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日常つれづれ(2020年)
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2020年
2020年(令和2)12月23日
心が落ち着かぬまま、12月を迎えました。この一年がまたたく間でした。 今月の「日常つれづれ」が遅くなってしまいました そんなこんなで落ち着きのない師走を迎える事になりました。花染はお正月にむかって店を整え、皆様をお待ち致しております。 この状況下ですので、ご家庭で迎える年末、お正月になる事でしょう。 年内は12月29日(火)まで新年は1月5日(火)からです。
お客様、作家の先生方に支えて頂いた一年でした。大きな不安を抱えながらではありましたが、お力添えを頂きながら、無事、展示会も数回は行う事ができました。感謝の思いでいっぱいです。 |
2020年(令和2)11月4日
朝になれば日は昇り、夕になれば日は沈む。自然は何も変わっていないのです。 不穏なものに群がる人間怪物の底知れぬ欲望を見てしまうのです。あまり品の良いものではありません。平常心を失って欲しくはないのです。 このところ秋晴れの日が続いています。10月最終月曜日、京都府立植物園へ秋を探しに行きました。日だまりでコスモスが風に揺れ、バラ園は、最高の見頃はちょっとばかり過ぎていましたが、まだまだ色とりどり、種類とりどり・・・迎えてくれるのです。美しいバラも名前がありすぎて、とても覚えきれませんが、写真を撮りながら、降り注ぐ日差しを堪能しました。 その中で、大勢の人たちが、コスモスやバラの花の花殻を一ツ一ツ摘み取っているのです。従業員の人もいるかもしれませんが、これはきっとボランティアの人達・・・。花を慈しむ事ができる人達の真心でなされているのではないかと思ったのです。 植物園の中央部分に、木々に囲まれた大きな芝生の公園があります。そこのベンチに座り、持ち込んだおにぎり、お茶、コーヒーをお昼にするのです。保育園児が、可愛い姿で走り回り、芝生の上に、それぞれが敷物を広げお昼を食べたり、はしゃいだりする姿はいかにも愛らしく、こちらも思わず笑顔になります。中には大声で泣き出す児もありますが、先生は慣れたものです。 毎度、私達が座るベンチは、大きなエノキの木陰です。コロナ禍を全く感じさせない穏やかな日差しに包まれ、束の間、美味しい空気を味わうのです。幸せを分けてもらった1日のお土産に、園内のお花屋さんで椿の苗木を買いました。赤い侘助です。蕾をいっぱいつけています。うまくいけば今年の内に咲いてくれるかもしれません。 10月のある日、新聞紙上に「高田賢三さんコロナで死去」の記事が目に飛び込みました。70年代アパレル業界を牽引した旗手でした。パリでは、ハイファッションのデザイナー達と肩を並べる存在であり、日本人の誇りでもありました。丁度日本でも、東京ファッション(?)ブランドが立ち上がり、稲葉賀恵、三宅一生、山本寛斎、川久保玲など個性的な人達が台頭したのです。 その頃、東京へ遊びに行くと、決まって表参道を歩いたものです。稲葉賀恵さんの「ビギ」の小さな店があり・・・とても素敵な通りでした。 現在の仕事についてからも、東京方面へのお仕事があると必ず表参道や原宿を歩いていました。 12月がすぐそこに見えてきました。11月は展示会は致しません。 美しきもの愛しきもの
2020・12・8〔火〕 - 12・19〔土〕 10:30-17:00 13日(日)・14日(月)休み もうすぐお正月です。人々の暮らしはすっかり変わってしまいましたが、自分の来し方、過ごし方を見つめる最良の機会になればと思っています。年を重ねる程に、心が、物が浄化出来れば、こんな嬉しい事はありません。物との付き合い方を考え直し、自分自身をもチェンジし、美しい日常へと進みたいと思います。 ・赤地 健 (赤絵) 美しい日本。美しい日本の心を取り戻したいものですね。 夕暮れが、随分早くなりました。仕事が終わり、帰り道、西の空を見上げると、ほんのり赤く染まる山際がとても美しいのです。「今日も無事だったナァ~」と思いをめぐらします。冷気は肌に心地良いです。 サボテン |
2020年(令和2)10月7日
秋が日々、肌に触れ目に触れる様になりました。 私の店の50mくらい先に島本第一中学校があるのですが、今年は運動会の、はち切れんばかりの若々しい声も、太鼓の音も、スピーカーから流れる進行の様子も、全く聞こえる事はありませんでした。 私はこの季節になると、子供の頃の故郷の秋祭りを思い出すのです。 私達子供も、可愛いおべべを着せてもらい、お化粧を施し、この神輿とやぐらを追いかけて走るのです。血が沸き立つなんとも晴れやかなお祭りの懐かしい思い出です。そうそう5~6才の頃だったか、追っかけて走る私は、帯の飾りとして垂らす赤い房を踏み、前へ倒れ、顔面に傷を負ったことを昨日の事のように思い出しました。 「いつか・・・、いつか・・・」秋のお祭りの頃、故郷へ帰りたい・・・と思っているうちに父も母も、かの岸ヘ渡ってしまいました。両親の居なくなった故郷は遠くへ遠くへ薄れて行くばかりです。 人は生まれ、必ず死ぬのです。いろいろの事に行き詰まり辛くなる時、私は父母と共に自分の来し方を思い起こすのです。 コロナ禍の中、家族に看取られず亡くなる方、そして自死を選ぶ方。 ちょっと幸せ・・・に感謝しつつ。質の良いマスクをなかなか見つけられず、使い捨てのものを使う事が多かったのですが、ちょっと気に入った手仕事のマスクを見つけ購入しました。心地良く肌に優しく、少しの幸せを手に入れた気分です。でも、早くこんなものが必要でない・・・過去の話になってくれると嬉しいです。 新しい日々の為に・・・前を向き10月8日(木)から展示会を致します。 多文化の布や道具たち
ギャベ・キリムを交えて・・・ 2020・10・8〔木〕 - 10・17〔土〕 10:30-17:00 11日(日)・12日(月)休み陽が穏やかになり、影が長くなって来ました。美しい月の光は地上を照らし静かな秋の訪れを実感するのです。 今回の展示会は、遠い国からやってきた美しい仕事・・・実用品と言うにはあまりに美しい多文化に心を動かされ、その思いをお伝えできればと思ったのです。 写真は、南米グアテマラの衣裳です。カラフルな色使い、素朴で力強い魅力溢れるものです。 タペストリーとして壁に掛け、お部屋のインテリアとしてご使用して頂くのが一番ふさわしいかなぁ~と思っています。アフリカ ――― クバ族の布、ロビ族のイス、トンガ族のイス、コートジボワールのイス ケニアのフクロウ、ホロホロ鳥・・・etc インド ――― 鉄キャンドルスタンド、花台、鉄くさり、こね鉢、インド綿の布・・・etcトルコ・スペイン・中国・韓国など多国籍です。 いにしえの文化、民族の多様性、そしてそれぞれの英知が刻まれているのです。日本文化との深い関わりを感じ取って頂ければ嬉しいです。 ★ギャベ・キリムもご用意しています。 道端のすすきが風に揺れています。天を見上げると、青い空にうろこ雲がとっても美しいのです。胸いっぱい深呼吸すると「人は何によって生かされているか・・・。」のヒントがあるかも知れません。 佐藤?・灰被り徳利(穴窯) |
2020年(令和2)9月2日
8月の暑さに辟易し、やっと来た9月です。7月の長い梅雨は多くの災害を生み、コロナ禍の中、ひたすら辛抱を余儀なくされる日々を過ごしました。出かける事もままならない日常は、意気消沈してしまいます。 左の写真は昨年まで、右は現在進行している姿です。私の住まいの裏側・山側なので、毎日この光景を目にせざるを得ないのです。悲しみはつのり、それは憤りへと変貌してゆくのです。 たくさんの生命が生息していました。生物にとって過酷な自然は、おのずと我々人間という生物にとっても良い環境ではないと思うのです。 今年もまた、8月は戦争がテーマの作品をメディアを通してたくさん拝見しました。NHKのドキュメンタリー番組は、他の追随を許さない圧巻なのです。 戦争は消えることのない悲しみと憎悪を人々に残すのです。物事を深く知る事は、人間の悪を知る事につながる...との思いを、私はいつも抱えてしまうのです。 NHK「日曜美術館」も、この時期、戦争に翻弄された人々の姿を映しだすのです。シベリア抑留から帰還した画家。戦争高揚に加担せざるを得なかった画家。戦地で体験した苦悩を彫刻に、絵画に表現しようとする芸術家。それぞれの戦争を、この「日曜美術館」は私に長年にわたり教えてくれたのです。 8月9日、放映された「日曜美術館」は再び、長野・上田市の「無言館」を訪れていました。幾度となくこの頁「日常つれづれ」に書かせて頂きましたが、この美術館は窪島誠一郎氏が館主であり、戦没画学生の作品を収蔵、展示をしている美術館なのです。 私が窪島誠一郎氏と言う人を知ったのは、それ以前です。私が若い頃、作家・水上勉氏と彼の対談を「週刊朝日」の紙上で目にしたのが始まりです。実の父を求め歩いた後、ついに探し当てたその父は水上勉だったのです。 夭折の画家の作品(野田英夫だったか村山槐多だったか。遠い昔の事なので少々曖昧です。)を追ってアメリカを旅する姿を偶然テレビで拝見したのは、その少し後だったと記憶しています。彼は夭折の画家の作品の収集家でもあり、「信濃デッサン館」の館主でもあるのです。さらにその後、彼の著作「父への手紙」に出会ったのです。 私はこの相前後する一連の並々ならぬ話に心を揺さぶられたのです。そして又、十数年後、彼と画家・野見山暁治氏との出会いが、さらに彼をつき動かしより大きな仕事をする事になったのです。 野見山氏は彼に「私は戦後大きな忘れ物をしている気がする」と語ったのだそうです。 遺族の人達は、遺作を大切に守っていたのです。愛する人へ宛てた手紙、葉書、出征の折の写真や資料と共に、押し入れなどに眠っていたのです。死を前にして、自分にとって一番大切なものを描いたのです。ある人は祖母を、可愛がっていた妹を家族を、そして愛する恋人を妻を子を・・・。またある人は故郷の風景を。絵を描く事は非国民扱いされた時代、描く事を喜び、出征する直前まで描き続けたのです。 いつの頃だったか「無言館」の戦没画学生の描いた絵が、京都文化博物館へやって来たのです。絵画、資料共に膨大な数でしたが、一字一句逃さないよう拝見させていただきました。 戦後、忘れかけていた、これらの遺作の収集に、惜しみなく力を注いだ画家・野見山暁治氏も100歳近いご年齢と思うのですが、ご存命でいらっしゃると思います。 今日も、親族の方々が遺品を携え、「無言館」の坂を上って来ているかもしれません。 長い話で終始しましたが、戦争の残酷さを訴えかける8月だと思っています。 このコロナ禍の中、知らず知らずの内にマイナス思考になり、不満ばかりが増幅されてしまいますが、もう一度我が身を振り返る事をしてみたい・・・とも思うのです。 そしてもう一つ。テイクアウトさせてくれる欧風カレー屋さんの黒カレー。すっかりはまっています。 展示会は、様子を見ながらになってしまいます。10月には企画展ができれば嬉しいと思っているのですが、不確定です。あくまで予定です。 ★ 窪島誠一郎氏をより知りたい・・・。実の父を求め歩いた「父への手紙」そして「明大前」物語と続く深い深い・・・人間の歩く道とは何と深いものであるのでしょう...。この年齢になって、しみじみ思うのです。私は文学と美術によって育ててもらったのだと・・・。再び読み返してみようと思っています。是非お読み頂ければ嬉しいです。 |
2020年(令和2)7月31日
7月、各地を襲った、凄まじい豪雨をメディアを通して目の当たりにしました。 今日31日、やっと梅雨が明けた模様です。梅雨前線が日本列島から遠ざかりはしたものの、被災地の人々にとっては、より過酷な日々が待っている事でしょう。 さるすべりの花は、天高く、今が盛りと咲き誇り、短い夏を懸命に鳴くせみの声。それらしい夏がやってきました。 先月6月中旬、ちょっとコロナが落ち着いた頃を見計らって京都植物園へ蓮の花を見に出かけました。蓮池は大きいものが幾つもあるのですが、一番美しい頃に出会っていなかったのです。それはそれは見事な蓮が清廉そのものの美しさをたたえていました。 「泥より出でて泥に染まらない。清らかにして妖艶なところがない」 6/30(火)~7/11(土)「西川孝次の吹きガラスと染付の器」の展示会は危ぶみながらの企画でした。丁度良い程のお客様のお出かけ具合でした。 日本が世界が少しずつ前を向いて歩き始めようとしています。
東山を望む広々としたお庭は、そのうち一般に解放するのだそうです。 未来が、より美しい列島であり、より美しい人々の心が育まれる日本であって欲しい...と願わずにはいられません。 この「日常つれづれ」は私の深い感謝の気持ちをお伝え出来るものでありたいのです。そしていつもお読み頂いている事にも心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございます。
お目にかかれますことを楽しみに...。涼しくしてお待ちしております。今後共どうぞよろしくお願い申し上げます
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2020年(令和2)6月10日
令和も、すでに2年を数えます。コロナ禍の異常な中で世界が震撼とし、人類への試練としては大きな代償を払っています。 5月の「日常つれづれ」はお休みさせて頂きました。4月、自粛生活を強いられる中で意気消沈してしまい、小さく暮らすことに気概を失いかけていました。店の営業時間も短縮しました。しばらくは、コロナウィルスの恐怖もあり、日々の暮らしに迷いがありました。 営業時間が終わり家に帰ると早々に夕食を整え、食事をとり、休憩をした後、日差しが陰り始めた町内の街はずれを、あちこち毎日散歩することが日常になり、生活にリズムが生まれたのです。 夕暮れの涼やかな風の心地良さに助けられたと思います。田舎町で暮らす事のありがたさを実感しています。 又、ある日には、サントリー山崎工場を経て、大山崎町まで、脇道を選びながら走るのです。サントリーのお庭は見事なお花畑です。 工場の建物と建物の間を抜けると、私は全く知らなかった、深い谷と緑で覆われた椎尾(しいお)神社がありました。由緒書きは忘れてしまいましたが、古い古いいわれがあるようです。人の手が入っていない佇まいは、どこか子供の頃出会った様な懐かしさを覚えるのです。 サントリーは、お酒が出来上がると、これを持ちお参りをするのだそうです。この小さな街に40年以上住んでいますが、知らない事ばかりです。 しかし、この2~3週間で景色が変わろうとしている場所があります。JR島本駅より西側(山側)が開発のための準備の段階に入り、刻々とそれに向かっているのです。 反対運動も頓挫し、高さ制限をかけようとする住民運動とは裏腹に議会を通過していくのです。議会制民主主義とは一体何なのでしょう。経済の原理がすべてに優先するのです。人口が減少し、社会が疲弊していく可能性を無視し、この地球を無視するのです。 昨年は、まだ美しい水田が広がり瑞々しい景色が広がり、つばめが低空を飛び、かえるが鳴き、山からオゾンを含んだ冷たい風が流れ・・・・そんな街をとても誇りに思っていました。 私の住まいの山側に、ちょっとした緑地があるのですが、そのちょっとした緑の中で、うぐいすが一生懸命歌うのです。「ホーホケキョ!!」と。健気でもあり力強くもあり、十数羽は居るであろうと思うのですが、まったく姿は見せません。 いろいろな行事が取りやめになり、お出かけもままならない中で、自然からの癒しを受け取る事の出来る貴重な島本町なのです。 本もたくさん読みました。その途上、宮本輝の9巻の小説に出会ってしまったのです。彼が35才から書き始め、現在73才。やっと最近完結したのです。30幾年と言う歳月を費やした、自伝的大河ドラマ・・・父と子の物語です。 宮本輝のお顔を、本の装丁で拝見する事はありましたが、穏やかそうにお見受けする内なる中に「火の玉」をお持ちであり、魔性をお持ちだったことにも驚き、それゆえ美しいお姿をしているのだと納得してしまったのです。 そろそろ前を向こうと思い6月30日から展示会をしようと考えています。 西川孝次の吹きガラスと染付の器
2020・6・30〔火〕 - 7・11〔土〕 10:30-17:00 5日(日)・6日(月)休み緑陰を渡る風。7月ともなると夏の日差しが容赦なく照り付けます。暮らしも佇まいもすっかり変わります。 ガラスの器に冷たい料理を盛り、冷酒を頂き、清涼感を楽しむのです。 西川孝次さんの吹きガラスの作品やお人柄に、私は深い信頼を寄せています。 染付の器は皓洋窯と福珠窯のシンプルな作品です。美しい作品に力を添えて頂き、ゆっくり前に進みます。自然の変化に敏感な日本人の暮らしを見つけに来てください。 心よりお待ち申し上げております。 花染は日常と同じ佇まいです。4月以降、店にとっては受難の日々ですが、仕事あって良かった・・・としみじみ思います。 そしてやっと6/1(月)2ヶ月ぶりに急用のため、京都へ出かけました。観光客も少ないのでしょう。落ち着きを取り戻したかに見える京都です。 どれほど、私たちの暮らしが地球環境を汚染させているかよく分かります。見上げると、青い空に白い雲・・・何とも得がたいい情景は、今しか味わえないものかもしれません。 ちょっとした幸せを積み重ねながら、この状況を受け止め、日々を過ごして行ければばありがたいと思います。 |
2020年(令和2年)4月8日
日本中が待ちに待った桜の季節です。2月、3月と世界中が不穏な中でやっと桜が咲いた。。。と言う思いでしたのに、お花見に出かける事もできず、寂しさと悲しみの春です。 この写真も、私の暮らしの中にある桜の大木です。4/2に撮りました。雨上がりの春の光の中で、薄桜色は、青い空に生え、遠くに見える山桜も春を告げているのです。 今は、島本町内でひっそりと暮らす日々です。花染の裏の小さな空間にも狭いながら、癒しの春がやってきています。次々、宿根草が若葉を茂らせ、みずみずしい佇まいで、嫌な事を少しは軽減してくれるのです。 毎朝、店に出てくると、この様子を見る事から始まる1日です。 話は変わります。 佐藤烓氏と出会ったのは、花染開店間もない1983年(昭和58年)滋賀県・大津で作陶をなさっている頃の事です。佐藤さんも独立して3年目でした。その後1984年、岩手県・遠野市へ。作家「宇野千代」の芸術村の様な所へ引かれお住まいを移したのです。本格的にお互いの仕事上、がっぷり組んだのは、この頃からでした。彼も私も、本当に若い、前しか向いていない年齢でした。 時代も、日本が右肩上がりの頃でしたので、私達は話し合いながら、次々と作品を生み出していったのです。1ツの目的を持って進んだ月日は、堅い信頼をも結んだのです。多くの人々の支持を得た楽しい時期でした。 そして、見事な作品を制作する事になったのです。彼が40~50前後、男性が一番充実する頃でしょう。暮らしは貧しくても豊かな作品が生まれたのです。 その当時、穴窯の窯出しは、私も日帰りでした。朝一番の新幹線で京都を立ち、東京から高崎を経て山に入るのです。お昼前には到着です。喜々とする仕事でした。 それから又数年・・・。もっと山奥へ・・・、標高700メートルに移り、ポツンと一軒、うって変わって素敵な住まいと工房お作りになり、数段飛躍したのです。 私共のお客様も、佐藤?さんの人物、作品には、とても馴染んで下さっていました。花染での展示会の折「穴窯の話とボージョレーヌーボーを楽しむ会」を、たくさんのお客様達と楽しんだ事もあります。 たくさんの人々がお手伝いをし、おしゃべりに興じる窯出しの光景は、何にも変えがたい美しい山里の豊かさでした。 今回、彼の話ばかりで終始しましたが、彼の病との日々、そしてまだまだ命ある限り前に向かって欲しい・・・との願いからです。 私も毎朝、我が家のベランダに咲く椿の花を手折り、店の花入れにそっとさす暮らしです。 皆様もこの時期、どうぞお気をつけてお過ごし下さいませ。ちょっとした喜びを感じる事を見つけて頂けます事を心より願っています。 佐藤烓 作 |
2020年(令和2年)3月6日
春が来ました。素晴らしい自然の芽吹きです。私共の小さな裏庭に、まず二葉葵が深い緑色の瑞々しい葉を広げます。後を追うように、ほととぎす、そして白雪げしがなんともはかなげに芽を出します。「白雪げし」は名のごとく可憐なのです。花が咲いてくれる日を楽しみにしています。 もみじも、沙羅の木も、やまぶきも、すべての木々の芽は、ふくよかさを増し、春の命を伝えてくれています。 そんな思いを新たにする中で、北村一男氏に何故か心動かされるものを感じたのです。
真面目な仕事をしていると、きっと人は助けてくれるのだと・・・感慨深いものがあります。 もう1ツ北村さんを好きだと思う事があります。 市販のものとは、まるで異なり、周りをしっかり補強している仕事を見ると3世代も4世代も使って欲しい・・・との思いが見えるのです。 昨年末、HPをご覧くださって若い女性(声をお聞きして・・・?)からお電話を頂き、相談の結果「段付7寸深鍋」をお送りさせて頂きました。 「アートを眺めているような感覚です。大きさも重さも私には 北村さんも、私も、これ程の喜びがあるでしょうか。北村一男さんの仕事の手、仕事ゆえの真っ黒いたくましい手から、こんな美しい鍋が生まれるのです。 3月の展示会です。
この一年は、新たな試みをしてみたい...と密かに企てています。 今年は桜の花の開花も例年より早い・・・とお聞きしました。心がざわつく桜です。 柴田雅章 黒釉花入 |
@@@@@@@@@@@@@@@@ここからおかしい
2020年(令和2年)2月5日
1月はまたたく間に過ぎてゆきました。異常とも言える気候に日本中が翻弄され、地球規模の危うさを実感しています。 自然の声が聞こえます。聞いてやって欲しいと思うのです。これからの10年が地球の運命を左右するのだそうです。四季折々の美しい日本。それに伴う森羅万象に思いを込めて、自然に親しむ日々の中を歩きたいですね。私達に何が出来るのか考えねばなりません。 最近、数十年ぶりに辞書を買いました。「なるべくコンパクトで使いやすいもの。」と私の要望を汲んで「三省堂・国語辞典」を水無瀬駅前の長谷川書店さんが選んで下さいました。 私が長年、愛用してきたものも「三省堂」です。従来のものでは、時代的に足りない言葉があり、少々、不自由を感じていました。愛用のものを手元から離す寂しさはありましたが、使い込んでボロボロになってしまっていましたので、やっとの思いで新しくしたのです。 折々、手書きの「花染通信」を発行しているのですが、その中の季節のカットは、俳句の為の《虚子編・季寄せ》を参考にしています。これもまた、私の知り得ない自然で溢れているのです。 『春』立春(2月4・5日)~立夏(5月6日)の前日までを言うのであるが、月で言う場合は2月・3月・4月を春とする…とあります。 日本を愛する外国の人々は、この日本の自然や四季を愛し、日本の伝統を愛し、日本人の繊細な風情を愛するのではないでしょうか。 「リーチ先生」が土壌豊かな大分の山あい陶工の里、小鹿田(おんだ)にやってくる!!何ともワクワク、読者の心をつかむのです。 物語と事実を同化させながら進行する楽しさに引き込まれていくのです。それも魅力的で小説家としての原田氏に感服させられているのですが、何より100年前、リーチが暮らした日本の芸術、文化にも感服するのです。 幾十年前の小鹿田(おんだ)への旅を私も懐かしく思い出します。 哲三氏も、今も活躍なさっていると思うのですが、ご子息が、ガラスをなさっている・・・とお聞きしたことがあります。今は昔、時はかなたに流れ過ぎて行きました。 昭和30年代、40年代に相次いで富本憲吉も、河井寛次郎・濱田庄司・柳宗悦も、陶芸の道をひたすら走り、命を燃やした仲間達も天国へ旅立ったのです。イギリスの地で、この美しき工芸を愛した仲間を、リーチは1人残り見送ったのだと思うと、胸にせまるものがあります。
梅の便りもチラホラ聞こえる様になりました。 |
2020年(令和2年)1月8日
新たな年を迎えます。元旦の朝、神々しく輝く初日の出に、たくさんの思いを込めて手を合わせます。どうぞ健康で良き年であります様にと願うのです。ありがたいと思う気持ちは年齢とともに変化してきました。生きとし生ける物への感謝の思いが深くなるのです。 自然の恵みを頂くお正月、元旦の朝。お節のお重の中は、古来よりの決め事が、大切に詰まっています。健やかに1年が送れます様、いにしえ人が思いを込めたのですね。 令和と元号が変わり、今年は感謝の年にしたいナァ~と思うのです。花染は、3月1日で38年目に入ります。健康を害した年もありました。力の限り走った頃もありました。全てを包み込み、仕事を懸命に出来る環境にいる自分に気づいたのです。真っ白なカレンダーに一字一句を書き込んでいく様に、前に向かいたい・・・。無事仕事ができますれば幸せだと思っています。 空気は冷たいけれど、暖かい日差しに恵まれた、穏やかな3が日でした。毎年2日は初詣です。新たな年は振り出しに戻って、京都東山・六波羅蜜寺へお参りする事にしたのです。 六波羅密寺は平清盛をおまつりしているのですが、決して時代におもねる様子はなく、佇まいが大好きで、やはりここにお参りをさせて頂くことが私の基本です。平家一族の壮大な時代絵巻が繰り広げられたであろう夢は今は昔。 ここから裏の通りを抜け、建仁寺の広大な伽藍を抜け・・・、随分な距離を歩いた初詣でした。観光客が比較的少ない、昔の面影を残す小路を選んで歩くと、正月の風景を、そこかしこに発見するのです。美しい日本のお正月を感じさせてくれるのです。 元旦の朝、届けられるお年賀状にも、美しい日本の習慣は生きています。素敵な版画で送ってくれる人、美しい墨の香りがするお年賀状、毎年工夫を凝らしてくださるお気持ちに、感謝しています。 私の日常も、お葉書、お手紙を書くことが多い生活をしています。お世話になるお客様・・・、作家の先生方・・・、手に取って読んでくださることが喜びだと思っています。葉書を選び、手紙の用紙を選び、ポストに投函するときのちょっとドキドキ・・・嬉しいものです。 昔、毛筆で巻紙にお便りをしたためることに挑戦した時期がありました。これに使ったのが、出雲の斐伊川和紙です。私が若く元気だった頃、よく山陰への旅をしていました。 一枚一枚、板ばりをした手すき紙には、くっきりと板目が残り、人の美しい「手」が心に残るのです。 実は、このきっかけを作ってくれたのが、出西窯の多々納さんからの手紙でした。出西窯の多々納さんとのお取引きがあり、手紙が往復した頃があったのです。お手紙は巻き紙に芸術的な文字で豪快に綴られていました。 時は流れ、その方々もお年を召され、お手紙を書くことも次第に大変になり、私自身も、巻き紙に大仰に書く時代では無い様な気がして、すっかり書かなくなりました。 私の名刺は、つい最近までこの斐伊川和紙で漉かれたものを使っていました。一枚一枚印刷してもらっていました。この印刷方法は高価でもあり、今は普通の名刺に切り替え、業者さんにお願いしています。これを書きながら、斐伊川の名刺用紙が残り100~200枚くらいの残っていることを思い出しました。 もし、私の手におえる金額ならば、今一度この名刺を作ってみてもいいかナァ~と心はずむ思いが芽生えてしまいました。 ちょっと贅沢・・・と思ったのですが、私の家の襖紙も、その頃、ここで漉いて頂いて30年。びくともしていません。風情を醸し出しているのです。この日本の暮らしを私は生涯忘れる事はないと思うのです。 山陰には、牛ノ戸がありました。吉田璋也も舩木先生も、湯町も、出西も、石飛先生も森山窯も、島田窯もありました。先生方の力強い支えを頂き、私の内なる力として満たしてくださっているのです。 今回の「日常つれづれ」は、こんな話で終始してしまいました。 私の大好きな椿の花の咲く季節です。やぶ椿の真っ赤な色に思いを致しながらです。 ] 7日は七草粥の日でした。白いお粥の中に、七草の緑が映えて春を感じさせてくれます。お正月の疲れを取り、胃を休め、季節の美味しいものを頂きましょう。先人達の知恵は素晴らしいですね。 |