そしてやっと6/1(月)2ヶ月ぶりに急用のため、京都へ出かけました。観光客も少ないのでしょう。落ち着きを取り戻したかに見える京都です。
鴨川に降りてみましたが、数十年前の景色です。人影はまばらで、ゆっくり風が流れ、水音も心地良く・・・川の瀬で鴨が安心しきった様に泳ぐ姿は、とても可愛くて私たちも心が安らぐのです。

 

どれほど、私たちの暮らしが地球環境を汚染させているかよく分かります。見上げると、青い空に白い雲・・・何とも得がたいい情景は、今しか味わえないものかもしれません。
そろそろ梅雨に入ります。あじさいの花を、店のいたるところに生けました。私もコロナ禍の下、暮らし方がずいぶん変わりました。まだまだ終息まで時間がかかるのでしょうね。

ちょっとした幸せを積み重ねながら、この状況を受け止め、日々を過ごして行ければばありがたいと思います。
皆様もそれぞれの過ごし方をお持ちの事と思います。くれぐれもお体を大切に・・・そしてお目にかかれます日を楽しみにお待ち申し上げております。

2020年(令和2年)4月8日

日本中が待ちに待った桜の季節です。2月、3月と世界中が不穏な中でやっと桜が咲いた。。。と言う思いでしたのに、お花見に出かける事もできず、寂しさと悲しみの春です。
私の暮らす島本町は、4/1・4/2が満開でした。桜の大木がこの街にはたくさんあるのですが、とても寂しく私の目には映るのです。
本来は、見事な桜並木が続く光景は、この街に暮らして良かったと思える日々を私達に与えてくれるのですが・・・。

この写真も、私の暮らしの中にある桜の大木です。4/2に撮りました。雨上がりの春の光の中で、薄桜色は、青い空に生え、遠くに見える山桜も春を告げているのです。

今は、島本町内でひっそりと暮らす日々です。花染の裏の小さな空間にも狭いながら、癒しの春がやってきています。次々、宿根草が若葉を茂らせ、みずみずしい佇まいで、嫌な事を少しは軽減してくれるのです。
昨年買い求めた「もみじ」がなんと可愛い事。一枚一枚の葉は幼児が手の指を広げたように見える若木なのです

毎朝、店に出てくると、この様子を見る事から始まる1日です。
世界中を覆い尽くしている悲しみは、いつ終わるのでしょう。
嬉しい事、楽しい事を考えてみたいと思います。島本町から大山崎、長岡に続く「西山」は京都でも一番と言われる竹の子の産地です。味、風味共に絶品で柔らかく、きめ細かく上質なのです。
この竹の子を春の光と共に待っているのです。美味しい竹の子料理を考え、自然からの恵みを頂く事が、私たちを幸せにしてくれるものと考えています。4月下旬までが最高のシーズンです。

話は変わります。
先月3月の手書きの「花染通信」に穴窯と登窯の違いを簡単に書きました。私共の作家・佐藤烓の穴窯での焼成の話に取りかかったのですが、小さな紙面では無理があり、続きは花染HP「日常つれづれ」に書きますので、お読み頂けると嬉しい・・・と締めくくりました。

佐藤烓氏と出会ったのは、花染開店間もない1983年(昭和58年)滋賀県・大津で作陶をなさっている頃の事です。佐藤さんも独立して3年目でした。その後1984年、岩手県・遠野市へ。作家「宇野千代」の芸術村の様な所へ引かれお住まいを移したのです。本格的にお互いの仕事上、がっぷり組んだのは、この頃からでした。彼も私も、本当に若い、前しか向いていない年齢でした。

時代も、日本が右肩上がりの頃でしたので、私達は話し合いながら、次々と作品を生み出していったのです。1ツの目的を持って進んだ月日は、堅い信頼をも結んだのです。多くの人々の支持を得た楽しい時期でした。
それから数年を経て、彼自身の郷里・群馬県高崎市の近くの山深い倉渕村に居を構え、1990年(平成2年)、半地上式穴窯を築き、独自の須恵器、焼き締めを完成させたのです。

そして、見事な作品を制作する事になったのです。彼が40~50前後、男性が一番充実する頃でしょう。暮らしは貧しくても豊かな作品が生まれたのです。

その当時、穴窯の窯出しは、私も日帰りでした。朝一番の新幹線で京都を立ち、東京から高崎を経て山に入るのです。お昼前には到着です。喜々とする仕事でした。
自らが開墾した広い土地に、プレハブの小さな家と工房があり、穴窯があり、たくさんの薪が積み上げられていました。自然以外、何もないだだっ広い中、たき火をし、下仁田ねぎを焼き、ふきのとうの味噌こんにゃくを食し、彼の器は見事に合致していました。
倉渕村の暮らしは、たくましい本来の人間の姿でした。
奥様は、とてもお料理がお上手でした。数年は、その場所へ通いました。春は私にとっても、幸せな時間だったと思います。お互い仕事上の戦友の様なとても良い関係でした。密に生きた時間でもあったのです。
この間、私共の2Fで展示会をして頂いていました。

それから又数年・・・。もっと山奥へ・・・、標高700メートルに移り、ポツンと一軒、うって変わって素敵な住まいと工房お作りになり、数段飛躍したのです。
「サライ」に数ページにわたり、大きく取り上げられたのは1999年(平成11年)。メディアに登場する事も頻繁になりました。
私も歳を重ね、日帰りと言う事は無くなり、近くのひなびた温泉に泊まる様になりました。
彼は尚一層、精力的でした。一抱えある程の大壺、大皿などの大作は、彼の力量そのものでした。

私共のお客様も、佐藤?さんの人物、作品には、とても馴染んで下さっていました。花染での展示会の折「穴窯の話とボージョレーヌーボーを楽しむ会」を、たくさんのお客様達と楽しんだ事もあります。
作家とお客様そして私は、心より信頼し合っていた永いお付き合いでした。彼の数十年の作陶の人生を、公私にわたり見続けてきたのです。
4年程前、彼からの電話の声の微妙な変化に気づき、おたずねすると、ご病気をなさって療養している・・・との事でした。しかし頑張っているのです。一昨年だったか、たくさんお持ちの作品で「70歳古希のお祝い」の展示会を高崎市でなさったとの話を彼から聞きました。
早くお見舞いがてら倉渕村までお伺いしたいと思っているのですが・・・。
春、山々の木々が芽ぶき、山吹きの花が咲き、遅い山桜が咲く頃の山里の光景が鮮明によみがえります。
心地よい風が流れ、天まで届く青空の下、くんせい窯、陶板で焼いて下さる自然の恵みに舌鼓を打ち、山菜の天ぷらをほおばり、ビールを頂く・・・。

たくさんの人々がお手伝いをし、おしゃべりに興じる窯出しの光景は、何にも変えがたい美しい山里の豊かさでした。
お互い切磋琢磨し、支え合い、共に仕事にまい進した日々が、間違いなく現実にあった事、仕事から与えてもらった大きなものに感動するのです。
書き足りない事ばかりですが、花染HP「陶器Part1 佐藤烓」をクリックしてみて下さいませ。

今回、彼の話ばかりで終始しましたが、彼の病との日々、そしてまだまだ命ある限り前に向かって欲しい・・・との願いからです。
彼の山の中の住まいは、これから4月末~5月・6月、美しい木々の美しい季節です。桜は咲いても散っても美しい・・・。その山里に思いを馳せ、ご家族の皆様が幸せであって欲しいと願うのです。

私も毎朝、我が家のベランダに咲く椿の花を手折り、店の花入れにそっとさす暮らしです。

皆様もこの時期、どうぞお気をつけてお過ごし下さいませ。ちょっとした喜びを感じる事を見つけて頂けます事を心より願っています。
長い「佐藤烓」のお話をお読みいただきましてありがとうございます。

佐藤烓 作
1990年代、彼が一番油が乗っていたころの作品です。
須恵器・焼締 高炉
私の一番のお気に入り。我が家で大切にしています。

2020年(令和2年)3月6日

春が来ました。素晴らしい自然の芽吹きです。私共の小さな裏庭に、まず二葉葵が深い緑色の瑞々しい葉を広げます。後を追うように、ほととぎす、そして白雪げしがなんともはかなげに芽を出します。「白雪げし」は名のごとく可憐なのです。花が咲いてくれる日を楽しみにしています。

もみじも、沙羅の木も、やまぶきも、すべての木々の芽は、ふくよかさを増し、春の命を伝えてくれています。
寒い冷たい冬を過ごし、私達と同じように春を待っていたのです。
2月が終わると、ホッとすることがあります。税金の申告が終わると、疲れがドッと出るのです。毎年の事ではあるのですが、棚卸しに時間を費やし、どんどん疲れていくのです。
今年も例年のごとく棚卸しをする中で、改めて気がついたのですが、なんと45?46の作家、業者さんのお世話になっているのです。
漠然と30軒余りかなぁ~と思っていたのですが・・・。こんなにたくさんの人達に支えられ、仕事をさせて頂いている事に、今さらながら驚いてしまいました。本当に長い年月、感謝するばかりです。

そんな思いを新たにする中で、北村一男氏に何故か心動かされるものを感じたのです。
彼は打出しの銅鍋を作っています。
彼の作品の深鍋に出会ったのは、いつの頃でしたでしょう。
北村一男さんと言う方が作った・・・と言う事は知っていましたが、何とはなく、我が家で煮込鍋として使用していたのです。長年使うことにより雰囲気を醸し出す銅の魅力は、気がつかない間に、すっかり台所に馴染んでしまっていたのです。


私が手に入れた時期から数えて、何年後だったのかは忘れてしまいましたが、突然、降ってわいた様に彼に出会う事が出来たのです。
お取引きのある陶芸家の方が、北村さんをよくご存知との事で工房へ連れて行ってくれたのです。
京都府亀岡市の人里離れた、たった一軒がポツンと佇む奥深い山の中の工房でした。その工房は、素朴と言うよりは、小屋の様な佇まいでした。そこで出会った彼に、職人のへんこな姿を見たのです。
私は、物事に先入観は持たないので、彼のお鍋を探していたこと、そして出会った喜びを、とっさにぶつけたのだと思います。
銅板と槌とハサミ・・・出会ったすべてが素朴であり、それに気持ちが入ってしまったのです。お話は溢れる様にありました。彼も饒舌に私に対峙してくださったのです。
あえて言わせて頂くと。。。素朴な小屋の側に、畠もありました。自然の光と風、そして仕事と畑。こんな時代の中にあっても、動じない彼の姿に私は魅せられたのです。
彼の工房へ私を連れて行って下さった陶芸家が「あんなに人とよくしゃべる北村さんを、未だかつて見たことがない!!」と言っていました。
北村さんと私は気があってしまったのです。
その後しばらくして花染の2Fで小さな展示会をさせて頂きました。
すっかり長いお付き合いになりました。彼自身も、この頃から、人様に求められるようになり、お忙しい人となったのです。
昔は、この仕事で生きてゆけるのか?と思う程、貧しかった・・・と言っていました。
職人さんなので「売る事」には長けていなかったのだと思います。
私を連れて行って下さった陶芸家が各地の民藝店に彼を紹介したのだそうです。

真面目な仕事をしていると、きっと人は助けてくれるのだと・・・感慨深いものがあります。
仕事の注文をお手紙で出しておくと、2~3ヶ月後必ず、それを携えて、バイクで、私の店まで持って来てくれるのです。工房から花染までかなりの距離です。それも国道を走るのです。
「送ってくれたらいいのに~」と言っても彼は必ずやって来ます。山の中で仕事をしているので気分転換になるのかもしれませんね。
お菓子とお茶を・・・2人で美味しく頂きながら、たわいもないお話を延々とするのです。楽しいですヨ!
ご自分で作ったすいかやかぼちゃを携えて下さる時もあります。これが又、美味なので嬉しさも格別です。
彼の手は真っ黒です。それも好きです。男性のたくましい仕事の手です。

もう1ツ北村さんを好きだと思う事があります。
お客様から修理を依頼された彼の作品を、私共から送らせて頂くのですが、見事に新品同様になって帰って来ます。ご自身の仕事、作品をとても愛しているのです。
内側にすずを張り直し、お客様が痛めた部分を修理し、美しく磨き又、それを携えてきて下さるのです。
こんな関係が続いてくれる事が私は幸せなのです。
私共のHPをご覧くださって、お電話でご注文下さる品物の中に卵焼き器があります。

市販のものとは、まるで異なり、周りをしっかり補強している仕事を見ると3世代も4世代も使って欲しい・・・との思いが見えるのです。
プロの料理人からのご注文も入りますが、料理人が1日数十回使用しても100年は耐えるに違いないと思ってしまうのです。
HPからの注文を受ける仕事は、お送りすれば、それで終わってしまい、チョット寂しいのですが、お求め頂いた先で重宝がられ、喜んで下さる事をいつも願っているのです。

昨年末、HPをご覧くださって若い女性(声をお聞きして・・・?)からお電話を頂き、相談の結果「段付7寸深鍋」をお送りさせて頂きました。
お代金をお振り込みくださった折にメモ書きで、とても嬉しい言葉を頂きました。

「アートを眺めているような感覚です。大きさも重さも私には
ちょうど良いです。大切に、たくさん使わせていただきます。
素敵な銅鍋との出会いを与えてくださり、ありがとうございました。」

北村さんも、私も、これ程の喜びがあるでしょうか。北村一男さんの仕事の手、仕事ゆえの真っ黒いたくましい手から、こんな美しい鍋が生まれるのです。
こんな仕事の世界があればこそ...。私も仕事に育ててもらう事が出来るのです。
寒い冬の間も、ひとり黙々と仕事をする姿を想像し、山の中で、彼は春を待っているのではないかと思うのです。

3月の展示会です。

コンテンポラリーを求めて...
2020・3・10〔火〕 - 3・21〔土〕
10:30-17:30  15日(日)・16日(月)休み

あえて、コンテンポラリーと名付け、現代的な作品を集めて展示会をしてみよう
と思い立ち、数ヶ月かけ10人余りの作家さんの作品をお願いいたしました。
展示会をしてみるまで雰囲気は把握できませんが、新しくお付き合いが
始まる作家さんも出品してくださいましたので、普段の花染とは異なった
模様が広がるのではないかと思っています。
お客様に楽しんでいただけることが喜びですが、楽しみは私自身でもあります。
1月・2月をかけ抜け、やって来た春 3月!嬉しい・楽しい・喜びが、いっぱい
あります様...と願っての企画です。
どうぞ春の日差しを体いっぱい感じて頂きながらお出かけくださいませ。
お待ち申し上げております。

この一年は、新たな試みをしてみたい...と密かに企てています。
如何なります事か、先はまだ見えておりませんが、気持ちを丈夫に頑張りたいですネ。

今年は桜の花の開花も例年より早い・・・とお聞きしました。心がざわつく桜です。
桜の花は咲いても散っても美しい・・・日本人の原風景、そして死生観に通じています。穏やかに心静かにこの季節を迎えたいものです。
この度の「日常つれづれ」は、北村一男さんの「人となり」をお伝えすることに終始してしまいました。少々長くなりましたがお読み頂いてありがとうございます。
寒暖の差に戸惑う日々ですが、どうぞくれぐれもお気をつけてお過ごし下さいませ。

柴田雅章 黒釉花入

@@@@@@@@@@@@@@@@ここからおかしい

2020年(令和2年)2月5日

1月はまたたく間に過ぎてゆきました。異常とも言える気候に日本中が翻弄され、地球規模の危うさを実感しています。
それでも立春が過ぎると、本格的な春の足音が聞こえます。店へと走る道端に咲くろう梅。可愛い花をぶっくりと膨らませ、私の目を楽しませてくれています。

自然の声が聞こえます。聞いてやって欲しいと思うのです。これからの10年が地球の運命を左右するのだそうです。四季折々の美しい日本。それに伴う森羅万象に思いを込めて、自然に親しむ日々の中を歩きたいですね。私達に何が出来るのか考えねばなりません。

最近、数十年ぶりに辞書を買いました。「なるべくコンパクトで使いやすいもの。」と私の要望を汲んで「三省堂・国語辞典」を水無瀬駅前の長谷川書店さんが選んで下さいました。

私が長年、愛用してきたものも「三省堂」です。従来のものでは、時代的に足りない言葉があり、少々、不自由を感じていました。愛用のものを手元から離す寂しさはありましたが、使い込んでボロボロになってしまっていましたので、やっとの思いで新しくしたのです。
頁をめくると、そこには美しい日本語が溢れていました。言葉に込められた編者の思いは深く、私達に伝わります。時間があれば1語ずつ読んでみたいものだと思わずにはいられません。

折々、手書きの「花染通信」を発行しているのですが、その中の季節のカットは、俳句の為の《虚子編・季寄せ》を参考にしています。これもまた、私の知り得ない自然で溢れているのです。

『春』立春(2月4・5日)~立夏(5月6日)の前日までを言うのであるが、月で言う場合は2月・3月・4月を春とする…とあります。
「春の人暮るゝを知らず庭に在り」 虚子
花染の裏庭も、日差しは優しく木々の芽は、しっかり支度を整え、宿根草も、土の中で今か今かと待っています。この「季寄せ」の小冊子を開ける度に、日本語の美しさ、日本人の佇まいに感動するのです。
美しい言葉を紡ぎ出す人の内側には、美しい佇まいがある・・・と私は信じています。事を成し遂げた先人達の残した言葉から、いにしえの心情を学びたいと思っています。

日本を愛する外国の人々は、この日本の自然や四季を愛し、日本の伝統を愛し、日本人の繊細な風情を愛するのではないでしょうか。
昨年「リーチ先生」原田マハの本を読みました。表紙を開けると春が来た・・・から始まります。

「リーチ先生」が土壌豊かな大分の山あい陶工の里、小鹿田(おんだ)にやってくる!!何ともワクワク、読者の心をつかむのです。

物語と事実を同化させながら進行する楽しさに引き込まれていくのです。それも魅力的で小説家としての原田氏に感服させられているのですが、何より100年前、リーチが暮らした日本の芸術、文化にも感服するのです。
高村光雲が、高村光太郎が、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉が・・・「白樺」の文学者が、画家達が、若い命を燃やした日本があったのです。
リーチが愛した日本は、たくさんの友に恵まれた素晴らしい芸術の世界だった事でしょう。
手のひらに置いた1冊の本から100年前の天才達の姿が浮かび上がり、熱い炎を燃やすのです。

幾十年前の小鹿田(おんだ)への旅を私も懐かしく思い出します。
1月の小雪の舞う静かな里でした。半農半陶の暮らし…十軒程の窯元が山あいに続く道の両側に連なり、大きな登窯を共有し、独特の雰囲気を醸し出す風景でした。
清らかな水音、その水流を引き込み唐臼で土を砕く音。小鹿田の里に心地よい音が響くのです。
蕎麦屋さんを兼ねた宿が一軒。その宿に泊めていただいたのです。
今も鮮やかに目と耳に、昨日のようによみがえります。
近年は便利な世の中になってしまったので、もうすでにその宿はなくなっているかも知れないですね。確か・・・黒木さんとおっしゃるお家だったと記憶しています。
その頃の作品は、すでに花染にはありませんが、唯一、小石原の太田哲三氏の大皿が残っています。小石原は、小鹿田の兄のような位置にあります。
]

哲三氏も、今も活躍なさっていると思うのですが、ご子息が、ガラスをなさっている・・・とお聞きしたことがあります。今は昔、時はかなたに流れ過ぎて行きました。

昭和30年代、40年代に相次いで富本憲吉も、河井寛次郎・濱田庄司・柳宗悦も、陶芸の道をひたすら走り、命を燃やした仲間達も天国へ旅立ったのです。イギリスの地で、この美しき工芸を愛した仲間を、リーチは1人残り見送ったのだと思うと、胸にせまるものがあります。
民藝の世界は、時代とともに変化せざるを得ない部分もあったのですが、その精神は、今の世代へ脈々と受け継がれているのです。
こんな事を振り返り書いていると、子供の頃から慣れ親しんだ民藝、そして花染37年がよみがえり、感傷的になります。この美しき先人の先生方の熱き想いを、この「リーチ先生」の本は私に改めて思い起こさせてくれたのです

2月は展示会は休み、1年間の準備をします。
3月は、★コンテンポラリーを求めて・・・。
現代的、今日的な作品を集めます。
春の光とともに素敵な企画でお出迎えできれば嬉しいです。

梅の便りもチラホラ聞こえる様になりました。
おひな様を飾り、店にガーベラとスイートピーを生けてみました。
春が来る・・・何とも響きが良いです。時代に流されず、前を向いて歩きたいと思っています。
どうぞ、くれぐれもお気をつけて、を大切にお過ごし下さいませ。

 

2020年(令和2年)1月8日

新たな年を迎えます。元旦の朝、神々しく輝く初日の出に、たくさんの思いを込めて手を合わせます。どうぞ健康で良き年であります様にと願うのです。ありがたいと思う気持ちは年齢とともに変化してきました。生きとし生ける物への感謝の思いが深くなるのです。

自然の恵みを頂くお正月、元旦の朝。お節のお重の中は、古来よりの決め事が、大切に詰まっています。健やかに1年が送れます様、いにしえ人が思いを込めたのですね。
そして温かいお雑煮は、母の面影です。私の故郷の、私母が育った頃の食材はすでに手に入らないものもありますが、味付けは、母のものです。家族が慈しんだ我家の伝統は、私の中に生きています。身近にある小さな家族の世界から1年が巡り始める事に意味があるのですね。

令和と元号が変わり、今年は感謝の年にしたいナァ~と思うのです。花染は、3月1日で38年目に入ります。健康を害した年もありました。力の限り走った頃もありました。全てを包み込み、仕事を懸命に出来る環境にいる自分に気づいたのです。真っ白なカレンダーに一字一句を書き込んでいく様に、前に向かいたい・・・。無事仕事ができますれば幸せだと思っています。

空気は冷たいけれど、暖かい日差しに恵まれた、穏やかな3が日でした。毎年2日は初詣です。新たな年は振り出しに戻って、京都東山・六波羅蜜寺へお参りする事にしたのです。

六波羅密寺は平清盛をおまつりしているのですが、決して時代におもねる様子はなく、佇まいが大好きで、やはりここにお参りをさせて頂くことが私の基本です。平家一族の壮大な時代絵巻が繰り広げられたであろう夢は今は昔。
現在のこの辺りは、古い家々が軒を連ね、庶民の暮らしが息づく、とても落ち着いた街並みです。

ここから裏の通りを抜け、建仁寺の広大な伽藍を抜け・・・、随分な距離を歩いた初詣でした。観光客が比較的少ない、昔の面影を残す小路を選んで歩くと、正月の風景を、そこかしこに発見するのです。美しい日本のお正月を感じさせてくれるのです。

元旦の朝、届けられるお年賀状にも、美しい日本の習慣は生きています。素敵な版画で送ってくれる人、美しい墨の香りがするお年賀状、毎年工夫を凝らしてくださるお気持ちに、感謝しています。
こうして、お年賀状が人の心をつないでいるのですね。

私の日常も、お葉書、お手紙を書くことが多い生活をしています。お世話になるお客様・・・、作家の先生方・・・、手に取って読んでくださることが喜びだと思っています。葉書を選び、手紙の用紙を選び、ポストに投函するときのちょっとドキドキ・・・嬉しいものです。

昔、毛筆で巻紙にお便りをしたためることに挑戦した時期がありました。これに使ったのが、出雲の斐伊川和紙です。私が若く元気だった頃、よく山陰への旅をしていました。
雪の降る山陰、暑い中の山陰・・・。日本の美しい人の営み、風景が、そして美しい民藝が私を虜にしたのです。その中に今も忘れえない、斐伊川和紙の里の工房をお訪ねしたことがあります。それは5月の田植えの終わった緑豊かな水田が広がる景色の中の佇まいでした。古い記憶ですが、この光景は私の目に今も残っています。
全く、おごりのない、お仕事として普通に営まれる手すき紙。静かな暮らしでした。通していただいた日本間は簡素で美しい日本人の暮らしでした。畳があり、障子があり、襖があり、無駄なものが存在しない空間は、私の心を瞬時にとらえたのです。
ご当主にいろいろ教えて頂き、お仕事を拝見させて頂き、私共の店で扱わせて頂くお許しを得たのです。

一枚一枚、板ばりをした手すき紙には、くっきりと板目が残り、人の美しい「手」が心に残るのです。

実は、このきっかけを作ってくれたのが、出西窯の多々納さんからの手紙でした。出西窯の多々納さんとのお取引きがあり、手紙が往復した頃があったのです。お手紙は巻き紙に芸術的な文字で豪快に綴られていました。
紙面は、空白が美しく、実におおらかなものでした。それに使用されていたのが出雲の斐伊川和紙の巻き紙でした。
文字やお手紙は、心意気で書くものかもしれないと思い、多々納さんを目指し、筆を取ったのです。
たっぷり墨を筆に含ませ、思いっきり書き出すのです。一つの文脈が終わるまで・・・。細く細くかすれてゆくのが美しく、この斐伊川和紙の巻き紙に助けられ、はまっていました。(巻き紙は残念ながら、既に手元にはありません)
お客様の中で、もともと毛筆でお書きになっている人達にも、お褒めを頂いていました。極端に言えば、5~6人の方々のためにこの和紙を入れていました。

時は流れ、その方々もお年を召され、お手紙を書くことも次第に大変になり、私自身も、巻き紙に大仰に書く時代では無い様な気がして、すっかり書かなくなりました。
しかし、自分の思いが伝わり、自分の力量以上の表現が出来る事の楽しさはありました。
出西窯とのお取引もなくなり、多々納さんも亡くなり・・・、今では懐かしい思い出です。

私の名刺は、つい最近までこの斐伊川和紙で漉かれたものを使っていました。一枚一枚印刷してもらっていました。この印刷方法は高価でもあり、今は普通の名刺に切り替え、業者さんにお願いしています。これを書きながら、斐伊川の名刺用紙が残り100~200枚くらいの残っていることを思い出しました。
この名刺にも板ばりをして、天日で乾燥させた板目がくっきりとついています。

もし、私の手におえる金額ならば、今一度この名刺を作ってみてもいいかナァ~と心はずむ思いが芽生えてしまいました。
その頃の斐伊川和紙のご当主も亡くなり、息子さんの代になっています。ポピュラーではありませんが、重要な文献、資料等を写したり・・・、その他日本文化を担い、大きな役割をしているのです。

ちょっと贅沢・・・と思ったのですが、私の家の襖紙も、その頃、ここで漉いて頂いて30年。びくともしていません。風情を醸し出しているのです。この日本の暮らしを私は生涯忘れる事はないと思うのです。

山陰には、牛ノ戸がありました。吉田璋也も舩木先生も、湯町も、出西も、石飛先生も森山窯も、島田窯もありました。先生方の力強い支えを頂き、私の内なる力として満たしてくださっているのです。

今回の「日常つれづれ」は、こんな話で終始してしまいました。
日本が、世界が、大きく変化しようとする時代だと思うのですが、万葉集に詠まれる人々の心は、今の時代も変わらないのではないでしょうか。
人を愛し、別れ、ねたみ、そねみ、権力争い、哀れみ、そして喜び・・・。千年万年続く思いを、体いっぱい感じながら、私なりに受け止め、これからもまっすぐ、生き様を拙い言葉で綴ってゆければ嬉しいと思っています。そして仕事に育ててもらえるよう、頑張りたいと思います。

私の大好きな椿の花の咲く季節です。やぶ椿の真っ赤な色に思いを致しながらです。
お正月明けは7日(火)から営業しています。
インフルエンザの予防接種はしましたか? 私は接種は受けないのです。この37年間で6度インフルエンザにかかりました。お医者様に「かかり過ぎ!」と言われます。それでも頑固なまでに受けないのです。何故でしょう!!でも皆様はくれぐれもお気をつけてお大事にしてくださいませ。
新春。お目にかかれますことを楽しみにしています。

]
この花入れは信楽、灰被り扁壺です。
たっぷり灰に埋もれたた部分は見事です。
25年位前に穴窯で焼成されました。

7日は七草粥の日でした。白いお粥の中に、七草の緑が映えて春を感じさせてくれます。お正月の疲れを取り、胃を休め、季節の美味しいものを頂きましょう。先人達の知恵は素晴らしいですね。

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