日常つれづれ(2010年以前)

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2010.12.8

いよいよ今年も1ヶ月弱を残すのみとなりました。毎年毎年、師走が来ては慌てることがいろいろあります。慌てないように段取りをしていても押し詰まって来るのです。

今年の紅葉は、一段と紅い色が美しいとのことでしたが、京都はすさまじく人々で溢れていました。穴場へ行きたいと思うのですが、最近は市内で穴場を見付ける事も難しくなりました。

                           

日本の紅葉は世界一美しいのだそうです。ヨーロッパもカナダも各地に美しい紅葉はあるでしょうが、日本のそれは色とりどり、特に紅い色が絶品なのだそうです。
日本列島が大陸とくっついたり離れたりを繰り返し、数十億年という壮大な年月の中で、独自に落葉樹が北上し、定着していった……との事です。

又、日本の自然の美しさ……に戻っていきますが、どのように考えても、独自の自然・文化、そこにある型は本当に世界に誇られるものだと思うのです。

日本の心は、陽(ひ)と陰(かげ)・プラスとマイナスの中にあって、心のひだの奥にある陰の部分を大切にしてきた民族だと思います。陰やマイナスと言っても、暗い……とかではなく、ひだの奥に見える、優しさ、美しさ、気高さ、品位などに価値を見出す、潔さを持っているのだと思っているのですが……。

先日(12月5日)、京都国立近代美術館へ「上村松園展」を見に行って来ました。この展覧会がある事は、春頃から知っていたので、とても楽しみにしていました。
会期が短い事と、毎日忙殺される日々なので、時間が取れるか心配していたのですが、ポツと空いた先週の日曜日に行く事が出来ました。過去何度も何度も拝見した松園展ではありますが、この気高さと気品は幾度出会っても美しいのです。先程書いた、日本の心、美しい文化の珠玉の作品だと思います。

何十年も昔、店を始めてまもなくの頃、宮尾登美子が書いた小説「序の舞」に出会った頃、私も若く、松園の瑞々しさ、そして魂に心を揺さぶられたのです。

「序の舞」の絵がどのようなものか知りたくて、京都に古くからある書店(以前は理念をしっかりお持ちの文化人の本屋さんがたくさんありました)へ行き、図録の中にある「序の舞」を見せて頂けないかとお願いすると、年配の男性がビルの上階へ連れて行ってくださって、大画面の松園の図録の中の「序の舞」を見せて下さったのです。
今思うと、とても恥ずかしい……と感じるのですが、若いという事は一途に思う心かもしれません。

仕舞の一つである序の舞を舞う女性の気高さと気品は深く内に刻まれたのです。強い意志を秘めたこの女性の姿は、やはり日本人の静かなる魂ではないでしょうか。

それから数年は、奈良の松伯美術館へ行き、松園と聞けば何処へでも見に行きました。小説の中に出て来る京都の通りや町中、店、間之町、奈良物町、ちぎり屋呉服商、誉田屋呉服商。今でも見事な佇まいで存在していることに驚いたり、感動したり……。
京の庭の本に出て来る松園のご自宅の庭……。そんな些細な1つ1つに食い入るように没頭しました。

20年近く前、京都平安遷都1200年の催し物の1つに、京都市美術館で竹内栖鳳・上村松園の師弟展がありました。それは見事な、信じられない程、たくさんの作品でした。
その時、初めて本物の「序の舞」の作品を拝見する幸せを得ました。強い意志と気高さを内に秘めた美しさに立ち尽くしてしまいました。

                              

東京藝術大学が所蔵しているのだそうです。

竹内栖鳳の「ライオン」。今も決して忘れません。大画面にみなぎる生気は私達を圧倒しました。ヨーロッパで遠近法を学び、帰郷して描かれた「ライオン」は、その当時の人々に新鮮な感動と驚きを与えた事と思います。

画業に打ち込む才能溢れる人々の魂の力です。是非もう一度この「ライオン」に出会える事を切に祈っています。200号くらいはあったと思うのですが、今も脳裏から離れる事はありません。

本当にくたくたになる程の時間を美術館で過ごしました。

竹内栖鳳は、明治・大正と京都、日本画画壇では最高峰に居ました。まもなくして、嵯峨野にある竹内栖鳳美術館へも行きました。しだれ桜が可憐に咲く美しい日でした。

松園の生きた時代、女性が男性の中に混じって画塾に入り絵を描く事は想像を絶する苦難です。
竹内栖鳳に師事の後、古典や謡曲に題材を得、江戸時代の風俗など、市井の女性の日常を品格高く描いたのです。
「上村松園展」の解説によると、時代順に、「画風の模索、対象へのあたたかな眼差し」「情念の表出、方向性の転換へ」「円熟と深化」の三章に分けて展示してある……と書かれていました。

若い頃の私は、中期の頃の作品に心惹かれたものでした。女性達の人物の内面描写の1つ1つに美しい中にも強い意志、研ぎ澄まされた精神を肌で感じたからでした

しかし、今回、作品を見て行きながら進むと、「すっ」と入った室の何とも優しく穏やかな空気に、一瞬、回りを見渡しました。彼女が59歳くらいから晩年に至る作品の流れでした。「序の舞」は、松園60歳前後の作品だと思うのですが……。優しい眼差しの女性が愛情深く描かれているのです。

昭和期に入って、その頃はもう京の町からは江戸時代の面影はすっかり失われてしまっていました。失われゆく京の町の面影と、その中に生きる女性の何気ない仕草を描いています。
「女性が障子の繕いをしている姿」夕暮れの中、縫い針をかざし糸を通そうとする姿」女性の目線のかくも美しく穏やかな姿です。

                            

「母子」(昭和9年)は、松園の亡き母への思慕、慈しみの心が細やかに感じ取れます。
彼女の画業を幼い頃から支え続けたお母さんが亡くなってからは、母親の面影に重ね合わせ、その想いを画面に写し出しているのです。

                             

かくも美しい日本の姿を少しでも感じたいと思う日々ではあります。もちろん一流は何をとっても一流です。この地球上、そして宇宙に美しいものは数々あります。日本の心を愛して、その上に積み上げて行きたいのです。

12月18日に全国ロードショー「最後の忠臣蔵」は日本人の魂です。「忠臣蔵」とイメージする世界観ではありません。
これもずっとずっと前、NHKテレビドラマで香川照之が演じた役です。本当に日本人の心です。この役は香川照之のはまり役でした。このドラマから香川照之が好きになりました。騙されたと思って映画館に観に行って下さい。本当に観に行って下さい。自分に流れている血を感じて美しい日本の心に魂を揺さぶられると思います。

まだ映画は観ていないので、無責任ですが……。早々に観に行こうと思っています。

まだまだ年末に向けて多忙です。

うるしの器展 ―お正月の仕度
12月14日(火)~12月18日(土)

の展示会をします。

うるしの器はまさにJapanです。ヨーロッパにも東南アジアにも、中国にも漆器はありますが、日本の漆器ほど美しいものはありません。日本の風土が育てた漆の木、その樹液は世界に誇れる天然の麗しい天からの恵です。

私共で長年扱って来た浄法寺漆器は、東北岩手県の浄法寺に八百年以前より伝わる天台宗の僧侶達が日々使った器として現在に至ります。

                      

金閣寺の金箔の修復に使用されたのも、この浄法寺の漆です。品質の高さ、その割には決して値段は高くありません。私が長年惚れ込んだものです。

年の初めには美しい色絵の器を使いたくなります。磁器の清らかさに新春のイメージを重ねるからでしょうか。美しい磁器の作品も併せてご覧頂こうと思っています。

          

          

お忙しい年末ではありますが、どうぞお出かけ下さいませ。
これから本格的に寒くなります。お風邪などお身体にお気を付けてお過ごし下さいませ。




2010.10.31

随分長い間、このページを更新しませんでした。
暑くて異常な夏を皆様いかがお過ごしでございましたでしょうか?体調を崩された方もおありかもしれないと心配致しております。6月の柴田雅章氏の展示会が終わって、私共もしばらく展示会を休ませて頂く事になっていました。
この間、元気をなくしてしまい、心を立ち上げるのに苦労をしてしまいました。心が疲れるという事は、体も疲れるのですね……。

でも、その期間に、山崎豊子の『沈まぬ太陽』全5巻を読むことができました。きっと日本中で過去、たくさんの人に読まれたのだと思います。

映画『沈まぬ太陽』も観ていなかったので、親しい人達に「どこかで再映していたら教えてください」とお話していましたら、丁度8月に入った頃、京都の祇園会館で上映されていると耳にしました。
お盆休みを待ちかねて、忙しい合間を縫って観ました。祇園会館はなんと40年近くぶりの事でした。

学生時代、洋画の2本立、3本立を朝から夕方まで、休日、しばしば観に行きました。
古いリバイバルの洋画、再映の洋画は本当に良き時代の映画をより魅力的にするスター達の素敵な存在、そして文化の素晴らしさを若い心に植えつけてくれました。懐かしい話です。

その頃は、フランス映画、アメリカ映画はとても抒情あふれるものでした。10代、20代は本当にたくさんの洋画を片っ端から観ました。最近のアメリカ映画は一体「どうなっているのだろう」。これは、私達より以前の人間は皆、思っていると思います。
フランス映画、イタリア映画の美しい画像と音楽は、私達の胸に永遠に変わらぬ感動として豊かに生き続けています。

話はそれてしまいますが、7月だったか、藤沢周平の「必死剣鳥刺し」を観ましたが、日本の風景の美しさ、そして何よりも日本人の持つ独特の感性、多くを語らずとも訴える目、所作、衣擦れの音。映像の中に余すところなく捉える監督の美意識。
山形県庄内平野の大自然を舞台に平山秀幸監督がリアリズムにこだわり、全篇フィルム撮影。CGは使わず昔ながらの手法で撮影されたそうです。かえってリアリティあふれる壮絶な表現になっていたと思います。
日本の文化、伝統、わび、さび、そして美しく輝く心。もう映像の中にしかないのかと思う程、最近の日本は殺伐としているように思います。

しかし、日本の風土が持つ美しい感性を子供達に、若い母親、父親達、そして万人に知ってもらう事は出来ないのか悩んでしまいます。片一方では、進化してゆくデジタル化、経済性、利便性。でもその一方で、だからこそ昔より一層大切にしなければいけない、アナログ、超手仕事、不便である事。
両輪がバランス良く回る事は出来ないのでしょうか。
アナログに徹した映像への監督のこだわりはとても安らかで、美しいものとして、私達の心に余韻を残します。人の心の中に深いひだを幾重にも作ると思います。

話は戻ります。映画を観た翌週、山崎豊子『沈まぬ太陽』全5巻を買い求めました。読み進む程に、深い悲しみ、絶望、人間の良心、理念、そして嫉妬、すべてを凝縮した世界に入り込んでしまいました。

山崎豊子のすべてを射抜く鋭い目と取材能力、そして心と情熱。8年近い歳月をかけて1999年に書き上げたとありました。しばらくは山崎豊子と主人公・恩地元の話で我が家は満ちていました。もう一度落ち着いたら『作家の使命、私の戦後』を読み返したいと思っています。
生きていく指針のような理念とか王道とは……について山崎豊子の中から微力ながら学びたいと思います。

10月10日(日)、田中泯の「場踊り」に申し込んでいたので見に行きました。

タイトル 田中泯 オドリ+野口実 音

これは見に行くというより感じに行く。体感しに行く……と言った方がふさわしいと思います。
白塗りのおどりの人達もたくさんいらっしゃいますが、泯さんは白塗りはしません。
京都の古い築250年という商家の舞台で、ほんの少人数の観客が集まって同化するような踊りです。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」の吉田東洋の泯さんのもつ世界とはまったく異質なのです。吉田東洋の目はすべての役者を越える、数百人が束になってかかってもそばにも寄れない目と姿でした。網膜と脳の裏に記憶され、決して離れることはないのです。あの泯さんも大好きです。私は2つは異質と書きましたが、本当はそうではないのでしょう。きっと同質なのでしょう。

「音」の野口実氏に関しては(経歴)
            70年代より舞踏、美術、映像と音楽活動を開始。電子素材による音色変換と時間操作から
            クラスターや非定量リズムを組み上げる技法で劇場、美術館、野外などの空間にライブ、
            パフォーマンスを展開。認知的な音楽表現で先駆的業績を重ねている。

            「40年を越える年月を野口さんの音に育てられてきたように思うのです。
             20代初め、野口さんから聞かされた音楽世界は私にとって以後の私の耳の
             基調となった事々ばかりでした。久しぶりに野口さんと二人で存在を共有できる
             ことに興奮しているのです」           田中泯

とおっしゃっています。

                        

真木千秋さん(真木テキスタイルスタジオ)のストール、洋服など、秋冬の作品がたくさん入っています。

                    

また、私共の展示会も始まります。

                            藍と色絵の器
                            福珠窯の作品
                            2010.11.18(木)~11.24(水)
                            10:30~18:30 
                            21日(日)休み

                            

珍しく色絵と染付の世界です。有田、伊万里で江戸時代より受け継がれてきた伝統と、粋な意匠。それにつきると思います
時代が変わっても変わらない、それをより一層越える、そして進化する作品をご紹介出来ると思っています。
どうぞお出かけ下さいませ。

4ヶ月を一気に駆け抜けました。またコツコツと思うままに書き綴りたいと思っています。今後とも引き続き読んでやって下さい。

なんだか急速に秋が深まってきました。気温の変化にお気を付けて、どうぞお風邪など召されませんようになさって下さいませ。



2010.6.18

梅雨に入りました。蒸し暑い毎日です。天気予報では今年の梅雨は豪雨、又は長雨と予測している由、聞きました。
雨のそぼ降る中、縁側で紫陽花の大輪の花を見ながら、でんでん虫が……という(最近まったくでんでん虫を見かけません)ゆっくりとした時代は過ぎてしまいました。

6月9日~15日まで、東京日本橋三越本店で舩木倭帆先生の吹きガラス展がありました。三越本店で展示会を始めて30回を祝して6月11日(金)、「謝恩の会」が催されました。三越での展示会は、今回が最後ということでしたので、是非出席したいと思い立ち、日帰りで東京まで出かけました。

先生から頂いたお手紙に、
「私としては、これからは、もう少しのんびりと気楽に、残りの期間、体力と気力の続く限り仕事を楽しみたいと思っています。芸艸堂さんの計らいで、花道を作って頂きました」
と書かれていたものですから、飛び立つ思いで新幹線に乗ったのです。

先生の本を出版なさった芸艸堂(うんそうどう)さんのお声かけで、30年余りに渡る先生のご活躍にお礼申し上げ、謝恩の会を開催する……という主旨でした。

午後5時30分からの開宴でしたが、各方面からの人々で会場はとてもにぎやかでした。
東京国立近代美術館の方、東京芸大の先生、舩木先生との三者のギャラリートークもあり、長年の先生のお仕事の、一言では言い表せない歴史を目の当たりにして、心が引き締まる思いがしました。

「物作りは奉仕である。喜んでくれる人々が、待ってくれている人々の姿が、私にとって最大の喜びであった」との舩木先生の言葉は私の中に深く根を張るがごとく、染み渡ったのです。

会場で頂いた「吹きガラス53年」の小冊子は、先生の軌跡と同時に日本のガラス工芸の歴史そのものです。

(吹きガラス53年小冊子より)

半世紀を越えて吹きガラスの仕事に従事しながら、私は一貫して吹きガラスの技法による日用のガラス器作りにこだわって来た。手にこだわるのは、手と心が繋がっていると思うからである。日本の暮らしの中で終生思い出として心に残るほどの日本のガラスとはどんなものか。伝統と呼ばれるほどに時を経なければわからないものだろうか。西洋の長いガラス文化に比べて、歴史の浅い日本のそれは借り物のように思われて仕方がない。しかし、今やガラス無くしては生活は成り立たない。日本に日本的な暮らしが顕然としてある限り、日本人の求めるガラスが存在して不思議はない。

先生の言葉をたくさん引用したいですが、限りあるページですので止めにします。
先生の作品がすべてを物語っていると思うからです。

                     

そして、又、先生の言葉の一字一句が私の仕事の隅々にまで行き渡り、滲透し、支えとなり、励ましとなったことは幸せでした。
長年の中で、自分の身に付いたはずの先生の教えは、私が愚かゆえに時には忘れてしまうこともしばしばですが、読み返し、繰り返すことで、今後も自浄してゆきながら仕事を出来ればと思っています。

あれ程までに人に愛され、先生もお客様方を愛し、ひたむきにお進みになられた道を、目の当たりにさせて頂いた事は、涙の出るような感動でした。
店を1日臨時休業して出かけて、本当によかったと思っています。

また偶然の引き合わせがありました。
三越で「細川護煕展」をしているポスターを見付け、舩木先生のパーティー開宴までの数時間を拝見させて頂きました。

まず会場に入り、二曲三隻屏風「荒城の月」の静かで美しい書のたたずまいに、これから拝見する茶わんへの期待が膨らんでゆきました。幾度か小さな作品展は拝見したことがあるのですが、その折の感情が甦ってきました。

「楽の世界・黒茶わん、赤茶わん、白茶わん」
伝統も技法もすべてが時空を越えて細川氏本人のものになってしまっている事に本当に驚いてしまいました。

「楽家は15代に渡り歴史を歩んで来ましたが、その中にあって、私が目標にしているのは長次郎です。無駄なものを削ぎ落とすだけ削ぎ落とした長次郎の寡黙な茶わん」。その長次郎を追求する、近づこうとする姿が、生きる姿勢に、作品の茶わんの中に見て取れるのです。

楽・唐津・信楽・志野・大井戸、そして野仏、漆。
どの作品も細川家400余年の歴史が生き生きと、彼の芸術に息づいているのです。
もともと私は唐津が大好きな事もあって

唐津茶わん
                     
                      皮鯨茶わん                 絵唐津茶わん

は今も感動が心に残っています。

祖父にあたる近衛文麻呂の湯川原の別荘に隠遁して十数年、マスコミに登場し始めたのは、確かまだ10年に満たない年月だと思います。テレビの番組でその別邸の中に超近代的な仕事場と茶室の建設の模様が放映されました。
それは超・・・と言える建造物でした。

なんとなく作品も自己主張の強いもの・・・と思っていましたが、時代を越え、桃山、利休の時代に沿った作品だった事。そして、それを信じられない程、ご自分独自のものになさっていた事でした。

政治から、そして喧騒の世界から身を引かれた彼の生き方は、まさに武士の身の処し方に近いものがあったのか、我々は推測するほかはないのです。

外界と一線を画すのではなく、伝統の美の家に育ち、自然のままに美でご自身の世界を表現する事に生きる道を選ばれたのだと思います。
私が拝見している丁度その時間、その当日は、細川氏は会場に来場する予定ではなかったらしいのですが、出口近くの薄暗い場所の片隅で、どなたかとお話になられているのを見付けました。数分すると、来場のお客様が気が付き始め、人垣が出来てしまいました。それを見かねて三越側が急遽、会場中央でギャラリートークをする事になり、マイクで作品について語り、そして、お客様の質問に答えていました。

後の方から拝見しながら、そばの一角で流されているビデオの映像を見ながら、有意義な時間を与えて頂きました。奥様が丁度私の後ろにずっとお立ちになっていました。凛としたとても素敵なお美しい方でした。お顔も、そしてすべてが引き締まった雰囲気でしたが、そのお顔は優しい美しさをたたえている事に心が洗われました。

すっかりミーハーをしてきました。
図録にサインをして下さるという事でしたので、握手をして頂き、少しお話をさせて頂いたのですが、「関西から…」と申し上げると、「来年、京都国立美術館で展覧会をするのですよ…。」と教えて下さいました。引き込まれてしまう魅力を湛えている方でした。本当はもう少し静寂の中で拝見出来ればもっと嬉しかったと思っています。

6月11日は、忙しく駆け抜けた1日でした。
夜遅い新幹線に乗り、帰途につきました。

6月23日(水)~6月29日(火) 27日(日)休み

来週23日からは柴田氏の展示会です。
花染にとっても、私にとっても、かけがえのない作家の先生です。
山ほどの感動とエネルギーを与えて頂きました。
柴田さんも私も、彼の熱烈なファンの方々によって支えて頂きました。幾度見ても使っても、尚、又のめりこんでゆく魅力を内に秘めています。私も大変なファンの一人です。
お忙しくなさっている事と思いますが、作品の品格と柴田さんの思いに出会いにいらしてくださいませ。
心よりお待ち申し上げております。




2010.5.16

いっぱいの若葉に心を癒される季節です。

私の店の裏の小さな山ぼうしの木も葉をいっぱいに繁らせ、どうにか根付いてくれたナァ…とほっとしています。
でも、風、太陽、すべての過酷な条件の中なので、果たしてうまく育ってくれるでしょうか。
その木の足元に今年は可憐に「しらゆきげし」の白い花が次々と花を付けて楽しませてくれました。
忙しく雑事に追われていても、その花の前に座り込んでじっと見つめていしまう時があります。土に限りがある小さな空間に寄り添ってくれる事をとても嬉しく思ってしまいます。

                    

今一番の関心事は、山崎豊子氏です。「不毛地帯」のドラマ以後、新聞の下の部分の広告欄に「山崎豊子自作を語る」三部作の出版の広告が載っていました。本屋で買って来ようと思いながら、とにかく忙しい毎日なので、延び延びになっていました。たまたま人様からお借りする好機を得たのです。読み始めると「これは手に入れなくては…」と思い、遅まきながら手に入れました。「作家の使命、私の戦後」です。
今、二度目、三度目を読み返しています。読めば読む程、彼女に感動するのです。

10年以上前、やはりNHK「大地の子」がセンセーションを巻き起こした頃、この作品も再放送を含めて二度拝見したことを思い出しました。ドラマが終わってすぐ、「大地の子」の本を求め、読んだ時の感動が、今も赤い炎として残ります。引き続いて、その頃、中国側から書かれた「ワイルド・スワン」を夜を徹して読み込んだ記憶が鮮やかに甦りました。

「大地の子」は、1984~1991年、足かけ8年間、まさに石の筆で岩に刻みつけるような思いでこの作品を書いて来た。「大地の子」は小説であると同時に、今まで明らかにすることができなかった日中の歴史だとも言える。戦争はまだ終わっていない。一人でも多くの読者にこの作品を読んで頂き、歴史の真実を永く語り伝えて頂きたい。それが私の願いである。と山崎豊子は語っています。
シベリアへの取材は「11年間に渡る、あまりにも非人間的な日本人捕虜史をこのまま歴史の谷間に埋もれさせてはならないという思いを強くした。と語っています。

この著書「作家の使命、私の戦後」は、主に「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」の戦争三部作と「沈まぬ太陽」への思い。そして「運命の人」を2009年書き終えた彼女の使命と理念がすさまじいエネルギーでつづられています。全生命とすべてのエネルギーをかけ、「10年1作」という長い年月の取材と執筆に彼女がかける魂は私達に感動と深い尊敬の念を与えてくれます。

山崎氏が新聞記者として取材経験が土壌にあるとしても、筆舌に尽くしがたい、壮絶な取材の模様がこの本の中にぎっしりと詰まってます。
曖昧な形で眼を覆ってはいけない事実、永久に消してはいけない問題を提起し、彼女は小説という人間ドラマという形で読む側に学ばせてくれています。

どんな極限状態に置かれても、常に理念を持って生きたい。納得のできる生き方をしたい…。
主人公を通じて、この高い理念が深く伝わって来るのです。
山崎文学の「謎」をこの後も紐解いてゆく楽しみが出来た事を、ありがたいと思っています。

6月23日(水)~6月29日(火) 27日(日)休み

柴田雅章氏のスリップウェアの作品を集めて展示会を致します。
お客様、ファンの方々にいつも「食器が欲しい…」と懇願されるのです。今までもたくさんの食器を皆様にお求め頂いてお使い下さっているのですが、使うほどにやみつきになります。
使い心地、作品の良さは、何をもしのぐ幸福感と満足感があります。

この度、ポットは珍しく6~7点あります。フォルム、釉薬の素晴らしさも日々の暮らしの中で又再び感動してしまうゆえかもしれません。
この度は、特に食器関係が充実しています。
6月の末頃というと、少々暑くなる時季ですが、是非お出かけ下さい。きっとお気に召して頂ける作品を手にすることが出来ると思います。




2010.4.30

京都国立博物館 4/10~5/9まで

没後400年 特別展覧会「長谷川等伯」がある事をずっと楽しみにしていましたので、1~2時間並んで待つことを覚悟で、5月連休前の4/25(日)に出かけました。

始まってすぐは人が多いに違いない…。連休中は又然り。午前中も又然り…。と頭を巡らせ、25日2時過ぎ…と決定して七条通りを東へ。15分くらい並びましたでしょうか。案外早く入場する事が出来ましたが、館内は人でいっぱいでした。
最終章が「松林図屏風」だと、はやる気持ちを抑えて、七尾時代、京都時代初期、中期と、プロローグとして数々の作品に出会わせてもらいました。

この「松林図屏風」はいつの日かどうしても見たいと、ずっとずっと想い続けていたものでした。この様な幸運に恵まれる事を何より嬉しく幸せに思っています。

長谷川等伯(1539~1610)は、能登七尾に1539年、生を受けます。
養父の指導の元、20歳を過ぎた頃には、並々ならぬ才能を発揮。地元の寺にたくさんの作品を描いています。
33歳で京に出て、いろいろの画風を学び、狩野派の門も叩いたと思われます。
なかなかスポンサーも見つからず、17~8年の歳月を費やし、運命の人、茶聖・千利休に出会うのです。

彼にとって、この出会いこそ、人生を分けた出来事だったのではないでしょうか。
利休の要望で、大徳寺の天井画を描いた事から、京にその等伯の名は響きわたり、時の権力者・豊臣秀吉の知るところとなり、折りしも鶴松の供養のための「楓図壁貼付金碧画」が出来上がるのです。
狩野一派を退けての快挙であったと思うのです。

秀吉好みの画風、構図、色彩を徹底的に研究した由の事であり、その時代は命がけの仕事であった事でしょう。
御用絵師としての道が開け、「長谷川派」は京都をはじめ全国各地にその足跡は分布しています。

彼の晩年を支えた息子や弟子達と桃山文化の一翼を担った、輝かしい絵師としての時代であったと思います。
その間、等伯を巡る人々の肖像画もたくさん残しています。いつも皆様の目に触れている千利休像は等伯の画によるものです。実物を見る事が出来たのは本当に喜びでした。

その後、跡取りとして大切に育てた息子・久蔵を亡くし、悲嘆に暮れる等伯の姿が生々しく甦ります。
息子の7回忌に描かれた「仏涅槃図」を拝見すると、等伯の深い想いが悲しみが、大画面となって私達を魅了します。

「松林図屏風」に向かう等伯の胸の内はいかばかりか…。
七尾の海側から見える松林。霧にかすむ松林。描き込んではいない霧を私達は見るのです。早朝か夕刻か、晩秋か初冬か。頂点を極めながらも、後継者としての久蔵を亡くし、悲しみに暮れる等伯。
晩秋の海、初冬の海はきっと荒れていた事だと思います。舟を漕ぎ出し、霧にかすむ松林を心に刻み込んだのでしょうか。
ここへ至る彼の精神性を、この空白の霧の中に悲しみと共に見るのです。

晩年の彼の心模様に触れる時、そこにこの静寂の「松林図屏風」なくしては語れない等伯の絵師としての生涯があるように思います。




2010.4.15

今年は桜の花が咲きかけては留まり、暑い日あり寒い日がありで、戸惑うことしきりだったと思います。

この阪急線は京都線も神戸線も桜の木が沿線にたくさん植えられ、車窓からも堪能出来ます。

子供の頃から桜は生活……。小学校の校庭には桜の大樹が運動場や校舎を囲むようにたくさん植わっていたし、毎年お花見には皆で繰り出し、ご近所共々、お弁当を広げ、子供達はその回りでコロコロ遊んでいました。
子供の頃、親戚の家で、琴の前に座り、つめを付けてもらって、最初に奏でたのも「さくらさくら」でした。

又、反面、花びらの散りゆく姿は、「死とか無常観」を内蔵しているようにも見えます。日本の文化は「桜」なくしては語れないものであるとも思います。

西行が出家して住んだ「花の寺(勝持寺)」がこの沿線の西山にあります。「西行桜」世阿弥の能のモデルでもある…と書かれている庭の100本近い桜の花は、やはり生であり死でもあり、無心に美しいがゆえに怖くもあり…と感じるのです。

有名な秀吉の「醍醐の花見」桜の茶会。そして、奥村土牛の「醍醐の桜」の素晴らしく人の心を魅了する絵画。

日本中に桜の名所は数限りなくある事と思います。
京都は円山公園の枝垂れ桜。哲学の道・白川の桜・御室仁和寺の八重桜…等々。

毎年思いつくまま桜の花と出会いに出かけます。

今年は御所の枝垂れ桜を早目に見に出かけ(枝垂れ桜はソメイヨシノより1週間程早く咲くそうです)ました。数十本のほとんど枝垂れ桜…という場所があるのです。道々のソメイヨシノにはまだ早く、この御所の一角がまさに見ごろの時期でした。
この場所は、2~3年前までは穴場だったのですが、最近は結構たくさんの人です。

                

もう一つ、人のいない穴場があります。岡崎の東山の山の手に、文化人、財界人、商家の大棚の人達の素晴らしい別宅がある場所があります。その庭に植えられた桜の見事なこと…。家々を抜ける道に枝垂れかかる桜の愛らしさ。その間を縫うように流れる小川。文化度の高い家のもつ品格。空気がまったく違って見えます。折々歩く、とても素敵な場所です。

最近は桜を静かに…思いを馳せるという事はほとんど無くなってきました。世の中が忙しいのでしょうか。
日本人がこよなく愛する桜は、散りゆくイメージ、生と死が重複する、そんな精神性を奥に秘めた魅力でもあったと思うのですが…。

日本の文化である桜へ募る想い、そして思い出は、年を重ねる度に豊かに、そして懐かしく、又悲しく、増大し続けていく事と思います。




2010.3.19

山々は春を待つ木々で薄くわずかにピンクを帯びています。膨らんだ木々の新芽が今にも芽をふきそうです。そんな3月の日曜日、柴田雅章氏の工房に出かけました。朝早くに出発し、丹波篠山に着いた頃には日も高く、とても暖かな日差しでした。

自然の中にたたずむ工房は、穏やかで優しく私を迎えてくれます。自然と共に暮らしがあり、その中に仕事がある…。浄化された空気が流れています。

            

自然に寄り添う暮らしがあります。静かに清められた玄関には、折々の花が、そして小宇宙のような佇まいがあります。居間の大火鉢の炭火は、お客を温かく迎え入れてくれます。先生が入れて下さる中国の岩茶のふくよかな香りと甘さは、いつも私をゆったりとした世界へ導いてくださいます。

お仕事のお話も含めて、工芸の世界全般にわたる話は尽きることはありません。

柴田さんの作品をご覧頂く催しは、5月か6月頃に花染の2階でできればと思っています。柴田雅章氏の作品を手に取る折の幸福感は、この仕事を長年続けてくることができた原動力になっています。

この日常つれづれコーナーに書きたいことはいっぱいあります。

大原美術館、工芸館、倉敷民芸館、大原孫三郎……等々。私の子供の頃からの美意識の原点、父との思い出に繋がります。

信濃デッサン館、無言館、窪島誠一郎を知る事になった20代。ずっと私の中では続いているのです。まだまだ心の中を流れ続けているのです。順次、頭の中をまとめて、つれづれ思うまま書き綴りたいと思っています。

2月の舩木先生の展示会に多くのお客様がいらしてくださいました。遠くは山口県から、東京から、ご夫婦で…。朝一番の新幹線に乗っていただいたそうです。ご遠方からの方々、お客様の皆様方にゆっくりとして頂けなかったことがとても残念です。
行き届かないことも多かったと思います。本当に申し訳なく思っております。

いろいろな出会いをさせて頂いたことは、私にとりましても励みになります。ありがとうございました。またいつの日か楽しくお話をさせて頂けますれば、幸せだと心より思います。

前野直史氏のスリップウェアの作品も、この後、4月初め頃に入って参ります。小皿、楕円鉢など、お客様から注文を受けていながらなかなか出来上がらなくて長い間お待ち頂きました。4月の中頃には店頭に並べられると思います。ご依頼をお受けしておりました方々には、新たにご案内をさせて頂きます。

そろそろ桜の花の蕾がちらほら膨らみ始めました。桜の花の儚さを古来より日本人は愛したのだと思います。




2010.3.19

突然ですが…、松井冬子という日本画家を知っていますか?
彼女を知ることになったのは、2、3年前のNHK「日曜美術館」でした。その時の自傷的、ナルシシズム的な表現を決して忘れないし、くぎづけになってしまったのです。

彼女の精神性と、とてつもない強さ、存在感に圧倒されるとともに、代表作と言われる「浄相の持続」2004は、自らで切り裂いた腹部からあらわになった内臓、そして子宮の中の胎児。横たわった女性の顔はこちらを向いて、笑みを浮かべている。乱れ咲く花は、めしべをあらわにしている。死んではいないその顔は、たおやかでもあり、又、攻撃的でもあるような気がします。

彼女の描く女性像は、身が皮膚が引き裂かれ、内臓や脳が露出されているのです。

NHKで見た映像は、小動物を解剖する彼女の姿を、とても凛とした型で捉えていました。

美しい妙齢の(1974年生まれ)女性である事、所作が美しく、その上、とてもファッショナブルである事、すべてを美しいと感じてしまいました。今だかつて女性から受けた事も見た事もない、とてつもない美しさでした。

その後、「松井冬子画集Ⅰ」「松井冬子画集Ⅱ」を手に入れ、「美術手帖」の「松井冬子特集」を読ませて頂き、彼女を評論する様々な言葉に出会いました。評論家は素晴らしく上手く彼女の内面、精神性を表現しています。

そこに出現する言葉は、人の心の奥深い部分で響き渡ります。

痛み、恐怖、暴力、情念、苦痛、憎悪、攻撃的、狂気、妄想、絶望、破滅、妄信的、危機、執着的、霊気、幽霊、抑圧。

これらの言葉を羅列する事で、少しは彼女の内面を感じ取って頂けると思うのですが…。

自画像的なものを感じるし、「暴力被害によるトラウマが自分の表現の動機である…」と。又、「自分の中に殺しても殺しきれない感情があるので、日本画によって抑えられているからちょうどよい出力加減になっているのかなというふうに思います。私が描きたいのは、やはり、ものではなくて感情なのです」と。

この彼女の自傷が作品を描く事によって癒えた時、彼女はどの様に変化してゆくのか。それでも、ナイフで優しくえぐる表現なのか…。

私は「慈母観音」が描ける美貌の作家になっているやも知れないと思うのです。

経歴が素晴らしい作品を生み出す事ではないのだけれど…。

松井冬子
1974年 静岡県生まれ
2002年 東京藝術大学美術学部絵画科日本画卒業
2004年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程日本画専攻修了
2007年 東京藝術大学大学院博士後期課程美術専攻日本画研究領域修了
      日本画科の女性としては、初めての博士号(美術)取得

30代の若い女性の支持も多く受けている由をお聞きした事があります。何が彼女達の琴線に触れたのでしょう。もし、松井冬子をファッションと捉えているなら、ちょっと悲しい…と思います。

あまりにマイナーな言葉ばかりなので、このページに書く事を少々ためらったのですが、このすごい女性の精神性から何かがきっと生まれる事を、この先々関心を持っていたいと痛切に思ったのです。




2010.2.20
日差しは春の暖かさを含んでいるのですが、まだまだ空気が冷たく、お風邪を召している方も多いようです。花粉症の方はこれから大変な季節を迎えるのですね。
いろいろの形でアレルギーが日本中で発症しています。

一年くらい前だったか、NHKで「病の起源」という番組を放送していました。数回に渡るシリーズでしたが、興味深く見ました。ほとんど忘れてしまいましたが、腰痛に関することとアレルギーに関することは私たちが今まで頭にすりこまれている説を覆すもので、“目から鱗”でした。長くなるので書きませんが……。

私は化学物質過敏症を7年ほど前に引き起こし、これもまた大変です。その当時に比べるとかなり回復してきましたが、いろいろの場面で病気だということを思い知らされる時があります。アレルギーで苦しんでいる方々、それと共に工夫しながら生活している人々……いろいろです。単純には解決しない重要な問題です。

4、5日前、私共で木工の飾棚をお作りしてお客様のお宅に納めさせて頂きました。
栃の木の無垢、拭きうるしの作品です。良い木目のものを使ってほしいとのご依頼でしたので、お客様と作家、私と三様の思いの中で、李朝時代の家具をイメージしてデザインをおこし、製図をして形にしてゆきました。

とても満足のいく出来映えの作品に仕上がりました。お客様にとてもお喜び頂き、作らせて頂いた私共まですごく幸せにさせてくださいました。豊かさで満たされます。本当に嬉しい出来事でした。

     

写真では雰囲気とものの良さは表現出来ないので、中途半端な表情をお伝えすることになりますので、本当は写真は控えるつもりでしたが……。細部を写真にしましたが、とても微妙な木目の美しさは私のデジカメの技量では無理でした。

蝶番、引き出しの取っ手は、鉄を手で打って頂きました。大らかで手仕事の良さを表現して頂けたと、心穏やかな心地です。いい作品に恵まれることは、至上の幸せだと思います。

形も見えないものに私を信頼してご注文を下さるお客様へ深い感謝の思いでいっぱいです。

私の店は超アナログの世界です。焼き物はろくろを引き、時間をかけて成形し、作家によっては登窯だったり穴窯で数日かけて焼成しています。
ガラスは吹きガラス、布は手織り、うるしの器は塗りもの独特の柔らかさ、豊かさで溢れています。手仕事であることが基本です。

最近ハマっているテレビ番組があります。「不毛地帯」です。これを見ていると背景に使われているものが、こんなつい最近(昭和40年代)までほとんどアナログの世界だったことがよくわかります。家具、調度、電話、暮らしぶり、すべてにおいて美しいものがまだまだありました。

この間のこの頃、日本が世界の中でトップへ躍り出ようとしている時の凄まじい緊迫感に身を乗り出し、こちらも緊張して見入ってしまいます。私たちが身近で経験してきたことが昨日のようにオーバーラップしてきます。

2ヶ月程前のテレビ評の中で、この「不毛地帯」の番組の視聴率が11%強というのは解せない……とありました。この評を書いた人も、この緊迫感とこの時代の第一線で働いた男社会の凄まじさをきっと見てきた人なのでしょう。

この「不毛地帯」に描かれる商社は、この時代、花形でした。こういう戦場を渡って成功した人、脱落した人々の悲哀を数十年タイムスリップして見ています。いわゆる企業戦士と言われた時代です。

この番組評を書いた人の熱さにもとても心惹かれたので、新聞の欄を切り抜いておこうと思ったのですが、とうとう忘れてしまいました。とても残念です。テレビ関係者の方だと思うのですが……。

この人も最後にこう書いていました。「是非見てほしい……!」と。今、15~16回だと思うので、後そんなに長い回数あるとは思えないのですが、見てほしいです。
私たちの年代も然りですが、若い人達はこの時代の男社会の凄まじさをちょっとでも見てほしいと思うのですが……。いかがなものでしょう。番組の視聴率が低いと、いい番組はテレビから消えてしまいます。
原作のしっかりしたドラマを是非多く制作してほしいと願っています。

2月25日(木)~3月3日(水) 28日(日)休み

舩木倭帆先生の吹きガラスの作品がそれはそれは沢山見事に2階に並びます。
展示会の前日、全ての準備を終え、「よし!OK!」と思う瞬間は何度経験しても、心が血が躍ります。美しさに、そして幸福な思いに、全ての苦労を忘れます。

この一瞬のために仕事をしている錯覚に襲われます。
舩木先生に長い年月を支えて頂き、仕事の姿勢を、意味を、作品を通して、又、先生の言葉から教えて頂きました。何にも勝る宝物です。

この宝物をより豊かにすることが、私が歳を重ねる意味でもあり、宿題でもあると思っています。

ご遠方から毎年お出かけ下さいますお客様へ、そして全てのお客様へ、美しい作品をお届け出来れば嬉しいです。心よりお待ち申し上げております。




2010.1.21

新しい年が始まりました。毎年初詣は六波羅密寺です。今年も稲穂を頂き、厄除けに鈴の付いたものを求め、付け加えて頂きました。鈴が鳴る音によって厄が逃げていくのだそうです。
良き年になりますように……。

                        

昨年12月、身内の入院している病院の待合室で、「利休 茶室の謎」という本を見つけたのです。ページをパラパラとめくると、長年私の中で消えることのなかった待庵に関する本でした。

この島本町と大山崎町の境目の妙喜庵に「待庵」という茶室があります。国宝です。唯一現存する利休の造った茶室です。
山崎は昔から西国と東国への交通の要所です。明智光秀の本能寺の変の後、光秀に追っ手をかけるため、この地、山崎に秀吉が城を築き、その折、利休に命じて茶室を造らせた……と聞いています。

逆算すると、今から18年前、京都国立博物館で「利休没後400年展」が催された時、館内に「待庵」の原寸大の茶室が再現されていました。利休にまつわる貴重な展示も素晴らしく、たくさんの入場者でした。

その利休展の数ヶ月前、NHKでこの「待庵」の茶室の検証を克明に行っていました。朝鮮への取材などとても見応えのある番組でした。

その折、番組内で見聞きさせてもらったことは多少の知識となり、その後、私の中で大変役に立ったと思っています。
その後も気持ちの中で、この番組は尾を引いていました。

突然、十数年を経て偶然にもNHKのこの時のプロデューサーが書いた本に出会ったのです。この方も体を病んだ中で人に勧められて、人生最後の仕事として「利休 茶室の謎」が生まれたとのことでした。

本の題名と作家名、出版社をメモして帰りましたが、その後、忙殺される中でまだこの本を手にすることはできていません。早く本屋さんにお願いして取り寄せていただかなくては……と思いながら、1月も後半に入ってしまいました。

詳しいことはこれからです。とても楽しみにしています。かなり前に出版されたようですので、ちょっと心配しています。
この「待庵」への見学は大山崎に申し込めば、拝見できます。

話は変わって、昨年末の「うるしの器展」の案内状に、うるしのお椀と一緒に移していた椿の紋様のお皿は大変好評で、予想をはるかに超えるお客様からの注文が相次ぎました。この「日常つれづれ」コーナーは売るためのページではないと思っていますが、すごく感謝しています。

                      

                     直径20cm弱 1枚2000円(税込2100円)在庫有

値頃な上に、とても爽やかで、使い心地が良く、私もそれ以後、毎日愛用しています。筆で一気に勢い良く描かれた、適度にデフォルメされた椿の花は、白と染付の頃合が良いのです。

思わずこのページに書きたくなってしまいました。それと、皆さまのご支持を得たことがとても嬉しかったのです。

1月は、28日(木)、29日(金)、30日(土) 石河通春氏のジュエリー展です。

石河通春氏は30年以前、ずっとずっと昔、私が3年ほど宝石の勉強をしていた時期に知り合ったデザイナーです。その頃、ジュエリーデザイナーが多くはなかった時代でしたが、大好きなデザインをなさる方でした。

皆若かったですから、ワイワイ、ガヤガヤ、スキーなどに出かけていました。
突然、4年前に「ジュエリー展」がしたい……と思い、お願いさせていただき、快くお引き受けくださいました。その時(2006年)25年ぶりの再会でした。

アトリエ・アル石河通春は、その間、とても立派な会社へと躍進していました。
デザインは以前にもまして、私のG線に響きました。ご覧頂くのが一番です。今年で5回目となります。

2月は舩木倭帆吹きガラス展です。
2月25日(木)~3月3日(水) 28日(日)休み

先生の作品に励まされ、花染がいつも凛として穏やかにいられる努力ができたのは、先生の作品のおかげです。花染は開店当初から先生に作品をお分け頂き常設してきた恵まれた店でした。
私の道しるべでした。

1月24日(日)に先生の福山の工房へ行ってきます。とても幸せな気持ちです。
新しい作品と共に皆様に感動をお届け出来ますれば嬉しいです。
展示会にお出かけ下さいますよう、心よりお待ち申し上げております。




2009.12.11

いよいよ師走の月に入りました。出来なかった事が山積みのような気がしますが、出来た事を数える事で自分を納得させなくてはいけない年齢のような気もします。

島本町の冬は山沿いの天気です。山が近くまで迫る、少々冷え込む土地柄です。それでも5年くらい前までは夕刻になると必ず時雨れていましたが、最近はそういう事にほとんどなくなりました。やはり温暖化傾向です。

12月はいろいろの意味で締め括りです。

NHKの大河ドラマ「天地人」も終わりました。大河ドラマもいつ頃からかあまり見ていなかったのですが、直江兼続という人物を知らなかったので、今回は欠かす事なく毎回楽しませて頂きました。

戦国時代はやはり興しろいし、人間模様や時代が動く時の躍動感が生き生きと活力に満ちています。
その中で、石田三成の衣装―紫としろの絞りのもの―が、ストイックな石田三成像の内面を美しく表現していました。何度となくこの衣装を着る三成の雰囲気に見とれてしまいました。

同時に、直江兼続が時折身につける着物と羽織(羽織とは言わないかも……)の絞り模様。これはまた、粋で静かなものでした。
三成の衣装の大胆さに比べ、考えられた配色だったと思います。米沢藩の家臣の方々の衣装も普通に見えて、ただならぬ素晴らしい織・染めでした。
とても心惹かれ、こういう場面を楽しみにしていました。

染色作家の作品なのか、職人さんの仕事なのか……。回を重ねる度にこの2人の人間に魅力を感じると同時に、この「絞り」がどういう人の手になったものなのか、とても知りたいと思ってしまいました。

あっと言う間の1年だった気がします。最終回の兼続の妻・お船の着物―白地に紫の小花の絞り―は、最後にふさわしい清らかな美しさで光っていました。とても重要な最終回になりました。

もう1つ感じた事があります。石田三成・兼続・上杉景勝の3人の俳優さんたちが、月日と共に見事に良い顔になっていった事です。

「型から入る……」という事はとても大切な事だと思っているのですが、ぐんぐん魅力ある男性の顔立ちになっていったと思います。

この時代が描かれると必ず「千利休」が登場します。春頃だったと思うのですが、ふらりと本屋さんで見つけた山本兼一著「利休にたずねよ」そういえば、直木賞作品です。

軽い気持ちで買って読んだのですが、又はまってしまいました。
フィクションの部分もあるだろうと思いながら読み始めたのですが、「おもしろくて、おもしろくて!」一気に読んでしまいました。そうすると次には時代考証がされているのか、読み物としての小説なのか知りたくなり、本屋さんで利休に関する文献を数冊手に入れ、学校のお勉強をするつもりで1行1行読み解いていきました。

見事に時代考証がなされ、史実を踏まえた上でおもしろい読み物に仕立てている事に「小説家ってすごいなぁ……」と今更ながら感じ入りました。

例のごとく、お客様の間をこの本が行き来したのは言うまでもありません。お客様の中には後で買われた方もあるようです。

私は又、昔の野上弥生子著「秀吉と利休」・井上靖著「本覚坊遺文」を書棚から引っ張り出して再び読んでしまいました。
本は次から次へと読むのですが、忘れていく事にも、我ながらあきれています。頭がどうかしたのか……と思うくらい「あの感動が……!」忘却の彼方へ行ってしまうのです。

12月15日(火)から。「うるしの器展」が始まります。
うるしの器を手の平の中に包み込む感触は格別です。そば椀ににしん蕎麦、おぶりなお椀に炊き込みご飯、又は具だくさんの汁物。
お正月には手作りのお料理をお重に詰めて、静かに暖かく年の初めを祝いましょう。

                      

優しい気持ちがあれば、うるしの器は決して難しくありません。いい仕事のものは丈夫です。そして、もし何か粗相があった時には、塗り直します。

ひたすらうるしの美しさをお客様にお伝えしてきました。
岩手・浄法寺塗、山中塗の石川漆宝堂さんの職人さん達の心意気を感じ取ってくださいませ。

真木千秋さんの手織の布を常設するようになりました。

日本中にファンの方は多いのですが、東京奥多摩・あきる野市の工房から発信する彼女の仕事を少しずつお伝えしたいと思います。
まずはふっくらと柔らかいウールとシルクの糸で織られたストール、マフラー、ベスト、ブラウス、上着、パンツ、そしてランナーなどの敷物を揃えました。

                     

あきる野市の木々に囲まれた古い民家の中で糸を紡ぎ染物をしたり、そして又、インドの織職人さん達とご一緒に仕事をしたり……。
急がない生き方をしているように見えます。

真木テキスタイル工房を構えている事は、たやすい事ではないと思うのですが、お目にかかる真木千秋さんは、いつもゆったりとにこやかに、そして美しく見えます。この「美しく」という言葉の中には、あらゆる意味を込めてあえてそう感じるのです。漂う雰囲気はとても自然体です。気負わず、素晴らしいお仕事をなさっています。

彼女のそばでお仕事を支えていらっしゃるスタッフの方々のお気持ちも真木さんの世界そのものです。
私の言葉でお伝え出来るかどうか……。今後、常設する事によって、間近で手に触れながら手織の布の仕事をお伝えする努力をしたいと思っています。

年末に向かって、どうぞお風邪などに気をつけて、よいお正月をお迎えくださいませ。



2009.11.18

空気が静かでとても澄み切った季節です。
各地は紅葉を見に出かける人々であふれていることだと思います。

私共の裏にある小さな山ぼうしの木は、今年1月、以前の木を枯らせてしまったので植え替えてもらったのですが、根がつきませんでした。この2週間ほど前、株だちの大きな山ぼうしの木がまたやって来ました。三代目になります。

狭くて過酷な条件の中でも生き延びて根を張ってほしいと祈るような気持ちです。毎日眺めて見上げる日々はとてもいとおしく、心が穏やかになります。人間というものは、ほんのささやかなものにも喜びを得られるような気がします。
大きく天を突くように繁る、自由な空の下で育つ山ぼうしは幸せかもしれないけれど、花染の過酷な世界で、私たちを慈しんでくれる、我が山ぼうしの木も幸せであってほしいと思います。

                       

テレビやマスコミなどにあふれる日々の事件は、目を覆うばかりです。世の中、安物があふれ、大量生産、機械生産の品が覆い尽くし、人の心は落ち着きをなくしているとおもいます。

私は以前より、幼稚園児・小学生の人たちに、茶道の世界を少しでもいいから、勉学の合間に入れてほしいと折々思ってきました。物事を美しいと感じる感性は、持って生まれたもの……で、努力ではどうすることもできない……と、偉い先生方はおっしゃいます。お茶の世界も同じで、お手前の手順だけがお上手でも、感性とはまた別のもので、単に手順だけ習っている人たちも数多くいることも事実です。

でも、あの一歩入った空間は、日本文化の結集です。その中から、数限りなく多くの美を学び取ることはできると思います。
まず、日本文化の素晴らしさを知ることから始まって、他国の文化に入ってほしいと……。自国の文化を大切にしない国民に世界は見えてこないと思うのですが……。

私共のお客様で、その方の先生とご一緒に、私立小学校・中学校へお茶を教えにいらしている方がいます。
「とても新鮮で、子供たちが目を輝かせ、興味をもち、嬉々として吸収してくれるので、自分もとても楽しくて生きがいがある」というようなことをおっしゃっていました。

日本の文化は型の文化という一面もあるけれど、洗練された型は、本当に美しいと思うのです。「女性の品格」の本にもこの型について書いてあったように思います。
私も十分にできている訳ではないのですが、まずそこから目を見開いてほしいです。日本中に五感で感じ取れる素晴らしい物がいっぱいあります。

きっとゆとりや優しさを持てば、見えなかったことや物が一気に目に心に入ってくるのではないかと思います。
日本の大衆文化は、大人社会ではないようです。幼稚なのではないかと思います。「かわいい……」があふれ、各地の観光地ではとんでもない物であふれています。似て非なるもの……。

素晴らしい日本の景色が、文化が、まるでお土産物の材料として利用されてしまっています。まやかしの目先の競争へ突き進んでいるのでしょうか。心の風格と意地を守って進化をしていただきたいです。

11/23(月・祝)~11/28(土)まで河井先生の展示会です。先生の作品は若々しく、私たちが元気を頂ける健康な美しさがあります。
お作りになる形、自然に手に感じる器の厚み、そして色。どれをとっても日常の使用感の良さに通じています。
今回の作品の中の45センチほどの大皿のすこやかでダイナミックな美しさは、きっと目を見張っていただけると思います。
是非お出かけくださいませ。

12月は、うるしの器の展示会を致します。お正月の物も集めて…。浄法寺塗・山中塗です。
浄法寺塗は、私共では20年余り前からのお付き合いになります。最近、雑誌などで取り上げられることが多くなり、ご遠方からのお問い合わせが多くなりました。
本当にこの浄法寺塗に出会わせていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。何もかも偶然と必然の導きの賜物です。

お正月に向けて干支も出来上がりました。古布で作ります。花染のオリジナルです。

                   

お忙しい中とは思いますが、ゆったりした時間をお過ごしにいらしてくださいませ。




2009.9.25

秋の気配を感じ、赤とんぼが澄んだ空気の中を飛んでいたかと思ったのに、また、夏が戻ったように日中は暑い毎日です。
でも、確実に季節が変わっています。いつもお客様からお庭に咲いた花を頂くのですが、一昨日頂いた水引草とほととぎすの花は、生き生きと秋を告げています。

          朝鮮唐津の花入れ

島本町は小さな町なので、お花屋さんはあるのですが、お茶花のような花を売っている店がなく、お客様が丹精込めて作られた花を折々頂くのは、私共にとっては本当にありがたいです。
こんなささやかな幸せは何にも変えがたく嬉しさで胸が満たされます。

政治の世界も急激に変革し、これを機会に何が必要で何が不必要かを選び直すことが出来れば良いなぁと思っています。

先日、朝日新聞土曜版(9/5)に聖路加国際病院理事長の日野原重明先生のお書きの文章に心を留めました。

環境」・・・地球の温暖化や公害と、もう一つ、自分がどんな人間と付き合い、どんな食べ物を食べ、どんな運動をするか…私達の日常生活を取り巻く環境は自分で選び、自分で作ることができる。世界的な経済破綻にさらされた状況でも、自覚をもって暮らしていけば、社会の中で確かなものを見失わないで生きていける…等でした。
心身の生活の基礎を作る人間的、社会的環境がその人の形成に大きく左右している。
特に、友人や家族などの人間関係は生活習慣を大きく左右し、またこの人間関係こそが私達のもっとも身近な「環境」を形作る要素である…。と。

長く生きてきた中で自分が選び取ってきたものに、そんなに自信があるわけではないけれど、まったくと言っていい程、アナログな人間であることに、最近は開き直っています。

普通の生活をする中で、余りある、あふれる情報の中で、時々、自分に必要なもの、学びたいものを選択する。あとは自分の足で手で目で、そして五感で手に入れ、自分らしい生活環境を手に入れる。
安物であふれた暮らしをするのか、気に入った少しのものの中で暮らすのか。
街で見かける行列。人に左右され、同じ物を食べたり買ったりするために並んでいる光景は、なんともこの豊かな時代に滑稽に見える。(物のない時代ならともかく…)

豊かな人間関係を構築し、バランスの良い食習慣を身に付け、実践し、昔から人間が営んできた基本的な確かなものを見失わないで生きていこうと…自覚することだと思うのですが…。

昨夕も店のシャッターを閉め、家路までの12、3分(ずっと歩いています)、見上げると下弦の三日月が澄み切った空気の中で私と歩調を合わせて付いてきます。そばの草むらからは虫の鳴き声、わずかな時間にも季節と安らぎを感じることができます。

日本人はもともと少し控えめで風流を愛し、侘びさびの微妙な物の本質のわかる民族であったと思うのですが、物があふれ、豊かな生活を手に入れると共に、すっかり目を血眼にしてバタバタ走り回る国民になってしまっています。
どんな時代もうろたえないで、明日からの暮らしを見直してみたいと思います。



2009.4.25

暖かくなり始めた2月末頃から、今春は関東の作家の人々を訪ねる旅をしよう……と決めていました。佐藤けい氏の穴窯の窯出しが4月26日(日)と、早い時期に連絡を受けていたこともありました。

3月・4月初めは桜に思いを募らせ、島本町は町長・町議会議員の選挙があり、人口3万人の小さな町は上に下にひっくり返ります。

そして、桜も散る頃、やっと計画を具体的に進め、4月25日(土)出発、真木千秋さんのスタジオからスタートです。天気予報は一日中、大雨、大風、雷、今年一番の雨量とのことに心配しました。雨と風の中、東京からあきるの市の工房まで1時間半。都心を離れ車窓はみるみる新緑あふれる景色へと変わりました。

昼頃、真木テキスタイルスタジオに到着です。久しぶりの再会に募る話もたくさんありましたが、拝見したりお聞きしたりすることも山ほど控えていましたので、早速仕事の話です。

                  

上の写真は200年くらい前に建てられた養蚕業の家に出会い、住む人のいなかった家を改修して工房として再生させたのだそうです。
そのそばに展示スペースとカフェがあります。元にあった自然を壊さないですべて共存しています。天をつく欅の大木、栗の木、そばには鬱蒼とした竹林。全部ひっくるめて真木テキスタイルスタジオです。

仕事の話は順調に進み、カフェでインドカレーとチャイを注文し、作品の中から今すぐ着てみたいベストとストールを求めさせていただきました。

                  
           タッサーシルクで軽く織られたもの        タッサーシルクを太い糸、
                                       細い糸を組み合わせてストールにしたもの

6月にこの旅で手にした作品をすべてひっくるめて展示会を致します。その後、真木さんの作品を花染に常設させていただく私の希望が嬉しくも実現することになりました。

大雨の中数時間の滞在でしたが、真木千秋さん、大村さん、スタッフの方々に本当に温かく迎えていただきましたことに心より感謝申しております。
もっと詳細は「作家への旅」のページに書かせていただきました。

真木さんの工房を慌しく立ち、もう一度東京へ帰り、今度は長野新幹線で軽井沢の一つ手前、安中榛名駅まで。佐藤けいさんの工房まで一直線です。
雨も思ったほどでなく、ひと安心です。かなり山の中へ入るので、雨風は大敵です。山の中の温泉を私の常宿にしています。ここのお湯に入るのも大きな楽しみの一つです。
大自然と共に新緑の中に桜の花が満開の季節でした。山吹の花が至る所に花咲き、それはそれは別天地です。

            

翌日、4月26日(日)は窯出しです。そこからは仕事が待っています。続きは「作家への旅」へ……。

                 - - - - - - - - - - - -

山の中の温泉の温泉場に2泊してまた東京に戻ります。

4月27日(月)は東京青山のキリムの仕入です。

私共では主にキリムはイランとアフガニスタンのものを多く扱ってきましたが、最近になってトルコのものを入れたくて、業者の方にお話をしてあったのです。東京の雑沓はさすがです。地下鉄に乗り継いで地上に上がると「アァ……、東京の空気ダ……」そんな心地さえする青山の風景です。

神宮前、青山、表参道、いつも東京へ来るとおのぼりさんをするのが楽しみです。
業者の方が待ってくれるキリムの部屋でトルコのものに絞り込んでセレクトしました。選ぶのは直感ですので素早くて早いのが私の身上です。とても素晴らしい、私の期待を超える品が本当に手頃な値段で手に入りました。想定よりはるかに多い枚数を頂くことになりました。

ふと側を見ると、ギャベがうず高く積まれているのに気がつき、思わずテンションを上げてしまいましたが、今回はギャベは見送り、どうしても手放せない赤いギャベを数点手に入れました。とても品質が良く安かったからです。置いて帰るにはちょっと残念すぎたから……。

ゆっくりお茶を頂き、「どんな形でお客様にご案内状をお出ししようか」と想いを巡らすひと時でした。

展示会として、関東の旅の作品として、ご案内しようと思っています。

6月末に花染の2階にご用意できますよう、企画・準備をします。いろいろ想像してワクワクしています。とても素敵な作品ばかりを選ばせていただいたつもりですので、私も全て箱が解かれ展示会をする日を楽しみにしています。

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4月28日(火)午前 「熊谷守一美術館」東京都豊島区千早

念願だった「熊谷守一美術館」へ朝一番に飛び込みました。仙人のように生きたとても興味深い人です。
熊谷守一の線の美しさに心惹かれ、いつの頃からか究極の線ではないか……と勝手に思うようになり、事あるごとに彼の作品を見てきました。やはり彼の美術館へ行きたい……と思っていたけれど、瞬く間に数年が過ぎ、この度やっとこの地に立つことができました。

守一氏が45年間住んだ豊島区千早の住居跡に、1985年次女の榧氏が私設美術館として作ったものを、2007年豊島区に寄贈開館したものです。

                   

1880年、岐阜の初代市長だった生糸商の三男として付知村に生まれ、中学3年(旧制)で上京。たとえ乞食になっても絵描きになろうと絵を志す。

1990年、東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学。
極貧の生活の中で、子供たちの健康のためにこの地に住まいを構える。後に次女の榧氏の話「守一は豊かなる子供時代を過ごしたので、貧しさは平気だったようだが、自分たち子供は貧しさがいやだった……」と。家は傾き、雨漏りのする生活だったそうです。

1950年頃、戦後、彼の作品に注目が集まり始めると、もう歳だからうるさいことは御免被りたいと、公募展から手を引き、写生旅行にも出かけることもなく、ほとんど家にいて庭に寝転んで蟻を眺めるという生活になる。

1967年 「これ以上、人が来るようになると困る」と文化勲章を辞退する。
1972年 「お国のためには何もしていないから」と勲章を断る。
1977年 97歳でこの地で息を引き取る。最後の1ヶ月前まで絵筆をとっていた。

作品の特徴
4号Fという小品が多いこと。
小さな画面だけど、赤鉛筆などでしっかりと輪郭を描き囲まれた画面を原色に近い色で平塗りをしていること。
戦前、1940年頃からこの兆しが見え始め、独特なスタイルの油彩になる。
絶筆のアゲ羽蝶まで変わらなかった。

                
             1959年作 「白猫」油彩4号F          1976年作 「アゲ羽蝶」油彩4号F

彼の作品の中でも「白猫」は大好きな作品のひとつですが、山の稜線を描いた作品…、数々の作品の線の美しさ、単純な色彩は全てを超越し、ここに至った人となりの精神の奥を見る思いがします。どうすれば、どう生きれば、その境地に至るのか……。何か指針を我々に感じ取らせてくれることを願ってやまないのです。

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いよいよ今回の大きな目的の一つである国立博物館「国宝阿修羅展」です。上野の森は東京へ来るとよく訪れるので何度となく来ていますが、この度の「阿修羅像」は至近距離で360度手にとる位置でガラスケースもなく拝見できることの喜びです。
710年の平城遷都に伴い藤原鎌足の子・不比等が興福寺を創建し、その際、工事の無事と建物の安泰を願って、金・銀・真珠・水晶などで作られた無数の工芸品が地中に埋められました。

プロローグは、発掘されたこれらの中金堂鎮壇具を見ることができ、1300年前の創建の頃へといざなってくれます。
それに加え、伝存の全14体八部衆(阿修羅を含む)、十大弟子像(現存は6身區)が一挙勢揃いしています。どの像も皆、複雑な心の内を静かにリアルに表現しています。人の心を映し出す像に、現代の人々は魅了されるのかもしれません。

いよいよ最後のステージは「阿修羅像」です。哀しみ、優しさ、悔悟、そして自分の心の中をじっと見つめている表情は、それでもしっかりとした眼差しをしています。

                        

ほど良いライトで浮かび上がる像は360度の位置で対峙できる嬉しさです。照明のもつ力にも、私は一層の感動を受けました。
角度を変えて見る3つの顔は微妙に異なっています。まゆを寄せ、憂いを浮かべる像は、目は仏や菩薩のように切れ長ではなく、人間に近いものです。八頭身の体はすらりと華奢で、6本の細く長い腕が空間に広がる姿は、この世のものでなく実に美しいのです。

美しく照らされた金の装飾品は、1300年の時を経ても尚輝き、私たちを虜にします。
後方、斜め後ろから見るお顔(向かって右側)に私は一層感動を受けました。ちょっと伏し目がちの美しい面差しに心が揺らめきます。
私がもう一つ気持ちに刻まれたことがありました。阿修羅像はもともとインド神話に出てくる戦いの神であり、闘争を好んだ……と。お釈迦様に帰依し、仏教は守護神として取り込んだということ。

右の顔(正面から向かって左側)は唇をかんでいます。争いを繰り返してきた阿修羅が心の中に昔の過ちが湧き上がるのをこらえている顔つきだ……ということです。私たちに深い想いを刻むことと思います。

いつまでもこの感動に酔っていたいと……。そして、しばらくこの美しい世界から抜け出せない自分を感じています。

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4月29日(水・祝)
最後の東京です。
これもずっと念願だった六本木の「国立新美術館」です。

黒川紀章氏の設計の真髄を拝見したかったのです。彼の仕事・発想は大好きだったし、いつも「建築家ってすごいな……」と思っていたし……。世の中にすごい人たちはいっぱいいるのですが、科学も医学も宇宙も、もう一つわからないけれど、建築物は工芸の、またアートの最たるもののような気がするし、平面の設計図から立体の広大な作品が出来上がることの不思議を、いつも尊敬していました。(単純に私の物作りへの憧れですが……)

いにしえの仏閣も建造物もすごいし、現代建築もすごいし、古いものと新しいものの狭間で……。結局、すごいものはすごい……! 訳のわからない好意です。

日比谷線六本木駅に着いた頃から、期待で足はスキップ状態です。目の前にそびえ立つ建築物を見て、人目をはばからず叫びました。「すごーい!なんて美しい!!」この一言に尽きます。しばらくの時間、私の行動は常軌を逸していたと思います。黒川氏の仕事に私の血が煮えたぎるようでした。

                   

こんな作品を残して早すぎる死を迎えた彼の想いがあふれていました。館内の細部に至るまで……。例えば、展示室の構成、空中にあるかのようなカフェやレストラン。私のテンションが高じて、今落ち着いて考えてみると、もっともっと建物の細部をしっかり見て構造をしつこく見せていただくべきだったと後悔しています。

                
        このガラスの構造の積み重ね          六本木ヒルズの展望室から見た美術館

     

                           入口を入って下から見上げる空間

これは阿修羅像と違って、いつでもまた訪れることができるので、再び出会える時は、今度はゆっくりと気持ちを沈めて訪ねたいと思います。
そして、この偉大なアートは後世の人々に確実にエネルギーを与え続けることと確信致します。

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この関東の5日間の旅で、私に蓄積されたエネルギーは、またフツフツと体のカロリーとなり、熱く語ることのできる仕事を支えてくれると思っています。素晴らしい物、人たちに出会わせていただいた旅でした。
森羅万象、すべてに心より感謝しています。




2009.3.11

いよいよ春到来です。方々で枝についた芽が少し膨らんだかな…と思うと、早く暖かくなってほしいと思います。
島本町に昨年3月JRの駅が開通しました。この町はとても空気が穏やかで、西の山から自然の風の吹き抜ける風景も人の営みも田舎の人情を残した愛すべき土地です。

駅ができて、とても便利になりましたし、私共のご遠方のお客様も「近くなりました」とおっしゃってくださいます。JR島本駅より山側は、全く風景の違う田園で、春にはレンゲの花、山には竹の子、田植えされた早苗の緑が水をたたえて私の大好きな景色です。

秋にはコスモスが揺れ、自然が手に取るように暮らしの中にあります。しかし、昨年秋のコスモスは咲きが悪かったとのことでした。JR駅のプラットホームの灯り、それに続く道路の灯り、それらが夜中の間あることで、コスモスの苗木は眠れなかったのだと思います。こうしてわずかずつ自然が壊されていきます。

私の店の裏の小さな庭に山ぼうしの木がありました。春になると美しい緑の葉と共にいつも元気をもらっていましたが、一昨年枯らせてしまいました。しばらくそのままにしておいたのですが、今年1月新しい山ぼうしの木を植えました。まだ小さな苗木ですが、新芽が出てくれるのを心待ちにしています。

               

椿のつぼみも今年は8つほどつけてくれました。日当たりが悪いのでとてもかわいそうですが、懸命にお日様に向かって育ってくれます。よそのお家の椿はもう早く咲いたことと思いますが、私の小さな庭のものは全部遅いのです。シダ、葵、いろいろな植物が元気に芽を出しています。私にとってはとても癒される空間です。

3月19日(木)~3月25日(水)
22日(日)は休み
山ぶどうとあけびのかごの展示会です。

山ぶどうの手さげ籠のすごさを知っていただければ嬉しいと思います。
私が20年余り使って風格と艶が出てみごとな美しさになった手さげ籠を持って来ておきます。どうぞお出かけくださいませ。




2009.1.23

私のお正月は毎年京都東山・六波羅蜜寺へ初詣に行くことから始まります。稲穂を頂き、好みのめでたグッズをそれにつけてもらい、持ち帰って1年間、家の玄関のドアの内側の見上げる場所に取り付け、毎朝靴を履きながら手を合わせ、今日の無事を願い、心穏やかに過ごせますように…と。

                       

でも、人間は欲が深いものだなぁと思うのは、昨年のグッズは金の俵に鈴。今年は箕の中に小判、打ち出の小槌などをかき入れたもの。時々笑ってしまいます。

お正月休みはあっという間です。休みの最終日は、店の新年の準備、モードに切り替え花を飾り、初日に備えます。また、皆様と笑顔でお目にかかれますよう清く整えます。

でも、すでに今日は1月後半です。18日は舩木先生の工房へ2月の展示会の作品をいただきにお伺いしました。先生の工房もお弟子さんが一人入れ替わり、新しい空気で満ちていました。先生と若いお弟子さんたちと私とみんな同じ方向を見ながら、楽しく工芸論を話したり、仕事の話をしたりすることは、本当に和やかで皆が豊かになっていくような気がします。

先生のお父様や柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチとの関わりなど、聞いても聞いても話は尽きず、先人たちが過ごした良き時代、熱き想いは私をその時代に生きたかのような錯覚を起こさせます。

しかし、これからの時代、、若い弟子たちは手仕事を通して成長していくことは厳しく、辛抱のいることです。
昨年夏、この二人のお弟子さんたちが突然、花染に遊びにいらしてくださいました。ご遠方をわざわざ…。本当に嬉しいです。

私とは30歳ほどの年齢の開きがあると思うのですが、同じように夢や想いを抱えています。温かく励まし、将来希望がもてるよう、そして、共に歩むことができれば嬉しいです。大きな豊かな心の持ち主になってほしいと思います。作品はその人となりです。私も目標を失わない仕事でありたいと願い、初心を持ち続けることができるよう、まっすぐに先生を見ていたいと思っています。

舩木先生の吹きガラスの展示会は、2月21日(土)~2月26日(木)までです。変則的に土曜日から出発です。お仕事を持っている女性の方々へも配慮できればと思っています。日曜日の22日の定休日は休みません。先生の作品に出会った29年前の若々しい、そして初々しい気持ちで私も展示会を頑張って乗り切りたいと思います。ぜひお出かけ下さい。




2008.11.19

本格的な紅葉の季節です。
島本町は桜の木の多い町ですので、町のいたるところで紅葉が見られます。JR島本駅の新駅ができましたが、まだまだ山側は田園です。
最近まで田にコスモスが咲き、ゆのどかに揺れていました。
山はどちらかというと竹の子の山が多いのですが、それでも島本から山崎にかけての山々は美しく、小さな町だけに季節すべてを手にとるように感じることができます。
もう今年も残り一ヶ月余りになり、気持ちはすっかり慌てています。
私どもオリジナルの古布の干支も好調にお求めいただいています。

                   

12月23日(火・祝日)、24日(水)、25日(木)の三日間、柴田雅章氏の作品を展示します。彼の作品でお茶を頂いたり、お話をしたりする会をしようと思います。とても素敵な作品がたくさん揃いました。年末のあわただしい中でちょっとだけ休憩のつもりでお立ち寄りくださいませ。

                       

最近、スリップウェアが世間で取り上げられることが多く、若い人々の中でアクセスしてくださる方が増えています。若い陶芸家の中にもスリップウェアを試みる人たちが多くなってきているように思います。その中でまた柴田雅章氏の作品に近づく人も出現してくるかもしれません。

今年一年も私共の企画展にいらしていただけましたことはありがたく、深くお礼申し上げます。十分なことはできませんでしたし、行き届かないことも多かったと思うのですが、来年もまたいろいろ企画をしてまいります。どうぞお出かけくださいませ。




2008.10.17

夏の間、すっかり展示会を休ませて頂きました。ご遠方のお客様からは「毎月の案内状が届かないので心配して…」とお電話を頂いたりしました。ありがとうございました。

何か深い意味がある訳ではないのですが、無性に本がいっぱい読みたくなったのです。
春頃、ちまたで「蟹工船」がまた読まれていることを知り、「確か自分の本箱に昔のいにしえの文庫があったはず…」と探しました。10数年前、たくさんの本を処分し、純文学に近いものだけ残したつもりでした。

ありました。黄色くなった薄い文庫が見つかりました。開いてみると、文字は小さく、読みづらい文脈でした。40数年前のものです。薄い本に「蟹工船」と「党生活者」が入っていました。それに足を踏み込んだのが病の始まりです。かなりマイナーな気持ちに陥り、なんだか考え込んでしまったのです。

若い頃に読んで入り込み、もう一度是非読みたい…という本がどなたもあると思うのですが、そこに入ってしまいました。次から次と若き日に落ち入った本を読まないではいられなくなってしまったのです。読めば読むほど気持ちはマイナーになっていきました。

数十年を経て、見えてくること、また見えなかったこと、悲しみ、悩み、楽しさ、喜び、非常に複雑な心境です。
もう二度と読めないかもしれないと思った本を、紐解いたことは嬉しくもあったと思うのですが…。そろそろ切り上げて立ち上がろうと…最後は姜尚中「在日」と「悩む力」で締めました。
この時期、私達日本人にとっても、とても必要な姜氏の2冊でした。お客様との中でまわし読みをして、認識を共有することができました。
また、忙しく立ち働きます。

10月27日(月)から前野直史作陶展、11月はキリム展、そして12月は加藤貴美江さんの布の作品の展示会です。加藤貴美江さんは、山口・宇部市の女性です。私のこのマイナーな気持ちを一気に吹き飛ばしてくださる、とてもエネルギーに満ちた方です。あまりすごい女性は、ちょっと苦手なのですが、加藤さんはとてもチャーミングな面をお持ちの方です。私の弱い部分を満面の笑顔で力づけてくれる方です。

東京の杉野ドレスメーキングを卒業後、デザイナーをなさっていて、和布に出会い、のめり込んでいったようです。
彼女の勤勉とエネルギーは、とても素晴らしい作品を次々と生んでいきました。25年間、ひたすら朝となく夜となく、作品を作ることに没頭したそうです。

12月は彼女の魅力と作品の魅力に出会いに、是非お出かけください。




2008.2.14

花染は2008年3月1日、25周年を迎えることができました。本当に心より感謝の気持ちでいっぱいです。

たくさんの山坂がありましたが、若い頃の楽しくてキラキラしていた頃、そして少しずつ重ねてきた仕事の中から見えてきたもの。優しい作品と豊かな心をお届けできますことをひたすら願っていました。
作家の先生方に支えられ、お客様に支えられ、私はあくまで脇役でありたいと心得ていたいといつも自分に言い聞かせています。
私が頑張れば花染が生き生きしてくれることを願っています。

私が・・・。というのとは少し違っている自分を最近、特にこの数年痛切に感じるようになりました。より美しく作品が使われることをありがたいと思い、すばらしい作品とすばらしいお客様に深くお礼申し上げます。

今後とも末永く花染をよろしくお願いいたします。




          
2008.2.14
         染色家「柚木沙弥郎 染の仕事」展が大山崎山荘美術館で始まります。

                       2008年2月20日(水)~5月11日(日)

                          

私が柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)氏を知ることになったのは、陶芸家・柴田雅章氏のお宅でした。随分以前になりますが、不覚にも私は柚木氏を存じ上げなかったのです。

柴田さんから開いて見せて頂いた作品集の本の中は、生命力にあふれる豊かな配色、デザインに満ちていました。伸びやかで自由な染色に目を奪われ、私の中で染色の革新が起きました。
その後、国展(関西展)などで、柚木氏の作品にどんどん惹かれていったのです。

柚木沙弥郎氏は大正11年(1922)生まれ。東大文学部・美学へ進み、後に倉敷大原美術館に勤務。民藝と出会い、芹沢銈介氏を師として染色の道を歩き始めます。
女子美術大学教授。1980~1991年まで学長を務められた方でもあります。私の今手元にある本には、後年のもうひとつの世界の絵本、板絵などの作品が載っています。

日本の染色界を代表する作家として活躍される一方、色彩の美しい自由な発想の絵本をたくさん出版しています。彼の絵本を本屋さんで探してほしいです。まだまだ私も入門したばかりですので、これから多くの作品に出会いたいと思っています。

大山崎山荘美術館の空間が生き生きと鮮やかな色に染まるであろう写真をここに追加したいと思っています。初めて出会ったときの新鮮な嬉しさを求めて多くの作品を訪ねたいと思っています。





2006.12.1

時間の許す限り、仕事に追われながら、いろいろな所に出かけて行きます。365日に近く仕事を兼ね、頭の中は絶えずここから離れることはないのが現状ですが、本当にとてつもない感動に出会うことも多いのです。

今日、あまり詳しくないままに、少し書いてみたいことがあります。

先日、2006.11.18(土)、京都造形芸術大学・芸術劇場・春秋座で「田中泯・独舞・造形脱落」の舞台があり、少し早めに店を閉め、心を躍らせ出かけました。

以前とは言っても随分前、テレビで田中泯の世界が放映されたのを拝見し、強く気持ちに残ってしまいました。映画『たそがれ清兵衛』の作品とどちらが早かったか記憶がないのですが、刺客の目とただならぬ存在感は暗い映像の中で凄まじい生き様のような気がしました。

それから数年、昨年、京都の知り合いから田中泯氏の作った米を頂き、食する機会を得ました。彼のことは山梨県でお住まいであること等、多少のことしか存じ上げないので、語る資格はありませんが、2006年10月、その知り合いに「田中泯氏は関西では公演はしないのですか?」と尋ねると、たまたま11月18日に……ということで、本当に幸運でした。感想は舞台をご覧いただく事しかないと思うのですが、観客は1時間半誰も身じろぎ一つしませんでした。

これに関しては、これから少しずつ追っていきたいと思います。感じたことを追加していく予定です。





大山崎山荘美術館
 京都府・乙訓郡大山崎町

大山崎山荘は、関西の実業家・加賀正太郎(1888~1954)によって、大正の初期~昭和の初期に建てられました。その後、加賀家の手を離れ、荒廃していたものに手を加え、建築された当時に近い状態で修復されました。
それと同時に半地中に安藤忠雄の設計になるモネの睡蓮のある美術館を開館しました。
山荘の内部はアサヒビール初代社長・山本為三郎(1893~1966)が収集したコレクションを展示しています。
柳宗悦の「民藝運動」を後援し、その運動に参画した河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチ、芹沢銈介、黒田辰秋などの工芸作家の作品が多く集められました。

 山荘の風景
   

紅葉の道を登ると、山間にすっかり周りと同化してしまったようなトンネルに出会います。(トンネル―有形文化財)
そこからの世界は私達を自然に溶け込ませてくれる何とも清々しい空気が漂っています。
自然と一体化した、作った庭だということは全く感じさせない自然にあるがごとくの風情が存在するのです。四季折々素晴らしく広がる空間があります。
私の店からは3キロ程度の距離にあるこの場所で、2006年5月~8月、<舩木倭帆ガラスの器展>が開催されました。

                  

4ヶ月間、本当に幸せな気分に浸ることができました。ガラスケースに閉じ込められてはいるものの、ライトを浴びた作品は、美しく、皆の心をとりこにしたことと思います。私共のお客様も大勢の人々が拝見させていただき、感動をお互い共有できたことは、本当に幸運でした。
      




日本のスリップウェア展 開催中
   2006年9月9日~12月10日
   千里万博公園内 大阪日本民芸館

英国スリップウェアー(18~19世紀)から、富本憲吉/バーナード・リーチ/河井寛次郎/濱田庄司/舩木道忠/武内晴二郎/舩木研児/柴田雅章/藤井佐和/エドワード・ヒューズ

柳宗悦ら民芸運動の先駆者たちによって見出され、その伝統を新しい時代の仕事として日本の地にその可能性を発展させてきた個人作家たちの作品です。

        

楽しみにしていた展示会でしたので、なるべく早い時期にと思い、10月9日(月)拝見いたしました。すっかり感動し、長い時間を過ごさせていただきました。いつまでもどっぷりつかっていたい空間です。




桃山の名碗と加藤唐九郎・樂吉左衛門展
    2006.9.2~11 そごう心斎橋本店ギャラリー

桃山の名碗に我を忘れ、心は高ぶり、テンションがすっかり上がってしまった数時間でした。

高麗茶碗
  桃山時代に朝鮮半島から来た茶碗を高麗茶碗とよびます。
  茶人によって井戸・熊川(こもがい)・斗々屋(ととや)・蕎麦・呉器(ごき)など、
  細かに分類されました。

唐物茶碗
  唐物とは中国から到来した高級美術工芸品の呼称です。宋王朝時代の完成された美意識を
  反映しています。

室町から江戸時代へのわずかな数十年の「桃山時代」は市場が活性化したエネルギーに満ちた時代でしたこの時代を象徴するように日本の焼き物、唐津、志野、瀬戸黒、織部といった国焼が誕生しました。

志野・織部菊文・瀬戸黒・奥高麗・絵唐津・黄瀬戸・紅志野・織部車文沓・信楽・萩といった素晴らしい碗の展示でした。中でも織部菊文の姿の良さ、愛らしさに感動し、自然な姿の絵唐津のなにげなさに心が高鳴り、その場を立ち去りがたく思いを残しました。

光悦・樂歴代 初代長次郎、二代常慶、三代道入、四代一入、五代宗入、六代左入の名碗。

「桃山茶碗を受け継ぐ現代陶芸の巨人」
  加藤唐九郎と樂吉左衛門

「かまぐれ往来」加藤唐九郎の豪快・痛快な自伝書を、書棚から引っ張り出して、再び読んでいます。
1984年発行。




富本憲吉展 2006.8.10~9.10

京都国立近代美術館で生誕120年展が開かれました。20年程前、彼の生家のある奈良の記念館に行ったことがあります。広大な地主であった名残を残す佇まいでした。

東京美術学校で図案を学び、その後、作陶、色絵磁器の研究制作を行い、晩年、色絵金銀彩の世界を展開し、1955年第1回重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

1961年には文化勲章を受章しています。「模様から模様を造らず」という有名な彼の言葉どおり、独自の形と模様を追求した、作品、スケッチ、絵手紙といった多彩な約200点に及ぶ全容をゆっくりと、また真剣に拝見して参りました。



2005.7.15

店が終わって、慌てて支度をし、京都の祗園祭の宵々山に行きました。毎年この頃、長刀鉾の「ちまき」を買いに出かけます。

「ちまき」は食べるちまきとは違い、厄除け、災難除けのお守りとして持ち帰り、翌年の祗園祭まで家の門口につるし、厄を逃れます。各山鉾町でも、それぞれちまきを売っていますし、それぞれ御利益は違うのだそうです。

山鉾の巡行は「くじ取り式」で順番が決まります。しかし、古来くじ取らずで巡行の先頭を務めるのが長刀鉾(なぎなたぼこ)です。山鉾中、唯一、生稚児(いきちご)が乗り込み、四条麩屋町に張られたしめ縄を太刀で切り、巡行の幕を切って落とします。

7月に入ると、京都の町は「コンコンチキチン・コンチキチン」と祗園囃子の音色があちこちで聞こえ始め、お祭り気分が盛り上がります。

宵々々山くらいから、この界隈は歩行者のみとなり、各通りには夜店が連なり、鉾には提灯に火が入り、何度行っても飽きません。古い商家などは家々のお宝を飾って公開致します。

7月17日が「山鉾巡行」。午前9時から本番です。今年は16日(土)が宵山、17日(日)巡行、18日(祝日)と三連休でしたので、観光客も多かったと思います。発表によると、人出は宵々山36万人、宵山52万人とのことでした。

    



2005.7.24

京都八坂下にある、「くず切り」鍵善に行くことは、夏の私の楽しみです。数十年前、私が22、3歳頃、親しい人に連れて行って頂いたのが初めてでした。

昔の鍵善は、京都の古い佇まいの商家でした。一階を入ると左手に黒田辰秋先生の栃の二間箪笥があり、美しいお菓子が売られていました。木の階段を上ると、「くず切り」や抹茶・和菓子を頂ける席があります。そこにも黒田辰秋氏の飾り棚があり、河井寛次郎の作品が惜しげもなく陳列してあるのです。

席に座ると小さなメニューの冊子があり、水上勉氏がくず切りの思い出を言葉少なに美しい文章で書いてありました。水上氏はあまりの美味しさにいつもおかわりをする・・・。なんとも微笑ましく絶賛してあるのです。

その大好きな古い店が十年ほど前だったか、建て替えをする・・・と。一瞬「エッ、どうなるの・・・」という具合でした。京都の町も次々と変わり、学生時代を京都で過ごし、今も生活圏はすべて京都である私にとっては嘆かわしく思っていました。私共の店の木工家具などを作って頂いている作家の細江さんと「あの家具はどうなるの・・・」今風のビルの店になって、納戸にでも入れられてしまうのかなぁ・・・。

数年して建て替わった店は、予想に反してとても素晴らしい店舗に生まれ変わりました。古い店に愛着はあるけれど、それはそれ・・・と思える、まさしく本物のたたずまいでした。

店ののれんをくぐると、左手と右手に黒田辰秋の箪笥と飾り棚があり、やはり寛次郎は健在でした。お客様席、お庭、その奥の和室、どれをとっても本物を知っている人のものでした。

壁には本物の絵画、初期は須田剋太が多かったと思います。一番奥に舞妓さんの絵があります。石本正氏の作品です。話は飛びますが、石本正氏の女性は見惚れるほど、みずみずしく美しいのです。数年前、氏の個展で出会いました。数多くの裸婦をお描きになっていると思うのですが、美しく清くなまめかしくあんないい裸婦画にはあまり出会えません。

ちょうどサイン会があるとのことで、先生のお姿を拝見することができました。80歳前後の素晴らしく美しい先生でした。
そのときの光景は今も忘れません。

話は戻り、「くず切り」はとにかく絶品です。葛は吉野、お客様の顔を見てから作るというしなやかな舌触り、黒蜜も後に残らない品の良い甘さです。竹筒に入った水羊羹も夏の味覚です。水琴窟の「カーン・キーン」というCDの音の流れる店でゆったりと過ごさせていただきました。

鍵善の写真を撮るのを忘れましたので、そのうちまたサイトに入れておきます。

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